自分でやらなきゃ先が無い

これじゃあ指導じゃなくて「おもり」だ。

昔の失敗


昔働いていた塾では、「生徒を自習に呼ぶ」ことも「仕事」だった。

 

「自習に来なよ」

 

「残ってやっていこう」

 

講師たちと協力しこうした声を生徒にかけ続け、生徒たちの学習量を増やそうとする。本当に涙ぐましい努力だった。講師たちにも苦労をかけた。

 

今考えると、これは「自習するのが偉い」という空気があったからだと思う。実際、自習に来た子や自習して帰る子に「すごいね」「頑張ってるね」と声を掛けていた。

 

この中にはなんと受験生もいた。ちょうどこの時期だったと思う。授業が終わって帰ろうとする生徒を、「ちょっとやっていきなよ」と声を掛け自習席に座らせる。そして10分もしない内に片付けて帰ろうとするその生徒に「もうちょっと頑張っていこう」。これやってごらんとプリントを刷って持っていってやる。だがすこし目を離した隙にカバンを背負って扉から出ていこうとする。それを見つけては「待って待って。もうちょっとだけ」…。毎日そんなことを繰り返していた。

 

今考えると大変気持ちが悪い行動だけれど、その当時はそうぜざるを得なかった。これでは褒めるのではなくおだてているだけだ。子供を都合よく動かそうとしているだけなのだ。勉強をしようとしない子の本当の原因を見ないようにし、改善を先送りにしている。核心に触れてしまうのは怖くて、それに付き合うのはとても面倒だから。

 

褒められないとやらない子に「その先」は無い。それを変えるのは自分自身で、指摘されたその時に変えるしかない。今はそれがずいぶんはっきりと見えている。