長文問題

今年もまたいた。長文問題を"問題の前後だけ読んで解こうとする"生徒。

…あのね、「長文」問題の練習なんだからちゃんと全部読もうよ。聞くと誰かに聞いたやり方らしい。
確かに、この世にはそんな解き方を教えている人もいるのは知ってはいる。「読解問題はね、問題文の前後に答えが必ずありますよ〜」なんつって。ほんと勘弁してくれと思う。
現状国語や英語の語学は、「長文が読めて内容が掴めること」を最終目標のひとつとしてカリキュラムが組まれ指導されている。長文を読めるようにならなきゃ勉強が「できる」とは言えない。だから入試でも長文問題が出題されるのだ。

それを無視して長文を読ませない指導を施すのは「はーい、ここのボタンを押せばバナナが出てきますよ〜」と言っているのと同じだ。生徒をバカにしていると思う。

そもそも問題文を読まずに解くには、それまでの文脈の推測する力が必要だ。似たような論の展開を過去に読んだ経験を持っていて、一部を読むだけで内容を正確に掴む語彙力もあり、問題から出題者が何を意図して出した問題かを汲む力だって求められる。この解法ができるのは普通に読めば全問正解できるような国語力のカンストした生徒だけだ。読解力をしっかり身につけた人間が、「ここは読まなくても解けるな」と至るやり方だろう。それを"こっちの方が楽そうだから"と飛びついちゃうような子供に施すのは本末転倒も甚だしい。身につくわけがない。

そして、何もわからない子供がこれを真似しようとするとどうなるか。本来なら「読むこと」によって身についていくであろう全ての力が身に付かなくなる。語彙力も、文脈を追う力も。そういった子供の成長のチャンスを全て奪う指導はもはや虐待だ。言葉を操る能力はこれからを生きるのに大切な力、それは奪ってはいけない。