コミュニケーション能力、通称コミュ力。これを生徒にも求めたい。
とはいえ、いわゆる"陽キャ"になってパリピだフォー!となってほしいわけではない(それも面白そうだけど)。
生徒に求めるコミュ力は、"自分の状況を伝える能力"だ。何も難しいことはない、わからないものはわからないと言うだけの話。
今でも「ウチの子自分から質問ができないんです」とよく言われる。もしかしたらそのあとには"だから察して困っていることを汲み取ってあげてください"という言葉が続くのかも知れない。だがそれをやっていてはいつまでも学力の伸びは限定的になる。なぜなら学力は自ら取りに行くものだからだ。子供が質問できないのは、質問しなくてもいい環境で育ってしまったからだ。このままだと、誰かに施してもらわないと何もできない指示待ち人間になってしまう。
そういう意味で弊塾では生徒に"教えない"。もちろん何もしないと言うわけではなく講義はするし質問にも答える、しかしこちらから先回りして生徒の歩く道にある小石を拾うようなことはしない。
そうではなく、質問を吸い上げる仕組みを用意した上で生徒がつまづくのを"待つ"。そうすることでつまづいて困った子が質問に来て、そこで解決するという成功体験を積むことができる。そうしていくうちに自分から質問ができる子になっていく。
はじめは線の細い印象だった子もこの流れに乗ってどんどん輪郭が濃くなっていくのを現場で見ている。
とはいえ、いわゆる"陽キャ"になってパリピだフォー!となってほしいわけではない(それも面白そうだけど)。
生徒に求めるコミュ力は、"自分の状況を伝える能力"だ。何も難しいことはない、わからないものはわからないと言うだけの話。
今でも「ウチの子自分から質問ができないんです」とよく言われる。もしかしたらそのあとには"だから察して困っていることを汲み取ってあげてください"という言葉が続くのかも知れない。だがそれをやっていてはいつまでも学力の伸びは限定的になる。なぜなら学力は自ら取りに行くものだからだ。子供が質問できないのは、質問しなくてもいい環境で育ってしまったからだ。このままだと、誰かに施してもらわないと何もできない指示待ち人間になってしまう。
そういう意味で弊塾では生徒に"教えない"。もちろん何もしないと言うわけではなく講義はするし質問にも答える、しかしこちらから先回りして生徒の歩く道にある小石を拾うようなことはしない。
そうではなく、質問を吸い上げる仕組みを用意した上で生徒がつまづくのを"待つ"。そうすることでつまづいて困った子が質問に来て、そこで解決するという成功体験を積むことができる。そうしていくうちに自分から質問ができる子になっていく。
はじめは線の細い印象だった子もこの流れに乗ってどんどん輪郭が濃くなっていくのを現場で見ている。
