もくせい塾では、入塾時の生徒の学力は関係ないと考えています。大事なのは「そこからどこまで伸びたか」です。だから入塾基準も無ければ、入塾テストも行っていません。
そんなもくせい塾で頑張った生徒たちの記録、「足跡」をここに残します。塾選びの参考にしてください。母数の分からない「○○名合格!」よりもずっとリアルに感じてもらえると思います。
中2の3月に他塾から転塾。中2の学年評定は29。
中3の1学期通知表は33、2学期になると35と2年次から6ポイントアップ。正直なんでそんなに入塾前が悪かったのか分からない。中2の3学期期末テストの順位は183位だったが、中3の1学期期末テストで60位の123人抜き。
北辰テストは3年の第2回こそ偏差値54.8だったが、第3回で57.3、第4回60.6、第5回60.7、第6回62.6と上がり続け、第7回は自己最高の64.6まで伸びた。夏以降は偏差値60を切ることは無かった。
通知表は足りていなかったが越谷南高校を受験し、合格。
高校では360人中の上位20%以内をキープし、成城大学を受験。合格。
中1の10月から入塾。
中1・中2の時はあまり結果が出せなくて苦しんだ。中1の定期テストの順位は132位、126位、139位、146位。中2では163位、132位、110位、143位。しかし、中3になり実力が発揮できるようになった。中3の2学期中間で84位、期末で93位。
北辰テストの偏差値は第2回で51.2だったのが、夏休み以降の第4回で59.2、その後も上下しながらも58前後をキープ。
浦和学院高校を受験し、合格。
中2の4月から入塾。
コツコツ真面目に勉強するタイプで、通知表は志望校に届いていた。しかし中2・中3の時の定期テストの順位は100~70位あたりで実力的に不安があった。
北辰テストの偏差値は、第2回が53.8、第3回が52.0。しかし夏休み後の第4回で60.1と、一気に60を突破し、第6回で自己最高の62.6まで上がる。社会が偏差値40から64まで伸び、英語・理科が50台から安定して60台を取れるようになったことで苦手な数学をカバーできるようなった。
越ヶ谷高校を受験し、合格。
小6の2月から入塾。中1の1学期期末テストの順位は81位。
その後上下しながらも、中1の3学期期末テストで62位、中2の1学期期末で37位、3学期期末で19位と徐々に順位を上げ、3年の2学期中間で7位になりトップ10に入る。
北辰テストの成績は第1回偏差値が63.5。第3回で66.0、第5回で69.8、第6回には70.9と、70を超える。この頃になると勉強にハマりだし、勉強時間の長さに「お母さんストップ」がかかるようになる。
早稲田大学高等学院を受験し、合格。
後日談。
高校のはじめの定期テストでクラストップを取ったとの報告があり、努力の人は結果を出すことを証明してくれた。
小5から入塾。中3になり受けた第1回北辰テストは偏差値49.0。
中1での定期テストの順位は110位、108位、82位、87位とおおむね順調に伸びていくが、中2になり「中だるみの時期」に突入。定期テストの順位が114位、124位、120位、147位と下降していく。そして受けた中3の北辰テストでは上の通り。
そこから受験勉強は始まった。第2回北辰テストは52.1、第3回で54.7と順調に伸びていき。夏期講習受講後の第4回北辰テストで56.0。続く第5回で56.7と自己最高を更新。
浦和学院高校を受験し、合格。
中2の7月に入塾。中2の1学期期末テストの順位は164位。
定期テストの順位は不思議なくらいに順調に少しずつ上昇し続けた。中2の2学期中間は163位、2学期期末128位、3学期期末125位、3年の1学期中間118位、2学期中間111位、2学期期末98位。トータルで66人抜きを達成した。
一方北辰テストの偏差値は一気に伸びた。3年第1回が偏差値53.8、夏前の第3回は51.2から夏期講習後の第4回で59.2となった。
通知表の成績は足りていなかったが草加高校を受験し、合格。
中2の3月に入塾。中2第2回北辰テストは、偏差値55.7。
中3の1学期期末テストの順位は82位。3年第1回北辰テストでは偏差値59.1、夏前の第3回北辰テストは61.7まで伸ばす。
夏期講習を受講、夏休み直後の第4回北辰テストは偏差値64.7。
中3の2学期中間テストの順位は32位。期末テストでは15位まで順位を上げる。第6回北辰テストでは最高の偏差値65.6を取る。
越谷南高校を受験し、合格。
高1の1学期中間テストで、学年401人中2位。すごい好成績だと思ったのだが、これが更に本人に火をつける。
高1の1学期期末テストで学年1位。その後3年終了時まで、定期テストはずっと学年トップを死守する。
高1の1月に実施された進研模試で、校内偏差値84.9をたたき出す。本人は、「学校の先生から『君ならできるでしょ』的な事を言われて嫌だ」と言いながらも手を動かし続ける。
青山学院大学を受験し、合格。
中1の9月に入塾。1学期の通知表はオール3プラス1、2学期はオール3マイナス1。
3学期になり少しだけ伸び、通知表は31に。しかし1学期・2学期の成績が響き、学年評定は30。
定期テストは、中1の2学期中間が218位。2学期期末192位、中2の1学期期末165位、2学期期末78位と改善したが、2年次の学年評定も30止まり。テストの成績以外の項目にCがつくこともあり伸び悩んだ。
3年生になり定期テストの成績は上下を繰り返すが、2学期中間で最高順位60位を取る。北辰テストは第1回偏差値が58.2、夏期講習受講後の第4回で最高位の64.1を記録。その後偏差値63前後で落ち着く。
3年2学期の通知表は35で、成績は全く足りていなかったが春日部東高校を受験し、合格。
中3の11月に他塾から転塾。
越谷北高校を受験し合格。時間は少なかったが、成績・学力ともに満たしており問題はないだろうと思っていた。が、入試の1週間前になりインフルエンザを発症する。本当にヒヤヒヤした。
高校1年の1学期中間テストの順位では116位。1年の3学期期末テストの順位は68位。少しずつ順位を上げる。
ところが2年1学期中間テストで115位。2年次は再び順位を下げて100番台となる。が、3年1学期中間テストで55位、期末テストで61位、2学期中間テストで58位と、上位20%以内をキープできるようになる。
埼玉県立大学を受験し、合格。
中1の12月に入塾。中1の2学期期末テストの順位は152位。
中1の3学期期末テストで128位を取る。その後中2の2学期期末で118位、中2の3学期期末で109位、3年になり夏期講習を受講後、2学期中間で60位まで順位を上げる。
北辰テストは3年第1回の偏差値が55.8、第3回で58.6、第4回62.9、第6回63.2まで伸ばす。
芝浦工大付属高校を受験し、合格。高校合格してからも中学卒業まで勉強を頑張り、中3の3学期期末テストでは自己最高の32位を取る。入塾前の順位から120位アップで有終の美を飾った。
中3の9月に入塾。
中3の1学期期末テストの順位は73位。しかし部活動を頑張ってきたため、中1・中2の通知表がオール3とちょっとの成績。夏休み直後の第4回北辰テストでは偏差値55.4。志望校に挙げている越谷南高校には明らかに届いていない。夏期講習実施後の入塾希望ということもあり一度は断るも、「それでも頑張りたい」ということでこちらも覚悟を決める。
2学期中間テストでは順位70位。あまり変わらず。しかし、期末テストでは57位と、少しずつ変化が見られた。
その後の北辰テストは第5回が偏差値57.7、第6回が56.2だったが、最後の第7回で63.7を記録する。これはもしかしたらとなり、受験に送り出す。
越谷南高校を受験し、合格。
中2の12月に入塾。中2第1回北辰テストは偏差値57.4。
中3夏休み前の第3回北辰テストでは偏差値54.3。夏期講習後の第4回北辰テストで63.3。ここで「お父さんに抱きしめられた」発言を聞くことになった。
その後北辰の成績は偏差値62前後をキープ。1年・2年次の通知表の成績がオール3程度だったので、志望校の再検討を勧めたのだが、そのまま押し通して川口北を受験し合格。初志貫徹の意志の強さが呼びこんだ合格だった。
中2の3月に入塾。中3第1回北辰テストは偏差値53.0。
夏前の第3回北辰テストは偏差値57.8。夏期講習を経て第4回北辰テストは61.9。
その後第7回で59.7と少し下げてしまったが、学校の定期テストも60番前後を安定して取れるように。
春日部東高校を受験し、通知表も足りていたため危なげなく合格。
後日談。
高校に無事合格し塾を卒業したが、高校で成績が下がり高1の夏休み前に再入塾。高1の2学期期末テストは295位。
3学期期末テストでも294位となり、私に「毎日自習!」を言いつけられる。
その後少しずつ成績に変化が見られ、2年1学期期末テストで289位、2学期中間で132位、3学期期末で112位、3年1学期期末で77位、2学期期末で59位まで順位を上げる。最低から最高まで236人抜き、これがウチの塾の歴代記録かな。
神田外語大学を受験し、合格。
中3の7月、夏休み前に他塾から転塾。3年1学期期末テストの順位は139位。3年第3回北辰テストの偏差値は55.9。
夏期講習を経て、第4回北辰テストの偏差値は60.0。のちの第7回では最高の62.9まで伸びる。入塾前の成績と比較すると7ポイントアップ。
2学期の中間テストの順位は44位、期末テストは62位まで定期テストでも順位を伸ばす。
通知表の成績は足りていなかったが、越谷南高校を受験し合格。
中3の11月に他塾から転塾。
大宮南高校を受験し合格。入試成績トップにより、新入生総代の役を務める。
高1の1学期期末テストは、クラス順位1位。3学期期末テストはクラス順位2位。
高2の2学期中間テストでクラス順位再び1位。期末も1位。その後3年生まで、クラス順位5位以内をずっとキープする。
武蔵大学を受験し、合格。
中2の3月に他塾から転塾してくる。中3の1学期期末テストの順位は210位。
中3の2学期中間テストで172位まで順位を上げる。38人抜き。
3年第1回北辰テストの偏差値は44.3。第3回北辰偏差値は45.3。夏期講習受講後の第4回北辰テストで51.9。偏差値50台に乗せる。
通知表の成績は足りていなかったが草加東高校を受験し、合格。
中2の12月に入塾。中2の2学期期末テスト順位は148位。中2の第1回北辰テストは偏差値51.1。
2年3学期期末テストでいきなり50位に。98人抜き、たまげた。その後中3の定期テストも同じ順位以上をキープ。部活も忙しい中勉強で成果を出し続けた。
3年第3回北辰テストは偏差値61.1.夏期講習受講後の第4回北辰テストは偏差値64.7。第6回北辰テストでは65.3まで伸びる。中2の時から比較すると14.2ポイントのアップ。
通知表の成績は足りていなかったが越ヶ谷高校を受験し、合格。
中3の7月に部活引退後に入塾。
3年1学期の通知表は26。第3回北辰テスト偏差値50.1。
夏期講習に参加。それまで部活一辺倒だったそうだが、ここから本領を発揮する。
夏休み後の第4回北辰テストで偏差値58.6。一気に8.5ポイントアップ。
3年2学期の通知表は33まで伸ばす。こちらも7ポイントアップ。なんだこれ。
入試前の第7回北辰テストで偏差値57.7。通知表の成績は足りていなかったけれど、草加高校を受験し合格。