チョロチョロでなくジョバジョバと

水道の蛇口をほんの少しだけひねって、水をポタポタと垂らします。そこから水を汲んで下さいと言ったら、必要な量を取るまで結構時間がかかります。

 

反対に、水道を目一杯ひねって水をジョバジョバと多量に出します。そこから水を汲もうとすれば、あっという間に容器目一杯まで溜まります。

 

趣味などでも気になることができた時、始めはその情報を集めるために自分から努力して本やネットで調べたりしているうちに、ある程度経験が溜まって来ると何もしなくても情報が勝手にどんどん入って来る状態になることがあります。

 

情報を受け取るには、それを受け取れる状態を作っておく必要があるのでしょうね。初めはアンテナの感度が弱くて必要な情報があまり引っかからなくても、学んでそれに関するキーワードのようなものが引っかかるようになっていくと、とてもたくさんの情報が流れていることに気付けます。その中から少しでも拾っていければ、自然に詳しくなります。

 

勉強も同じ気がしています。やはり頭の中に流れ込む情報の量が多い子ほど伸びるのが速いのではないでしょうか。勉強をしているのに成績が上がらない場合、その量に問題があることが多いです。身も蓋もない話ですが、成績が上がるほど勉強の情報が頭に流れ込んでいないわけです。ですから暗記でもなんでも、「少しずつ確実に」よりもまずは「大量にこなそう」とすることで情報のフロー状態を作ることから始めていくと学力が伸びやすいような気がしています。

 

テイクオフ!

夏期講習が終わり、中3生たちは受験勉強と学校の定期テストの勉強を両立する時期がやってきました。

 

先週の土曜日の講習中に、「夏期講習が終わったら強制的な課題は無くなるから」と、今後の勉強の方針について伝えました。何をどのくらいやるべきか、ここから成功する生徒はどんなことをやっていたのか等々。その時に、「勉強のことで何かあったら相談においで」と言っておいたのですが、昨日までの段階で半数が来ました。

 

その全員が、「課題をこれからも出して欲しい」というものでした(^_^;) おいおい、それでは自学にならないじゃないかと思ったのですが、夏期講習中にやってきた内容で確かな手ごたえを感じて、それで「今後も」となったのでしょう。それを自分で判断し、自ら来たのは自立心の芽生えと前向きに捉えてもいいのかなと思います。私に勉強の内容を決められたら絶対に大変になるのは目に見えているのに、です(笑)。今年の生徒は過去最高に積極性がある子が多い気がします。グイグイ来る子は伸びます。

 

そんなわけで、希望する中3生に対してはもう少し勉強の管理を続けていこうと思います。続けていく中で、「もっと!」となって私の手を離れていく子が出てきたらすごいななんて期待しています。離陸までの補助、そんな感じで利用してもらえたらいいなと思います。

夏期講習終了!

本日で中3受験生の夏期講習が全て終わりました(^^)/

 

コロナの都合で日程も直前までバタバタになり、本当に初めはどうなるかなと思っていましたが、ふたを開けてみればとても良い会になったと思います。生徒たちもみんなよく頑張りました。

 

夏期講習としては終わりましたが、大切なのはここからです。生徒たちの勉強はまだ続きます。夏期講習で伝えた勉強への姿勢を維持したまま勉強を続けていってもらいたいです。これからまだまだ伸びると確信しています。

 

毎年、夏期講習が終わる時に一抹の寂しさのようなものを覚えます。大きなイベントが終わる「祭りの後」のような気持ちや、この子たちに関われるのも残り半年なのかという湿っぽいものも感じてのことでしょう。しかし、今年は中3理社特別講座で土曜日に集団授業をしていて、集団授業好きの私としては、楽しみがまだまだ続きます(^^)/ 夏期講習を経て、雰囲気もちょっと変わるかなと思っていて、これもまた楽しみです。まだの人で参加したい人がいたら言いに来て下さいね。こちらも全力で行っています!

 

ここからは中学生の中間テストです。また集中して頑張ります。

柔軟に対応できるようになる

高3生の英語長文の指導をしていて、初見の文章を訳させてみるといろいろなことが分かります。

 

例えば英単語についてですが、単語帳は一通り身に付けている生徒でも、実際に英文の中で上手に使えていなかったりします。

 

単語の意味は言えます。でも英文を訳すときに出てこなかったり、ちぐはぐな訳になってしまいます。生きた単語力になっていない感じです。

 

単語帳だけの練習だと、1問1答式のようになってしまうのかも知れません。文脈で意味を少し変えてみたり、その前後で判断してみたりするといったことがまだまだです。例えるなら、テニスでラケットを振るフォームはしっかりできているのですが、飛んできたボールに当てられていないような感じです。

 

きっと、英文を読んでいくうちに少しずつ蓄えた知識の「使い方」が分かってくるのだと思います。臨機応変に対応する練習を積ませたいと思います。

小さな塾だからできること。

人は環境によって良くも悪くも変わると思います。

 

もくせい塾の自習室利用状況ですが、在籍する生徒の8割が毎日自習に来ます。これは小学生も含めての数字です。中学3年生には基本毎日来ることをお願いしていますが、他の学年にはほとんどそういうことはありません。そう考えるとこれはなかなかすごいのではないでしょうか。

 

「自習室完備」を謳っている塾は多くありますが、その自習室の利用状況はまちまちだと思います。私が前に勤めていた個別指導塾では受験直前期(12月くらい)になると全席埋まる日があるといった感じで、その時に在籍生徒の3割弱くらいの利用率になっていたと思います。もっとも、母集団が多かったので全員分の自習席は用意することができず、キャパの問題もあったと思います。(当時本部の了承も得ずに講師の控室を改造し、勝手に自習席を増やしていました。他の塾長の方もやっていてバレて怒られていたので、ダメだったんでしょうねあれ(^_^;))今のもくせい塾は非常に生徒数の少ない塾なので、良くも悪くも上記のような数字の達成が可能になっています。

 

もくせい塾は指導スペースの4倍の自習スペースを設けていますが、それも定期テスト前には満席になってしまいます。現在ビルの3階を借りていますが、2階でやっていたときの2倍の広さ(家賃も…)です。こう考えると、塾生の人数は2階でやっていたときと大差ないので環境によって生徒のほうが「変わった」と考えることができそうです。生徒たちが自ら勉強に来るようになったのでしょうね。

 

自習室のある塾に通わせたのに子供が自習に行かないという保護者様のお悩みをよく聞きますが、自習室にはイスと机の他に、「雰囲気」も必要だと思っています。みんなが当たり前に自習にくる雰囲気、これこそが塾に必要な環境だと思っています。

笑い疲れた日

今日も中学生の夏期講習を朝から行いました。

 

世間では4連休のようですが、もくせい塾の受験生たちは夏期講習でした。本当によく頑張っていると思います。

 

ちょっとねぎらいの意を込めてじゃないですが、午後のテストの時間に少し勉強を絡めたレクリエーションのようなものをやりました。かなり盛り上がったので良かったです。30分くらい全員ずっと笑いっぱなしだったので、その後の授業や自習で疲れてぐったりしちゃってる子もいました。…ちょっとやり過ぎちゃいました(^_^;) 今日はぐっすり眠って下さい。

 

受験勉強が辛いだけのものではなく、時には楽しい思い出も残ればいいなぁと思っています。何かに対して本気の仲間と過ごす時間はかけがえのないもので、そうそう得られる経験ではありません。彼らがのちのどこかで、このもくせい塾で過ごしたことを思い出してくれれば嬉しいなぁと思います。今は夏期講習で中3の生徒たちの雰囲気もとても良いものになっていて、このまま講習が終わってしまうのがちょっと勿体ないくらいです。夏期講習は残り2日、最後まで走り抜けましょう!

ステップを踏むのが大切

昨日の夏期講習では日程的に暗記テストを行わない日だったので、その時間を使って普段できないことをやりました。

 

そのひとつが面積パズルです。四則計算が分かる小学校低学年からできるものなのですが、これが良く練られた問題ぞろいで中学生も苦戦します。頭をモッツァレラチーズのように柔らかくして考えないと答えが出せません。しかしこのパズルを続けると、図形に対する見方が代わります。柔軟性が身に付きます。みんな楽しそうにやっていました(^^♪

 

そして英語の授業の時に「途中式を書く」ことを伝えました。英語なのに途中式とはなんでしょうかという話なのですが、よく能動態と受動態の書き換え問題に疑問文があります。その疑問文の問題は一気に答えを書こうとせず、「まずは疑問文を肯定文に直し」てから態を変え、そしてまた疑問文にするという手順を踏ませました。

 

能動態の疑問文→能動態の肯定文→受動態の肯定文→受動態の疑問文

 

というように、少し回り道をさせます。数学で暗算をしようとする子もそうですが、まだたいして計算力が無いのに楽するために暗算しようとして間違えるような場合は、途中式をきちんと書かせるに限ります。上記の英語でも同じことで、一気に答えを書こうしても英文法がそこまで強くない場合は間違えてdoを先頭に書いてしまったりします。だから、英語でも「途中式」なのです。

 

少し思考がジャンプするような場面では、きちんとステップを作ってあげることで間違えずにできるようになります。1段飛ばしはもっと慣れてからやるようにしていきましょう!

小論文の添削

小論文の添削指導が好きです。

 

扱う小論文はあくまでも試験なので、指導では試験で点が取れるように構成の型などを作ってしまいがちですが、とどのつまり、読み手(採点者)を納得させられるかどうかというところにかかってきます。

 

設問に対して正しく返答できているか、それが理にかなっている内容か。たったそれだけのことですが、高校生がいざやってみると意外と難しいようです。初めて答案などを見てみると論文の形になっていればまだ良いほうで、素っ頓狂で答えになっていなかったり、支離滅裂だったりして、毎年なかなかに「熱い」ものが見られます。それをトンテンカンテンと叩いて形にしていくのですが、私は型にはまった文章よりもこの何も手を加えられていないもののほうが好きで、直してしまうのが勿体ないなと本当は思っています。でも、大学入試で必要なものですからね。

 

人に見せる文章を書くのは難しいです。私も普段ブログを書いていて、どれだけ読み手の読解力に頼り切ってるんだろうかと思っています(^_^;) きっと小論文を学び始めた高校生たちもまずはそれを感じると思います。思っていることを表現しきれないもどかしい気持ち。自分の中では理屈が通っているのに、添削を受けると直しで真っ赤っか。文章ってなんて難しいんだろう。

 

でも練習していくうちに技術が身に付き、自分で言葉を操れるようになってくると今度は「楽しさ」を感じられるようになります。何より自分の文章を「誰かに見てもらえる」ことの喜びを知ることになります。そういえば私も、文章を書くのが好きになったのは大学生になってパソコンを手に入れてからだなと思い出しました。それまでは文章を書くことは苦痛でした。今では人が苦心して書いた文章に偉そうにペンなんていれちゃってますが、かつては私も支離滅裂の素っ頓狂でした(今もそうかも。)。

 

勉強こわい

各中学校・高校の中間テストまで、およそ1ヵ月前となりました。このあたりから準備を始めていきたいところです。

 

定期テストの勉強はまずはワークを一通り埋めてしまうことからです。何度も反復するための準備でもありますし、今回のテストの全体像をつかむ為でもあります。どんなことを勉強すればよいのかが分かれば、どのくらい時間をかける必要があるのかが分かります。

 

テストで点を取れない生徒の多くが、全体像をつかまないままテストに突入していると思います。ゴールが分からないまま進んでいる。(もしくは進んでいない。)だから勉強の勘所をつかめないままテストに臨み撃沈します。人は自分が知っていることに対して興味を持つ傾向にあるそうです。一度見た映画や読んだ本をまた見たく読みたくなったりするのはそのためだとか。勉強でも、まずはサラっとでいいので範囲の内容を全てさらってしまってからの方が、何も知らない状態で進むよりも興味が湧いて進みやすいです。

 

入塾希望の保護者様から、「ウチの子テスト前でもダラダラしていて、提出物のワークもギリギリになってやっと答えを見て埋めて提出するくらいなんです。」という話をよく聞きますが、これもそうなんじゃないかなと。もしかしたら勉強に対しやる気がないのではなく、知らないことが「怖い」と感じている子もいるかも知れない。だったら知ってしまえばいいだけのことです。まずは全体像を見せてしまう。そこから少しずつ深めていけば前知識があるので怖くないですし、興味も持てるかも知れません。

 

少しテスト勉強の話からそれますが、勉強が苦手で意欲を無くしてしまっている生徒に対して、もう一度戻ってくることが前提で「直しなんてやらないでいいからどんどん進んでみよう」と言うことがあります。とりあえず進んでみて振り返った時に、「これは知ってるぞ。」となると結構頑張ってくれるものです。はじめからガッチリ解けるように指導して間違えたところを指摘し、「次は絶対に解けるように」と圧をかけながら指導してしまうと、間違えることが悪いことのように感じてしまうかも知れません。そして「勉強怖い」となってしまいやる気を無くしてしまう気がするのです。

 

間違えたり正解したりするから勉強は楽しいと感じられるもの。新しいことを知って自分が成長するのが嫌な人はいないと思っています。ですから勉強嫌いの子って、間違えたときに嫌な思いをしたとか、そういうことが原因のことが多いんじゃないかなぁと考えています。もちろん期限のある勉強もあるので全てこのようにはいきませんが、「できなくてはならない」は子供ではなくその周りの大人の都合です。だから、「間違えてもいいから先に進もう」と伝える。その先にもう一度同じ分野を設定したりして周りの大人が汗かいて工夫してあげれば、まあなんとかなるかなと思っています。

まんじゅう超こわい

小学5年生の国語では、ちょうど落語「まんじゅうこわい」のあたりを通り過ぎました。

 

小学生にもこのユーモア分かるかなぁなんて思っていたのですが、意味が分かると(・∀・)ニヤニヤ としてくれるので、「ああ、伝わった。」と安心します。

 

ボソッと、「先生は今カレーライスがこわいよ」なんて言うと笑ってくれたりして、なんだかほっこりします。

 

どうも世の中はAと言ったらAだと受け取ってしまう風潮が大きくなってきていて、こうした言葉の裏を読み取ったりするようなセンスが通じにくくなってきたように感じます。

 

夏期講習などをしているときに、どんな笑いが中学生にはウケるかなと思ってアレコレ試しますが、やっぱり変な言い方とか表面的なのが一番ウケます。一方、私の渾身のジョークは今の子供たちには深すぎてすでに通じず、寂しい限りです。小粋な言葉遊びを披露してもみんな「?」です。子供たちにはもっと語彙力を付け、言葉のセンスを磨いて欲しいなと思っています。(私がただスベり倒しているだけということは無い…はずです…よね?)

第4回北辰テスト

第4回北辰テストが返却されました。

 

前回よりも平均偏差値はだいたい2ポイントの伸びでした。しかし前回までは自宅受験だったことや、新たに受験者数が増えたことなどを踏まえるとちょっとよく分かりませんが、継続して受けている生徒ごとに見ると伸びている子が多くて安心しました。夏期講習の効果も出ていそうです。しかし下がってしまった生徒もいるので次にリベンジしましょう。

 

全員ではありませんでしたが、今日は塾に来た順に呼んで北辰テストの結果から勉強のアドバイスをしていきました。その中で、受験校の質問や勉強の内容についての質問なども出てきました。日ごろはあまりできることではないので良い機会だったと思います。今後に生かして頑張っていってもらいたいと思います。

勉強は、勉強だけを教えていても伸びない。

中3の夏期講習が残るところあと5日となりました。学校も始まり、飛び飛びの日程だったのでどうなるかなとは思っていたのですが、良いところもありました。

 

その1つは、暗記テストを長期間にわたってできたことです。夏休み期間に凝縮して行うよりも、2ヵ月間に渡ってずっと行ってきたので定着もだいぶ良いように感じます。同じ内容を2周3周と繰り返していることも良い方向に働きました。今年の3年生は例年に比べ暗記がの定着もスピードも遅かったです。漢字テストなど、書き物の出来は良いのですが、暗唱をさせると言えないというのが夏期講習初めの頃の印象でした。それまで音読など声を使った勉強の経験があまりなかったのだと思います。

 

ですが環境に適応するものですね。今はずいぶん慣れてきて、去年までの受験生と比べても遜色なくなってきました。平均的な学力の伸びはもしかしたら一番になるかも知れません。真面目にコツコツやるタイプが多いので、そういう子が要領の良さを身に付けつつあるという感じです。本当に勉強は「音読」を取り入れるべきだと思います。そうすれば様々なことに対してスピードが向上します。

 

逆説的な言い方ですが、例えば勉強が苦手の生徒が勉強を教わってもなかなかできるようになりません。それは、勉強の周辺の状況が良くない場合が多いからです。暗記力が弱いとか、集中力が続かないとか。そういった学力の周辺の力を改善させることができれば学力も伸びていくと思っています。できる子ならば、その力を得ればものすごい伸びをしたりもします。もくせい塾の夏期講習では、そういった能力の開発のようなものも意識して行っているのですが、そのひとつが暗唱です。今年の生徒たちもその効果はずいぶんと実感できていると思います。もう少しです、最後まで駆け抜けましょう!

お願い

生徒が塾に来る途中に車の前に飛び出したらしく、車のクラクションが鳴らされていました。注意はしましたが、ご家庭でも交通安全に対してはご指導ください。

 

もくせい塾の立地の都合上、横断歩道が少し離れたところにあり、そこを渡ったとしても歩道の無いところ(車道)を歩かざるを得ません。したがって目の前まで歩道側を来て、そこから横断歩道の無い道路を横切ってくる生徒が多いのですが、ちょうど生徒が塾に来る時間と仕事帰りの交通量が多くなる時間が重なっており大変危険です。お気を付け下さい。

 

また、自転車置き場周辺でのごみのポイ捨て、おしゃべり等の迷惑行為もなさらぬよう、今一度徹底するようお願い申し上げます。

生徒を叱らないことと、大切に思わないことは別

塾の環境を預かるものとして、それを乱す出来事に対してはしっかりと対処しなければならないと思っています。それがもくせい塾に通ってくれている生徒たちに対する礼儀です。

 

以前、雇われ塾長でやっていた個別指導塾の自習室は生徒のおしゃべりがあったり、禁止されている飲食がなされていたりと、あまり良い環境に保てませんでした。それは、私が塾長として弱く、生徒にそれを見抜かれていたからだと思います。「どうせちょっと注意されるだけだし。」と、簡単に言うと舐められていたのですね。

 

私がザワザワしている自習室に入っていって、それを見た生徒たちが一瞬おしゃべりを止める。そして私が出ていくとまたザワザワし出す。それを1日に何度も何度もやっていました。そして業務が終わったあと、自習室に行き、机の上に残された空のペットボトルや、そこに落ちているはずのないお菓子の包み紙を黙って拾ったりしていました。

 

毎年当然のように、「自習室がうるさくて自習の邪魔になる」というクレームが生徒から入ってきます。そのたびに自習室の巡回を増やし、「塾長に見つかったら面倒だから真面目にやってるフリしよ。」という生徒の演技を見に行きます。今思い返すと、根本は何も変えることができずにただの対処療法(にすらなっていない)でした。

 

当時雇われ塾長だった私は、生徒の数を増やし、売り上げを増やすことで評価を受けてお給料をもらっていました。会社なので利益を求めるのが当然で、社員はその為にいます。ここに異論は全くありません。ですがそれを意識し過ぎていたのか、一人でも多く生徒に入塾してもらいたい。そして1度入ったらできるだけ長く続けてもらいたい。そんな思いに縛られていました。今考えると上司は理解のある方で、問題行動を起こす生徒の相談などもできてはいました。が、それでも私は生徒を減らし自分の「評価」が下がることを恐れていたんですね。だから塾生が不利益を被る可能性のある生徒であっても辞めさせることはできず、ただ「なぁなぁ」の注意にとどめてしまっていたのでした。生徒を辞めさせて、悪い評判が立ってしまったらどうしよう。そんなことも考えていたかも知れません。本当に恥ずかしいことをしていました。もちろん当時の会社にいた他の塾長の方々がみんなこんな感じだったわけではなく、私はただただ当時の自分を恥じ入るだけです。

 

そんなわけで、「自習室がうるさくて」ということを勇気を出して言ってくれた生徒に対しては、今思うと、むしろそっちのほうをなだめるような対応をしていたのかも知れません。真っ当なほうに我慢してくれなんて、事なかれ主義の極みです。塾生に対し仁義を貫くことから逃げていました。

 

そういった過去の反省があり、今のもくせい塾では「勉強に対して真摯でないこと」に対してうるさいです。自習中の居眠り・おしゃべり、理由の無い遅刻・欠席、勉強をサボる等々。これらの行為は他の生徒にも影響が出ます。一生懸命やっている生徒たちの中にこういった状態の子がいると目立ちます。そしてその様子を見てしまうとやる気が殺がれます。私は勉強の最終到達点のひとつは、「他者への想像力」の育成だと思っています。塾はみんなで使うもの。そこには過ごし方だって関係してくる。自分の頑張りは他の誰かに必ず伝わる。だからこそ、周りの目を気にして過ごして欲しいのです。

 

今でも生徒を叱るのには勇気がいります。この注意は必要か、ここまで厳しくする必要はあるのか。おそらく厳しすぎて辞めていった生徒も結構います。もっと甘くしていれば残った子たちです。そういう子たちには、申し訳なかったなと思っています。それは、厳しくして申し訳なかったではなく、そういう子が伸びる環境が作れなくて申し訳なかったという意味です。

 

私自身、叱った後良い気持ちであることは当然ありません。気分が落ち込み、「注意しなければ良かったかな」という思いにグラッと傾きかけることもあります。叱ったりしないほうが楽です。生徒を叱った日はなどは精神的にどっと疲れて、その日の仕事が終わりません。でも生徒への接し方を「なぁなぁ」にしてしまった瞬間から、教室の空気はどんどん汚れだし、その汚れを嫌がって真面目に勉強する生徒が少しずつ減っていきます。教室から託児室への変化の始まりです。それは嫌だ、そうはしたくないと思って踏ん張っています。

 

ですから「ウチの子叱らないで。」と言われるのはちょっと困ります。もちろん何もなければ叱りません。しかし「学力を伸ばすこと」を求めて塾に来た以上、その妨げとなる行為は修正せねばなりません。それは、自分だけに及ぶならばともかく、他の生徒に影響が出ることに対してはできるだけその場限りで修正し切る必要が出てきます。だから叱ります。幸い、今の塾生保護者の方にこういうことをおっしゃる方はおらず、「どんどんやっちゃって下さい!」とまで言って下さる方もいらっしゃいます。ですから、自分の正しいと思うことを貫けていて感謝の限りです。感謝して、あの時の惨めな自分を忘れないようにしていきたいと思います。

 

今通ってくれている生徒たちに対しては、勉強に対して真摯でいて欲しいと思っています。ですが時にそれが揺らぐことだってあります。誰だってそうだと思います。私だって、仕事に対してずっと真摯な気持ちでいられているかというとそんなことはありません。ですから、生徒がそういう時はきちんと叱ります。それを受け止めて、また軌道修正して戻ってきてくれればいいなと思っています。戻ってきてくれた生徒に対しては全力で抱きしめてあげたいと思っています。(セクハラになりかねないので実際にはできませんが。心の中だけで。)ここは「みんなが頑張る場」、もくせい塾です。そのマインドを共有してくれる生徒を全力で応援しています。

なんとなくではダメだ、カメラで写したように正確に覚えよう

授業で暗記テストを行うとき、「そのまま再現」を求めます。

 

例えば英単語帳のテストを行うとき、holdの訳が「開催する」と載っていた場合、「開く」と言ったらアウトです。もちろん意味は合っているのですけれどね。テストではアウトということにします。

 

 暗記テストでは覚えて欲しいことを暗記してもらうのですが、それと同時に、「覚えること」の訓練も兼ねていると思っています。暗記の力を伸ばすには、徹底してそのまま再現できるようにするのが一番です。「なんとなくできているけれど」という程度ではすぐに記憶が抜けてしまいます。鮮明に記憶が残るまで徹底して脳に焼き付けるくらいの暗記をしていければ、簡単には忘れません。

 

そのままという意味では、いくつかの意味が載っている多義語の場合はその順番も載っている順に言えるようにすることを求めます。勉強のできる生徒は、教科書の何ページのどのあたりにどんな説明が載っていたかまで覚えている子もいたりします。学校の勉強での優劣は、その解答の再現性の精度と言い換えられるかも知れません。ですから、「そのまま再現」です。しかし順番通りに覚えたほうが楽だと思うのですが、なかなか難しそうですね(^_^;) 最近はテストをすると逆から言ってしまう子が多くなってきているような気がするのですが、これは何かが影響しているのかななんて気になります。

 

私が中学生の時に通っていた塾では、「てにをは」が違うだけで不合格(&ビンタ)だったのですが、それでずいぶん助けてもらった思いがあるので、もくせい塾でも少しずつそうしていきたいとは思っています。(ビンタはできませんが。)

全力疾走が求められる

富士中の中間テストが10月19日です。他中学もこの時期に中間テストがあるのでそろそろ1ヵ月前です。

 

しかし中3受験生にとっては、10月4日に北辰テストもあります。ですから完全に中間テストに集中することができず、毎年受験生にとっては大変な時期です。

 

生徒から「どちらを優先したらいいですか?」と聞かれることもよくありますが、「どちらも頑張れ(^^)/」と答えています。もしも本当に両立が難しいのなら、私立高校入試の参考資料として北辰テストはあと2回であることを踏まえた上でどうするべきか考えたほうがいいでしょう。(12月の北辰テストも参考資料にできますが、入試直前にバタバタすることになるのでその前に決めてしまったほうがいいと思います。)

 

どちらも頑張るためには、1日の勉強の配分を時間で分けておくと便利です。5時から7時までは入試の勉強をして夕食休憩をはさみ、8時から10時までは学校で進んだ内容の勉強をする。このように時間で学習内容を分けてしまって、その配分を中間テストが近付くにつれて変えていくといいと思います。3週間前までは受験勉強と学校の勉強の時間を8:2くらいにしておき、3週間を切ったらそれを逆転させ、1週間前からは完全に中間テストの勉強にするといった感じです。

 

この後も、期末テスト期間を過ごしながら11月の北辰テストを受けることになります。そこでも「両立」が求められることになるので、今からそれを意識して勉強することは無駄にはならないはずです。いずれにせよ「時間は無い」ことを自覚して勉強していかねばなりませんね。頑張れ受験生、生き急げ!

勉強の臨み方

日頃から全力を出すことをしておかねば、いざという時に本気を出そうとしても最大限のパフォーマンスは出ません。

 

お父さんが、子供の運動会で保護者対抗リレーに出たときのことを思い浮かべて下さい。日ごろからジョギングなど運動をしているお父さんは颯爽とトラックを走っている傍ら、運動不足のお父さんは何もないところでつんのめったり気持ちだけが逸って体が追い付かずに転んだりしています。

 

ただそういうお父さんであっても、学生時代はみなさんと同じように走れていたのです。それがやがて仕事が忙しくなって運動する機会が減っていき、50メートルを走り切ることができなくなってゆきます。(世のお父さんは、走ることよりも家族を守ることに本気になってゆくのです。)

 

勉強も同じで、日ごろから本気を出しておかねばテストなどでいざ頑張ろうとしても良い結果はついてきません。日常の勉強の中に真剣勝負を持ち込まない限り、テストなどの本番では気持ちが逸るだけで頭はついていきません。したがってつんのめったり転んだりした点数を取ります。

 

では、どうすれば日頃の勉強に本気を持ち込めるのか。それは「完璧」を求めることです。暗記をするならばそこにある知識全てを頭に入れること、計算をするなら1問も間違えないようにすること。時間制限を設けるなら設定時間の8掛けで解き切ること。ルールをできるだけ厳しい条件で決めて行えば、それだけで本気度がグッと上がります。「このくらいでいいか」と一瞬でも思ってしまったらそれはもう本気ではありません。

 

中3受験生の中で、北辰のかこもんを解いていて同じ科目でも偏差値がかなり上下する子がいます。もちろん習得度の違う分野が出題されていることも原因として考えられますが、数学の大問1の計算でボロボロ落とすこともあったりするのはやはり「本気度」が低いときなのではないか、そんなことを思います。できているときはできているので。その問題への「臨み方」みたいなものでも結果は変化します。ただなんとなく漫然と問題を解いていないか、一度振り返ってみるべきです。

 

問題を解く前に机の上に余計ないものを出していないか。自分の志望校を想像するか。自分の目標を頭の中で思い描いているか。注意事項を頭の中で復唱しているか。目を閉じて集中力を高めようとしているか。名前欄に必ず名前を書いているか。精神論ではありますが、甲子園球児のようにマウンドに一礼する姿勢みたいなものが備わっている子はやはり安定して実力を出せている気がします。

面倒見の良さは生徒に楽をさせることじゃない

もくせい塾を立ち上げる当初からずっと思っていることのひとつに、「生徒の機会をできるだけ奪わないようにする」ということがあります。

 

子供の代わりに何かをやってあげることは一見良いことのように見えますが、実は子供がそれをやる機会を「奪っている」ことにもなっているのではないでしょうか。例えば塾の現場では、生徒が分からない言葉にぶつかったとしたとき、講師が教えてしまったほうが絶対に速いのですが、それをあえて時間をとって辞書で調べさせます。生徒が調べている間、指導は止まりますし時間は過ぎてゆきます。実は講師の視点としては、それを我慢して待つのはそれなりにストレスを感じる時間です。しかし、その手間を惜しんで意味をさっさと教えてしまった瞬間に、生徒に依存体質の種を一つ植えてしまう。それが続くとやがてその種が芽を出し、「誰かがやってくれるだろう」と自分では動こうとしない人間になっていきます。これでは私の目指すものとは正反対です。

 

そもそも子供のチャンスを大人が奪ってしまう理由は、大人側の都合であることが多い気がしています。子供に任せていると時間がかかってしまうから。自分でやったほうが速いし正確だ。もし任せて間違えてしまったら、それを訂正するのが面倒臭い等々。こうした大人側の理由によって子供の学びのチャンスの芽を摘むのは実はとても残酷なことなのではないかと思っています。

 

昔、個別指導塾の塾長をやっていたときに、こうした「手厚い」指導の弊害を何度も見てきました。講師が生徒にどんどん「教えてあげる」。もちろん講師に悪気があるわけではありません。その塾では手厚く指導することが正しくて、60分なら60分、その授業時間内一生懸命「仕事」をしているだけです。でもその一方で、生徒は授業を傍観しています。先生が頑張るのを生徒が見るというねじれた状況です。それこそ生徒は塾に来てから声も出さず、手もほとんど動かすことすらなく帰るなんてこともありました。そうして先生が一生懸命になればなるほど、生徒は授業の端役に追いやられてしまう。先生が主役として歌って踊る授業です。なんでもやってくれるから生徒受けはいいのですが、それが学力に結びついているかというと「?」と思わざるを得ませんでした。逆にどんどん先生に依存し、学校で出された宿題ですら塾の授業で先生に解いてもらうような状況になってしまっていた生徒もいました。今考えると恐ろしいです。

 

そこで話がはじめに戻りますが、生徒に機会をたくさん持ってもらう。バッターボックスにたくさん入ることができたらその分ボールを打つ可能性だって上がります。そうして打ったフォームから、「これがいいんじゃないか」と思えるものが出てくる。これが勉強をしていくと得られる知恵になってゆくのではないでしょうか。だから講師の仕事は、自分がバッターボックスに入るんじゃなくて、コーチとして生徒をバッターボックスに立たせることにあると思っています。そんなわけで、単語の意味を聞きにきた生徒に対して、「そこに辞書があるから自分で調べろ」ということになり、生徒受けはすこぶる悪いです(^_^;)

抜けているところを埋める勉強

昨日は9日ぶりに夏期講習でした。授業の前に暗記・暗唱テストがあったのですが、まあぁぁ~、9日も開くとできなくなっています。1発合格者の少ないことといったら(^_^;)

 

もちろん知識は1回や2回程度の繰り返しでは身に付きません。ですから何度も何度も反復し、脳に「これは大切な情報だ」と思わせて忘れにくい記憶にしていかなくてはなりません。

 

入試の勉強は「どれだけ頭に残るか」が大切だと思っています。例えば偏差値で65くらいの成績だとだいたい全体の上位7%くらいの学力ですが、そういう子が何か特別なことをやっているかというとそんなことはありません。他の生徒と同じ授業を受けて、同じ教材を使って勉強しています。ではそういう子はどこが違うのかというと、「身に付いている」内容が他の子より少し多いのではないかとみています。つまり、勉強は「習ったことを忘れる」のが当たり前で、その中でどれだけ「忘れないでいられるか」なのではないでしょうか。

 

問題をどんどん解き散らかしている子がいたりしますが、そういう子は自分の回答に無頓着な場合が多く、問題を解くことにより得られる新たな情報が頭に残りません。したがって、今の力で解ける問題を解いているだけで、解けない問題はそのままになっています。いわば、かみ合って歯車を一生懸命ぐるぐる回しているだけの状態です。問題を解くことには一種の達成感があるので、それを何のために行っているのかを見失ってしまうとこうなってしまいます。

 

今までに学んだ知識の点検をして抜けているものを補っていく。その知識の定着をさせる為に問題演習がある。そう考えて勉強していけば、全ての歯車がガッチリとかみ合い、大きく力を伸ばしていくことができるはずです。同じものを何度も暗記テストしているのはその為です。