ワークを暗記しろ、でも答えを暗記するな。

国語は不思議な科目です。定期テストの問題に使われる題材は(初見問題を除いて)学校の授業ですでに扱われた文章です。学校の授業で教科書の文章を扱い、解説されたことがそのまま出題されます。

 

だから定期テスト国語の勉強は、学校のワークを丸暗記することが正解だと思っています。「授業で習ったことをテストで確認する」という定期テストの存在理由が最も正確に施行されるのが国語のテストなのかも知れません。(あ、でもここで「暗記偏重の指導のせいで子供の学力が~」と批判するのはちょっと待って下さい。あとでこれが役に立つという話につながります。)

 

 

しかし、模試や入試の国語ではその様相はガラリと変わります。定期テストとは異なり、まず同じ問題は出されません。勉強が進んでいくと、どこかで読んだことのある同じ文章の全く同じ問題を見かけることがごくたまにありますが、それにぶつかる頻度を考えると「答えを覚えておけば解ける」というレベルのものでは到底ありません。ですから、入試など「本番の」国語の問題には、その「解き方」を身に付けて対応するしかありません。それはつまり読解力。文章をちゃんと理解して読み、聞かれたことに正確に答える技術を身に付けておくということです。

 

学校の定期テストの勉強の話に戻ります。学校の授業では、「これこれこうだから主人公はここで『顔が赤くなった』んだよ~。」なんて登場人物の行動を解説されます。そしてその部分の問題の解答を学校のワークで「覚える」。そうすることで、解答を導き出す思考プロセスを反復することができます。なぜこの答えになるのか、それは主人公が「これこれこうだったから。」と。

 

また記述の解答を暗記をするときには、それがどのように締めくくられているかも気にしなくては暗記できません。『なぜ』と問われれば『~から。』、『どんなことが』と問われれば『~こと。』。暗記の為にこれを意識していくことで、質問に対して正確に答える技術も身に付きます。

 

これらは結局、入試国語の初見問題を解き進めるための「技術」ですよね。一見暗記というと「ただ答えを覚えて、その通りにテストで吐き出すだけ」というように思えるかも知れませんが、そうではなく技術を覚えるということにつなげるということです。定期テスト国語の勉強に対し、「ワークの暗記」という手段を取り、それで国語の読解力と言われるものも身に付けていくこともできる。そんな風に思います。

 

ただし、国語の読解力は学校の授業だけでは伸びません。それは国語という科目の特性によるものですが、授業だけで賄うには圧倒的に「読む文章量」が少ない。だいたい定期テストの出題範囲は作品3つ分くらいがまとめて出されますが、それも教科書に載っているのは作品を抜粋した一部です。数学の計算問題などで言うと、定期テストまでにその気になれば同じパターンを200問くらい解くことができます。ですが国語の場合、同じパターンの問題はあって数題、下手したら1題しかないこともあります。3つくらいの作品の中から数題ずつ同じ問題パターンを演習するだけだと、年間で得られる経験値がとても少ない。文章を読むことに慣れることすらできません。ですから国語に関しては、普段からの読書量というのが地力の差となって明確に表れるのだと思います。