風景が見える

向こうに広がっている景色を見ていたいよね。

3人のレンガ職人


諸説あるようだが、イソップ寓話に「3人のレンガ職人」の話がある。

 

旅人が3人のレンガ積みをしている人に話しかける「何をしているのですか」

 

すると1人目は「レンガを積んでいるに決まっているだろ」と言い、2人目は「壁を作っている」、3人目は「歴史に残る大聖堂を作っている」と答える。

 

「大変ですね」と旅人が声を掛けると、1人目は「親方に言われているからやっているけど、早くやめたい」と文句タラタラ、2人目は「金の為さ。家族を養うためには仕方ない」、3人目は「とんでもない。こんな仕事に関わっるなんて幸せだ」と答える。

 

よく仕事の動機の話に紐づけて引用される話。3人のレンガ職人がやっていることは同じなのに、それに対する意識が全く違う。だから仕事もモチベーション高くいきましょう、というやつだ。ここでこの話を、

 

「勉強もこれと同じです。だから動機を高く持って勉強しましょう」

 

とするのは以前やったような気がするしちょっと安直な気もするので、今回は指導する講師側の視点で考えたい。

 

生徒がモチベーション高く勉強してくれれば講師としてそんなに楽なことはない。しかしいつもそうとは限らない。なので講師が指導するときに、「3人目のレンガ職人」マインドを持ってあたることが大切だと思う。

 

例えば、「1+1=2」を教えるとして、その目の前の「いち たす いち は に」ということのみを教えるのは1人目のレンガ職人の考え方だ。そして「これを知っているとテストでいい点が取れるよ」と言うのは2人目。では3人目ならばどうするか。

 

「1を足すと数が1つ増えるよ。足した分だけ増えるんだ」

 

ということを教えるのではないだろうか。そうすることで、「2+1」や「3+2」だってできるようになる。足し算の原理を教えることによってその事象に広がりがあることを伝えようとするのではないだろうか。

 

勉強の目的は「自分がぶつかった壁を乗り越える能力を身に付けること」だ。「目の前の問題が解けるようになること」を目的とする指導は視野が狭く勉強そのものをつまらなくしてしまうと思う。

 

だから今やっている勉強でどんなことができるようになるのか、その先の広がりを伝えられるような説明が理想的だ。そんな視野を持って指導にあたりたいと思う。