魚を取ってもらうのか、魚の取り方を教わるのか。
もくせい塾では小学生や中学生を指導する時に、ひとりひとり辞書のある本棚まで連れて行き、辞書を手に取らせて授業で引き方を教える。
非常に地道な作業だけれど、これをきちんとやっている塾はどのくらいあるだろうか。こうしてから、生徒たちの「辞書使用率」はずいぶん高くなったと思う。やはり使い方を教わらないと使えるようにはならない。
昔個別指導塾で講師をしていたときなどは、生徒に辞書を使わせたことは無かった。その時間がもったいないと思っていたし、さっさと私が単語の意味でもなんでも「教えて」しまっていた。今考えると非常に恐ろしいことだと思う。生徒の学習の機会をガンガン奪ってしまっていた。
自分のことを振り返ってみても、辞書や参考書から得られる知識は大きかったと思う。私の場合は小学校を卒業するときに学校から中学生向けの英和辞典をもらってそれを使っていた。かなり使い倒した記憶がある。あの1冊の体験が無かったら、今の英語力はなかっただろうし、学生のうちに辞書を引くのは本当に大切だと思う。結局は「急がば回れ」なのだ。
そうか今日で7月も終わりなおか。なんだか早すぎてショック。
今日は中3夏期講習で「5時間目」を行った。普段は午前中に4時間授業までなのだけれど、先週の土曜日の回を中止にしちゃったからね。こうしてできる時にちょっとずつ取り戻していく。
内容は社会。世界の諸地域を終わらせた。南アメリカ州とオセアニア州の自然・農業・工業・文化についてだ。これで世界地理は終わったので、次は日本地理。そして歴史に入っていく。
それにしても生徒たちが「キウイ」を知らないことに驚いた。もちろんフルーツのほうは知っていたけれど、「鳥」のキウイのことね。オセアニアを学ぶのならば、これと有袋類、カモノハシを是非知っておいてほしい。社会だけれど。
正しい勉強のやり方はコレ。
勉強の仕方で最もダメなのが、
「体を使わない」
ことだ。教科書やノートを眺めるだけ、途中式を書かない、問題を解かない。これらは体を動かすことをしないので、効果が薄いどころかどんどん退化していく。
だからこれと反対のことをすると学習効果は高まる。「体を使った」勉強だ。声に出す、手を動かす。脳も体の一部なのだから、他の器官と連動すれば効果が高まる。効果的な勉強をしようとすると脳だけでなく体も疲れるものなのだ。
中でも一番簡単に効果が上がるのが音読だと思う。教科書を読むときに声を出しているだろうか。暗記をするときに声を出しているだろうか。これをやるだけで全然効果が変わるので是非実践してほしい。
夏期講習8日目。
今日は夏期講習8日目。数学からのスタートだ。前回の続き、1年生で習った立体の表面積と体積、正多面体等の説明をした。表面積を求めるのに苦労していたが、立体を立体のままで考えるのは難しい。表面積は展開図を書いて求めるようにしていこう。
2時間目は国語を行った。今日は国語の点数の伸ばし方を話してから、随筆文を解説した。よく解けていた。3時間目は理科。地層と堆積岩、地震の説明を行った。ここは覚えるべきことが多くあるのでまずはそれを押さえてから地震のグラフ・計算問題も解けるようにしていこう。4時間目は社会を行った。世界の諸地域で、南北アメリカ州について扱った。
昨日は自動車を久々に運転してきた。実に1年以上ぶりだった。操作の仕方はなんとか覚えていたので良かった。
しばらく自転車漕ぎ漕ぎにハマっていてすっかり放置していたら、車検が切れてしまっていた。おまけにバッテリーもあがってしまっていて、いやはや、きちんと管理するのは大切だ。
どうしていいか分からなかったのでディーラーに問い合わせたら快く対応してくれて無事納車されたので、久々の運転と相成った。
千葉の房総半島のほうに行ってきた。途中に寄った道の駅で休憩し、太平洋沿いを走って来た。
しばらく車の運転を離れていたせいか、新たな視点が加わったように感じる。他の人の運転に「危ない」と感じる機会が増えた気がした。以前ならば自分もやっていたかも知れない程度のものでも、今見ると「ひとつ待ってから行ったほうがいいのにな」と思ったりした。安全への意識が高まったのは自転車に1年間乗って来たからかも知れない。
より安全面に注意を払うようにしつつ、自転車と自動車、どちらも楽しんでいきたい。それにしてもこういう暑い日は車がありがたいね!
教室からでも見えた。
地元のちっちゃい花火大会でも見られると嬉しいもんだね。夏を感じられる。
最近は夜になっても鳴いているのが聞こえて、夏だなーって感じる。
今日、教室に来てみると自転車置き場に何かがある。というかいる。
よく見てみるまでもなく、セミの死骸。アブラゼミだった。これぞ夏の風物詩だね。
さすがにタイル張りの自転車置き場に放置はかわいそうだと思い、土のあるところに移動させてやった。しかしセミにはあの技がある。そう、「必殺、死んだフリ」だ。ひっくり返っているセミに触れようとすると、突如羽をバタつかせてきて心臓が止まりそうになることがある。
触れる前にちょっとだけ慎重になったのは、私も年をとったせいだろう。昔は全然平気だった。つかまえようとしてよくオシッコをひっかけられていた。そんな子供時代。
学習記録シートを見ていると分かる生徒のこと。次は内容についてだ。
生徒には1日の勉強の終わりにその日の感想を書いてもらう。そのコメント欄から見えてくることは多い。
書く内容は自由だが、その日行った内容に触れて感想を書いている子は振り返り力が高い。
「今日は○○をやって、ちゃんと問題を解くことができたので嬉しかった」
というように、その日行った内容を思い出しながら書くことができている子には復習の力が備わっている。ちゃんと振り返れているからね。こういう子はまず安心だ。一方で「○○をやった」や「できた」だけの片一方だけを書くような子は振り返りが不十分なので、ちゃんと定着しているか気を付けなくてはならない。次回の授業で見てみると、案の定スッポリなんてこともある。その日の終わりにやった内容をきちんと思い出すだけでも復習になるのだ。
また、感想が伴っていることも好ましい。「嬉しい」「悔しい」といった感情が内容に書かれている場合は心が動きながら勉強ができている証拠だ。そういう子も定着が速い。
「1週間前に食べた昼食のメニューは?」
と聞かれるよりも
「今まで食べた中で一番美味しかったものは?」
と聞かれるほうが思い出しやすいのと一緒だ。勉強は感動すると身に付きやすい。
そういったことを考えながら学習記録シートを見ると面白い。
よし。
今日は夏期講習も中止になったので、通常通り開けた。なんだか少し時間に余裕があって優雅な気分だった。いつもは朝バッタバッタしているからね。
なんでも今日は越谷市で花火大会があるらしい。教室からも見えるかな?きっと会場に行く塾生も多いと思うけれど、トラブル無く楽しんできてくださいね。
そんなわけで教室はいつも以上にゆったりとした気分でやっている。
昔話。
昔、ある塾長と新しい塾の形について話していて、
「授業のチケット制」
はどうかということになって、すぐに却下した。生徒が授業をチケットで買って、そのチケットを持ってくればいつでも授業を受けられるということらしい。個別指導形式で講師の問題さえクリアできれば可能だ。話を聞いた時、「好きな時に授業を受けられる」という利用者に阿る究極系だと思った。こういうのが好きな保護者もいるかも知れないね。
しかし、目的を見失っていることは言うまでもない。これでは生徒の学力は上がらないだろう。そもそも生徒が「授業を受けたい時」というものがあるはずがない。チケットの有効期限が近づいてきて嫌々消化しているのが絵に浮かぶ。また、テスト直前だけ授業を受けにくる「なんとかしてください系」の生徒を大量生産しそうだ。当然そんなパターンで成績が上がるはずもない。「他の習い事等があってどうしても移動せざるを得ない子の味方」と言えば聞こえがいいけれど、両立させたい子は授業日が決まっていてもちゃんと両立しているものだ。
結局、コンスタントに淡々と進めるのが最も効果的な学習法なのだ。リズムを崩して良いことなんてないだろう。したがって私はこういう塾はフェイクだと思うし、同様に個別指導塾でよくある「振替制」というものも懐疑的だ。
「来週予定があるので来週分の授業を今日にしてください」
って、そうすると2週間開くけれどその間の勉強はどうするの?(あと塾も『予定』だよね?)それに今日授業を入れてその準備はちゃんとしてきているの?と思う。まあ授業を「こなす」だけだよね。
学習は一定のペースで淡々と行うべきだ、と思う。
もう効果が出てきた。
音読ブースでの音読を始めた中には、早々と
「そろそろ効果が出てきたな」
と感じる子が現れ始めた。
文章を音読する時に、区r切る場所がおかしかったのが、きちんと意味のまとまりごとで区切って読めるようになってきた。それに伴って、少しずつ抑揚も付けられるようになってきた。読んでいる文章が意味のある言葉に聞こえるようになってきたのだ。
文を漠然と1文単位で、「ただ音を出すように」読んでいたころに対して、こうして意味の区切れごとに読めるようになってくると文章の内容が頭にきちんと入るようになる。これだけでも読解力は伸びるだろう。他の塾にはあまり無い音読ブース、どんどん活用して音読を続けていってほしいね。
さーて次はどんなことをやろうかなー。
明日は中3受験生の夏期講習8日目の予定だったが、生徒たちの予定と合わず急遽中止とした。この時期は学校説明会の日程等と重なるので仕方がない。中途半端に進めるよりは足並みそろえたいしね。私としては腕をグルングルン回しているんだけど。
現在までの夏期講習までの進捗状況としては順調だ。例年に比べて遅れも無い。生徒たちの問題演習のスピードが予想よりも早かったのも大きい。まだまだぎこちない部分も多いが、前向きに取り組んでくれていてこちらもアクセルを踏み込めている。
後半に遅れを吸収できるように予定を組みなおしていく。このあたりが小回りの利く小規模塾の強みでもあろう。まだまだ序盤戦を過ぎたところなので、これからもっと加速していきたい。
ほんとは夏こそ勉強時間を増やして欲しいのだけれどね。
夏休みに学習量が減ってしまう生徒には、復習よりも予習をさせたほうが上手くいく。
部活動や帰省などいろいろと理由はあると思うが、この時期に勉強量が減ってしまう生徒は、復習をしようにも十分な学習時間が確保できない。それで中途半端なことをするのならば、いっそのこと予習をさせてしまって、定期テスト前に進んだ部分を復習させたほうが効果が高いような気がする。
以前はそういう生徒には
「少しでも学習内容の定着を」
と思って復習に回っていた。しかし不十分な復習ではあまり定着もせず、予習に回す時間も無いので2学期の準備も足りない状態で夏を消化していた。それよりは、復習はテスト前に回すほうがまだ効果が出る気がしている。今あるリソースの中で戦っていくしかない。
夏期講習7日目。
今日の1時間目は理科を行った。力の問題、ばねの計算問題を扱った後、火山と火成岩の説明も行った。
続いて2時間目は社会を行った。世界の諸地域の続き、ヨーロッパ州とアフリカ州について農業・工業・文化の説明をした。3時間目は英語で比較の文を扱った。この分野はたくさんの構文があり入試でも頻出だが知らない子もいたので多く取り扱った。暗唱文がまだみんなできない。よーいドンで覚えて欲しいのだが、まだ恥じらいがあるね。でもそんな余裕はないんだぜ。4時間目は数学を行った。1年生の図形の復習だ。おうぎ形の計算や立体の表面積・体積の問題を扱ったがみんなここが苦手のようだ。今後重点的に復習できるように計画を修正していこうと思う。
よーしよしよし、いいカンジだ。
今週になって、たまっていた英単語テストの再テストをたくさん消化した生徒がいた。
英語に苦手意識があるのが振る舞いにも出ていて、
「再テスト受けに来てね」
と言ってものらりくらりと受けに来るのを拒絶していた。正直どうしようかなと思っていて、このままやらないことを見過ごしているのもモヤモヤするし、ルールがまもれないのならば、塾のシステムから「外して」指導しようかなと考えていたところだった。ほっとした。
夏休みがキッカケになって変わっていくことを期待している。
今、このタイミングなんだよね。
夏期講習のある期間は滅茶苦茶バタバタしているけど充実している。やはり受講生たちの「やる気」を目の当たりにしているからだと思う。
「ここでなんとかしてやるぞ」
という目をしている子が毎年いる。そういう人を見ていると、こちらのやる気にも火が付く。
人のやる気というのは有限だ。この子たちも夏期講習が始まる前からこうだったわけでは無いし、毎年受験を終えた子たちが、その後同じモチベーションを維持しながら高校に通っているらしいという話ばかりを聞くわけでもない。だからやる気が高まっている今、できるかぎりのことをしてあげたい。
夏期講習6日目。
本日の1時間目は社会だった。世界の諸地域に入った。アジアとヨーロッパを解説した。農業・工業・文化について押さえていこう。2時間目は英語。命令文と疑問詞の文を扱った。今日から英語指導も本格化してきた。暗唱文をどんどん行った。頑張ってくらいついてきてほしい。
3時間目は数学を行った。1次関数の交点の座標を求める問題で少しできない子がいたが、作図はよくできていた。4時間目は国語。小説文の解説を行った。小説はよくできていたが、客観的に読む練習を積んでいこう。
変化を待っている。
人は「現状維持」でいたいと思うもの。できるだけ変化したくはない。それは太古の昔、環境の変化は即「死」につながったので、遺伝子レベルで恒常性を保とうとするのだそうだ。
しかし今や、多少のことで死ぬようなことは減った。むしろどんどん変化していかなければ置いていいかれる。勉強だってそうだ。今まで自分がやってきたやり方では「通じなかった」から、塾に来て頑張ろうと思っているんだよね?
変わるのは勇気のいること。生徒たちを見ていて、男の子よりも女の子の方が大胆に勉強スタイルを変えられる子が多い。性差で語るなんて時代じゃないけれどそんな印象がする。男の子はできるだけ現状を維持しようとする子が多く、早く変わっていくのは女の子のほうに多い。しかし男女関係なく入塾してすぐに大きく変化する子がいる。塾を使い倒そうとする気持ちが伝わってくる。自分の変化を恐れない。そういう子を見ているとゾクゾクする。
みんな読まなさすぎだよね。
以前コッソリ作った「音読ブース」の利用を促し始めている。生徒たちに、
「自習に来た日は、5分でいいから音読してみて」
と声をかけて回っている。そう、5分でもいい。ゼロよりはずっとマシなのだ。それだけでも継続すれば、音読はものすごい効果がでる。
過去に音読で変わった子の話を添えたりしながら生徒に音読を勧め、素直に利用を始めた子もいる。これから音読が塾のスタンダードになるまで続けていきたい。
夏期講習5日目。
5日目は英語からスタート。前回の続きで助動詞の解説を行った。中学生に必要な助動詞の用法と、会話表現・書き換え表現を説明した。みんな結構訳し方を忘れていた(知らなかった?)ようなので、全て紹介した。使えるようにしていこう。2時間目は数学を行った。1次関数の式の決定とグラフの書き方を指導した。みんなよくできていた。3時間目は国語。説明文の解説と、小説文の解き方について扱った。4時間目は理科。身近な物理現象の範囲で、光と音について説明した。凸レンズの像の出来方は理解できたかな。
英語教科書の文章でこの内容。
中2英語教科書の読み訳テストは、Lesson3の「USE Read」が生徒たちに立ちはだかっている。ここで不合格者が増えている。
もちろん長い英文なのでそれだけでも大変なのだが、文法に不定詞が入って来て係り受けの理解が難しい。そして何より、内容が単純に理解できないという子も結構いるようだ。
Warka Water Projectというアフリカにキレイな水を供給する内容なのだが、空気中の水蒸気を集めて飲料水にする装置の説明になっている。明け方蜘蛛の巣に水滴がついているのと同じ原理なのだが、この時期の中2はまだ天気の勉強もしていないので雲や霧のことも習っていないのがネックになっている。こういう科目間での連携がズレていると、「惜しい!」と思ってしまう。後から理解が伴う子も出てくるかも知れないけどね。
そんなわけでここが序盤の山場のようだ。頑張って乗り越えよう。
熱帯魚屋の片隅の両生類コーナーで何時間でも過ごせた幼少期。
夏期講習で脊椎動物と無脊椎動物の分類について説明した。ここは私も説明に熱が入るところだ。
爬虫類・両生類は見たことが無いって子も結構いる。これも時代なのかね。私は幼い頃から小動物を飼育するのが好きだったので、その経験を踏まえて話をしている。
この内容の学習ではよく「イモリ・ヤモリは両生類?爬虫類?問題」が巻き起こる。私からすると
「区別がつかないなんて信じられないヨー」
という気持ちだ。ヒメニオイガメとカブトニオイガメの区別がつかないとかならまだしも、イモリとヤモリだよ?アカハライモリとシリケンイモリの区別がつかないのは100歩譲るとして(全然違うんだけど)、イモリとヤモリは「そもそも違うじゃんヨー」ってなる。
しかしそうなったときにふと考える。
「この子たちにとってのイモリとヤモリは、私にとっての若いアイドルの顔と同じだ」
と。区別がつかないのは仕方がない。そうしイモリとヤモリ問題の解説に行う。
夏期講習4日目。
4日目は数学からスタートだ。比例・反比例と1次関数の分野に入った。関数の式を作る問題はできていそうなので、変域の問題まで進めた。グラフから変域を考えられるようになろう。
2時間目は国語を行った。説明文の解き方の解説の続きをやり音読もした。3時間目は理科。水溶液と状態変化について扱った。溶解度の問題や蒸留の問題はグラフの読み取りが不可欠だ。最後は社会。世界の諸地域に入った。各地域の特色の説明を行っていく。
今日は何やった?
夏休みが始まって数日が過ぎたが、「何を」やっただろうか。
この数日で何か「やった」と言えることが無い子はヤバい。このままいくと何もしないまま夏休みを終えることになりかねない。是非受け身の生活を捨て、自ら行動するような夏にしていこう。
何もしていない自覚があるのなら、勉強するべきだ。遊びは誰か一緒に遊んでくれるお友達がいないとできないけれど、勉強ならばひとりでできる。すぐにでも始められれる、実のある取り組みだ。開いた教科書に、載っている問題集の文章に、自分の心に刺さるフレーズがあるかも知れない。そんな出会いを求める旅に出てみないか。
本を読めば、誰かの考えに触れることができ、登場人物の人生を追体験できる。勉強というほど堅苦しいものじゃなくてもいい。是非新しい学びを経験してほしい。この夏は人生で1度きりなのだから。
今日は受験生への洗礼の儀式を行った。
今日から中3夏期講習では、理科の「暗記シート」のテストも始まった。
毎年理科の暗記シートのテストには「洗礼」の意味を持たせている。そう簡単には合格できない基準で行っている。さっそく今日は全員不合格にしてやったぜ。
暗記テストには「淀みなくスラスラ、ハッキリと瞬発的に」答える必要がある。これは、頭の奥底にしっかり知識が染み込んでいて、何も考えずに出てくる状態だ。この状態にしなくては受験の極限状態の緊張感で頭が真っ白になった時に動けなくなってしまう。そうならない為にも、受験生には暗記シートで練習していってもらう。当然今までのポヨポヨした生活の中では味わったことのない緊張感だと思う。だから「洗礼」になる。
これから戦える受験生になるには乗り越えなくてはいけない壁だ。頑張ってほしい。
もくせい塾のあるこの通り、もう少し明るくなると嬉しいんだけどな。
1階に入っていた無人販売の餃子店が閉店してしまったみたいだ。先週くらいに張り紙がされてあった。私は終ぞ購入することは無かったが、終わってしまったことに際して1階の照明が消えてしまったことは残念である。暗くなっちゃったからね。やはり飲食系は上手くいかないのかしらん。
以前キャンペーンのようなものを行っていた。無料で商品を配っている日があって、一生懸命呼び込みを行ってその時は行列ができていた。あの時に並んでいた人たちは何を思うのだろうか。全く無関係の私でも、寂しさは感じるのだが。
夏期講習3日目。
本日から夏期講習も1週間単位で行うので、本格スタートだ。
1時間目は国語。説明文の解説を行った。問題で聞かれていることに正しく答えること、問題を解くときに見るべき箇所を解説した。2時間目は理科。動物の分類と気体の性質を行った。「クラゲは軟体動物ではない」は意外な盲点であった。3時間目の社会では日本の地域区分と気候帯について。時差の話と雨温図の特長も説明した。最後は英語を行った。未来形と助動詞を使った会話表現を扱った。この部分はよくできていたと思うので、書き換え表現なども覚えていこう。
んがががが。
今日は授業中に切れた。あーもう。
発端は生徒が再テストを受けに来なかったことだ。再テストを受けていなかったので
「これどうしたの?」
と聞いたら
「再テストを受けにくる時間が無かったから、今日授業が終わったら受けようと思っていました」
と言ってきた。今日の授業「まで」に受けに来るのが再テストのルールだ。1週間あった。したがってこれは認めらられない。その話をして、「じゃあどうするの」と問いかけ考えてもらった。
その後同じ生徒に
「英文法の説明するからノート出して」
と言ったら、
「ノートを無くした」
と返ってきた。これで合わせ技1本だ。ノートは先々週から持ってきておらず、別の紙に説明を書いて「ノートに写しておいて」と言って渡していた。今日で3週目のノート忘れで、ここにきてこれは過去2週間分のノートの写しもやっているかどうか怪しい。
英文法の板書ノートは私がひとりひとり手書きで書いて渡している。1冊目は塾からのプレゼントで、塾の商品と言っても差し支えない。正直大変労力のかかる作業だが、生徒の成績が上がるならと、魂を込めて書いている。それを3週間放置した結果無くしたとあっては見過ごすわけにいかない。自分のスマホと化は無くさないでしょ?その違いは何?
その前の再テストの件から感じていたが、再テストを翌週の授業時に行おうとするのはh塾に勉強に来ることをサボろうとしているのだ。これを認めてしまうと再テストの意味がないどころか、自習に来て勉強しないことを認めることになる。とどのつまり、勉強を「舐めて」いるのだ。
塾のルールを守ることは躾の範疇だと思うのだがどうだろうか。入塾時に説明して納得して入ってもらったはずだが。それを自分の都合のいいようにしようとするのを認めるつもりはないよ。
生徒が「全力を出してもいい場所」にしていきたい。
本当は一生懸命やりたいのに、その環境が無いのは残念なことだと思っている。
部活などで経験ある人もいるんじゃないかな。もっと本気で取り組んで上を目指していきたいのに、他の部員の雰囲気はそんな感じじゃなくてダラダラしているみたいな。自分だけ本気で取り組むのはなんとなく肩身が狭く感じてしまうような経験がさ。
勉強も同じで、高校受験生になって本気で勉強したいのに、夏期講習に参加している他の子にやる気が感じられなかったりしたらそれは不幸なことだと思う。講習だけ受けてとっとと帰宅しちゃう子ばっかりだと、自分も頑張りにくくなってしまう。
だからもくせい塾では目一杯頑張ることが当たり前の環境にしていきたいと思っている。努力をする子にとって過ごしやすい環境があるほうが健全だよね。
夏期講習2日目。
今日はまず、受験生としての心構えの話をした。思う所があったからね。
1時間目は理科を行った。1年生の生物分野の復習から説明した。理科は暗記シートの暗記が大切になってくるので頑張ろう。2時間目は社会を行った。世界地理について、よく出題される基礎事項の説明を行った。3時間目は英語。一般動詞の文・進行形を扱った。一般動詞はdoが助動詞であることを知れば理解しやすい。問題は良く解けていた。4時間目は数学を行った。計算練習はよくできていた。連立方程式の文章題も扱ったが、こちらは苦手そうだ。今後も継続して問題の解説を行っていく。
夏期講習は初めの2日間が体力の山場だ。それを超えると楽になっていく。
高校受験生たちが今日勉強を始めてそろそろ7時間ほどになるだろうか。そろそろ疲れを感じ出す子もいるかも知れないし、
「へ?もうそんなに経ったの?」
と感じている子もいるかも知れない。今までにこれだけ勉強したことがなかった子もいるだろう、きっと強烈な体験だ。
5時間や6時間程度の勉強ならばそれほど難しいことではない。定期テスト前に毎回それくらいやるよって子も結構いる。しかし10時間、それも継続して毎日こなすとなると話は変わってくる。
10時間学習を行うには計画性が必要だ。どこで休憩をいれるか、暗記はいつやるか。そういったことを上手にやりくりして時間を伸ばす。勢いだけではそう持たない。だからもくせい塾では毎日課題を決めて出していく。1日ずつ刻んで勉強していけば、気づいたときにはもぅ誰も追いつけない積み上げになっているはずだ。頑張っていこう。
私も行きたい。
この夏、短期の英語語学留学に行く子がいる。
今は海外留学制度のようなものを利用できる高校が増えている。昔もいたけれど、そういう制度はどんどん利用すればいいと思う。たとえ短期間で語学力にはあまり影響はなくても、海外に一人で行く機会というものはなかなかない。得られることもいろいろあるんじゃないかな。
それこそ海外で出会った人に、使う言語は違くても同じ人なんだという実感を持つかも知れない。そこで自分がしてもらったことを、国内に帰って来て海外から来た人に同じようにしてあげられるかとか、そういうことへの障壁を下げることには大きく役立つはずだ。その時改めて、自分の言語能力を向上させたいという動機も生まれるかも知れないね。
そうしたら大学でやりたいことにつながったり、将来の仕事に対する考えが出てきたりもするだろう。良いチャレンジになればいいね。
夏期講習1日目。
今日から中3の夏期講習がはじまった。
いやー、初日はみんな「固い」ね。まだ借りて来た猫状態だ。説明を聞く姿勢もまだまだ真面目でいいんだけど、こっちにも緊張が伝わってくる。これからほぐれていくだろうけれど、
1時間目は初対面だったので顔合わせと夏期講習の説明を行った。塾に来て間もない子もいたので少し慣れる時間を取った。2時間目は英語を行った。be動詞の文、There is構文の説明を行った。授業で行う暗唱文・音読にも触れた。英語は基礎から丁寧に行っていく。3時間目は数学を行った。計算練習と方程式の文章題を行った。方程式の文章題は今後の北辰テストでも出題があるので、今のうちにできるようになっていってもらいたい。国語は現代文の読み方指導を行った。国語の勉強をしたことが無い子もいたはずなので、これから問題を解けるように指導していく。
しっかり見てみよう。
生徒は1学期の通知表が渡されているはずだ。学校に返却する前に塾に見せに来て下さい。
通知表を見てどのように感じただろうか。良かった・悪かっただけでなく、なぜ良かったのか・悪かったのかまで考えられるといいね。
通知表は学校の先生からの評価だ。定期テストと提出物、授業態度によってつけられる。普段は他者からの評価を意識することは少ないと思うが、この機会に自分は他人からどう見られているのか、通知表を見ながら考えてみてほしい。
明日から夏休み。
今日は終業式だ。通知表をもらったら塾に持ってきてください。
明日から夏休みとなる。浮かれ切ってしまっている生徒もいるかも知れないが、勉強は続けていくべきだろう。
明日からもくせい塾でも夏期講習が始まる。ここのところ崩していた体調も8割方戻ってきたので、なんとか無事スタートを切れそうだ。夏期講習では1・2年生の総復習を中心に基礎固めを行う。25日間の指導に全力を注いでいく。
悩ましい問題。
中学数学の小テストで、毎回不合格になってしまう生徒がいる。
小テストは、手順を踏めば合格できるようになっている。動画を見ると、ワークの例題を解説してある。その解説を理解して、類題を解く。小テストはその類題の数字が少し変えられているだけの問題だ。だがこれで正解を出せるようにならない。きっと解説を「聞く」ということができていないのだろう。これは去年までは無かった。
毎回不合格になるということは、正直ウチのシステムに乗れていないということだ。しかしこれがウチのできる最低ラインの成績向上システムで、正直これ以上甘くしてしまうと成績向上の保証ができない。何度も再テストを受けて合格していってもらうしかない。めげなければいいが。
きっと他の塾では「教えても無駄だから」と「飼い殺し」にされてしまうような学力層の生徒なのだろう。「夏休みはたくさん勉強しましょう」と、高い個別指導を何コマも取らさせられてしまうような。私はそういう子の学力も伸ばしたい。授業料をたくさんとるだけの「養分」にするつもりはない。その為には同じシステム内で頑張ってもらうしかない。
今年は体調崩したりして、結構ギリギリになってしまった。
あさってから中3の夏期講習が始まる。
この時期が1年で一番忙しくなる。面談を行いながら夏期講習の準備をして、今年はこの時期の入塾生や見学生も結構いた。また期末テストの対策や終わったあとのあれこれも。そして夏期講習が始まってしまうと今度は授業で身動きが全く取れなくなる。
とりあえず無事乗り越えられるように頑張りたい。
夏前の保護者面談が全て終了した。参加してくださった保護者様には深く感謝申し上げます。
保護者面談時は、生徒が記入している「学習記録シート」を自由に見てもらっている。これで普段見ることのできない我が子の、塾での様子が少しでも伝わればなと思っている。実際に、
「思ったよりもいろいろと書いているんですね。ウチの子はもっとドライなのかと思っていた」
と驚いたりされる親御さんもいる。そう、これだけでもいろいろと分かるのだ。
そこで、今回は「学習記録シートの見かた~初級編」を行う。今後の面談参加の楽しみにしてくだされば。それではいってみたい。
学習記録シートは「生徒ファイル」に閉じられている。まずは、生徒ファイルを開く前に、ファイルの右下をよく見て欲しい。ここが「折れている」子はモノの扱いが雑だ。棚に戻すときにブックエンドに引っかかっても強引に押し込むとここが折れる。こういう「引っかかり」を気にしない子は普段の勉強でもそれが出る。ケアレスミスが多い子のよくある特徴である。
次に、ファイルを開いたら右上の「氏名」の欄をパラパラと数枚めくって見ていって欲しい。時々赤ペンで我が子の名前が書かれていることは無いだろうか。何を隠そう、それは私の赤ペンだ。「氏名」を書き忘れたまま報告書を提出する子は見直しが足りない。慌てて作業を済まそうとする子に多く、そういう子は当然ミスも多い傾向にある。
初級編としてはこの2つだ。物理的なものなので分かりやすいと思う。夜中に折れ曲がったファイルをせっせと直し、名無しのシートに指名をしこしこ記入している私の姿も合わせて想像して楽しんでいただければと思う。
急にきたね。
先ほどまで曇りだったが、今急にバケツをひっくり返したかのような雨が降って来た。ゲリラ豪雨だな。
東南アジア地方の雨期に降る突然の雨をスコールと言うが、私はこの言葉が好きだ。昔タイの旅行中にスコールに遭って、店の軒先で雨宿りしたときの雰囲気が思い出されるからかも知れない。他の人も屋根のあるところでしばらく空を見上げて待っている、その間は仕事もいったんお休み。この自然の流れに身をまかせる感じがなんともまどろみたくなくような、心地の良い優しい時間だった。
だから「ゲリラ豪雨!」と言われると、同じにわか雨でも全然受け取る印象が違う。ゲリラ豪雨はなんかこう、「やばい!」って感じになって焦る。日本人的な心の余裕の無さのようなものを感じてしまう。(あとなんとなくお尻を押さえたくなる語感もある)
とりあえず今は雨が降ってるけど、そのうち止むからそしたら塾にいらっしゃい。今日も開いてます。
忍び寄る営業の足音。
自宅のポストに、私宛のDMが届いていた。
見てみると、某大手個別指導学院から。
「夏期講習で、大学合格しよう」
とあった。いやワシ、大卒のもういいオッサンやで...。
んーなんでだろうなーと考えていたら心当たりが一つだけあった。以前大学のパンプレットをネットから注文したことがあるのだ。その時の送り先を自宅にしていたはずだ。おそらくそのデータを集めた名簿が出回っていて、某大手個別指導学院はそれを買い、DMを送り付けてきたんだろうね。塾業界でありがちな話だ。
節操ないなーと思う反面、「たしかこのサイズのDMって1部50円以上かかるんじゃなかったっけ。あちゃー無駄撃ちさせちゃってごめんなさい」とも思う。私が興味本位に大学のパンフレットを取り寄せたばかりに。
そういえば先日保護者様と話をしていて、
「他の塾からの勧誘の連絡がしつこくて…」
とおっしゃっていた。時期的なものもあるだろうけど、営業攻勢が激しいとさすがにげんなりしちゃうよね。営業努力もいきすぎると迷惑だ。ゆっくり選ばせてよと言いたくもなるね。
ちなみに私が、そのDM片手に
「誘われたんで来たんすけどー」
と、某大手個別指導学院に行ったらどうなるだろう。私が考えるよりも私にピッタリな受験プランと授業を提供してくれるだろうか。ちょっとやってみたくもある。
今は書きたいことがたくさんある。
塾の面談に来られた保護者様に、「何でこの塾を知ったか」と聞くようにしている。
もともと知ってくださっていたり、誰か生徒や他の保護者様のご紹介だったりする中に、
「このブログを見て」
というのも最近増えてきた。嬉しい限りだ。
身もふたもないことを言ってしまえば、このブログは宣伝ブログだ。このブログでもくせい塾と私のことを知ってもらい、塾の問い合わせにつなげることを目的に書いている。だから狙い通り、願ったり叶ったりなのだが、自分では「何がお母さんの琴線に触れたのか」はサッパリ分からない。
そもそも営業用ならば、それに向けた内容を書くべきだとも思う。しかし最近の私の書く内容と来たら、生徒への愚痴、保護者へのダメ出し、そして残りは自分の話ばっかりという。ますますもって訳が分からない。裏表が無いことだけは伝わってるのかなと思っている。
サラリーマンの時は、ザ・営業と言った文章を自社のウェブブログに書いていた(そういうのも書けるのだよ本当は)。でも、それは個人塾でやっても意味がないなと思ってやめた。だってつまんないじゃんあれ。自分の文章を読み返すことはおろか、他教室の先輩塾長の文章を読むことすらしなかった。連絡事項を載せる時に文章をコピペだけしに行ったりね(失礼)。完全に死んだ文章。週1回更新しておかないと怒られるからってだけで更新される墓所の文字列。自分がそう感じるんだから、親御さんに見られてたのかも怪しい。
何が言いたいかって言うと、まあ楽しくやってます。それが伝わってくれればいいかな。
世間ではお休みの日。
世間では3連休だそうだが、もくせい塾は日曜日のみお休みだ。今日は通常通り営業している。
新卒のサラリーマン社畜時代、会社の会議で会長さんが
「本当はもっと休みなんて減らしてもいいと思ってるんだけどね」
と言っていて、
「この人何言ってるんだ?頭おかしいんか?」
と思っていたけれど、今自分で休みを決めるようになって、結局その時に勤めていた会社よりも休みは減ってしまった。(あと、休日出勤も増えた、てへ)
結局休みは与えられたものだと不満を持つけれど、自分で取るものだとそれほどいらないってことなんだろうなと解釈している。受験勉強など長期の勉強計画を立てるときは、まず「いつ休むか」を決めるといい。やらされる勉強ではなく、自分でやる勉強を手に入れた子は強い。
ほら、もう受験生が勉強に来ている。
悪い習慣を直していけば、いつかかならず成績は上がる。
数学の小テストで答えを暗記してしまった子のリハビリをどのように用意するか。
まず同じテストはもう使えなくなる。答えを覚えちゃってるからね。したがって他の問題を使ってできるようにさせていくのだが、解説動画をもう一度きちんと見直して理解しなおしてもらわなくてはいけない。
動画はテストと連動しているので、それを別の問題で行うとなると、いくつかの問題集に渡って問題を選定していかなくてはいけなくなる。ゆえに生徒が解かなくてはいけない問題数が増える。結果、より時間がかかることになる。普通に内容を理解してテストを受けてくれていたほうがずっと楽に進めた。
先日風邪を引いたのだが、風邪薬や栄養剤なんかで8千円くらいかかった。手洗いうがいと睡眠をしっかりとっていれば、ほぼ無料で防げたものだった。これと同じだね。
やらかしてしまった。
今日は最悪のミスをしてしまった。面談の時間を勘違いしてすっぽかしてしまったのだ。ああああ。
とりあえず平謝りで(笑って許してくれた)、時間を変えてやらせてもらえたのだが、何年かに1度、こういう大ポカをする。
そして不思議なもので、こうことがあるときに「虫の知らせ」のようなものが必ずある。今日は、なぜだか分からないが朝5時に目がパッチリと覚めて、「教室に早目に行こうかな」と考えていた。
じゃあなぜこの事態が起きたのか。答えは「早目に行かなかったから」だ。結局ウダウダと自宅で本を読んだりしてしまった。そうなのだ、ちゃんと「虫の知らせ」はきているのにそれを無視、「知らせの無私」をしてしまった。私の虫の知らせは役に立たない。後になって「あの時ああしていれば」というのが分かるのだ。いつもは必ず見るスケジュール帳も、この時だけ見ていなかったりする。
後悔先に立たず。心を入れ替えて頑張らなくては。
染みついてしまった悪い習慣を早く取り除かないと。
塾に慣れてきたせいか、小テストへの準備が疎かになってきた生徒がいる。
小テスト前に解いた問題をチェックするのだが、ほとんど答えの丸写しになっている生徒がいた。
「ちゃんとできるようにしてある?」
と私が問うと
「大丈夫です」
と返ってくる。そしてテストを受けてみて、合格には程遠い点数を取る。
そういう生徒たちに言いたいのは、
「学校の授業についていけないから塾に来たんじゃないの?」
ということだ。塾で適当になってしまうと、もう後は無いんじゃないかな。小テストの準備は決して難しいことではない。それを面倒臭いが勝って適当に済ませようとするのなら、もう浮かび上がることは無いと思うよ。私は当たり前のことを当たり得にやってもらいたいだけだ。
ほんとうにこれですなぁ。
多くの生徒に足りないと感じているのが、同じ問題の反復数だ。これさえすれば成績なんて一気にごぼう抜きできるのに、と思う。
その原因はいくつかあって、まずはテスト前の準備に対する出遅れ。時間がないから反復できない。これはその生徒の性質なので、徐々に改善していってもらうしかない。
そしてもうひとつは「飽き」。同じ問題を解くのは飽きてしまうらしい。「もう分かったから」と思うのが異常に早い。しかし、そうういう子の理解度はまだまだだ。それに「もう分かったから」の先に、本当の力の獲得がある。
同じ問題を7回解いたことはあるだろうか。3回目くらいまでは分からない問題を解くのは辛い。しかし4回、5回と進むともう完全に分かる。このへんで飽きがきても我慢して続けると、7回目には楽しくなってくるものだ。人は自分の知っている情報に興味を示す。7回解くとその問題とはすっかり「顔なじみ」になれる。これを1回や2回解いたくらいで「もう分かったから」とするのではまだまだ定着もあいまいで、テストで素早く正確に再現することは到底できない。
もくせい塾で使用している数学と英語のワークは、同じパターンの基本問題が並んでいるタイプのものだ。応用問題はおろか、標準問題すらない。すべて基本。その代わりに同じパターンの問題がずっと続くので、1周こなしただけでも反復練習に使える。このワークに変更してから実際に生徒のテストの点数は上がっている。結局、基礎の習得、そのための反復練習が足りないのだ。2・3回素振りしただけで野球でヒットが打てるだろうか。野球が上手くなりたい子は、毎日何百回としているよね。勉強も同じで、昔は「計算が身に付くまでに200問は解かなくてはいけない」と言われていた。どう?やってる?
最近の学校のワークは難しい。問題もバリエーションに富んでいて、何度も繰り返し解かなくては身に付かないだろう。そこを乗り越えた子からテストの成績上位者に入っていく。
勉強だけ教えていても学力は伸びない。
話を聞き流そうとする生徒がいる。
話をしていて生徒の返事が、
「はいはい、はいはい」
と、話を受け流そうとしていくことがある。お説教ならば聞きたくない気持ちも分かるが、学習内容の説明でもこれをしようとする生徒がいる。本人からすると
「もう分かったから」
ということなのだろうが、全然、全く分かっていないのだ。成績がそれを物語っている。
たぶん今まで、話を受け流すことを注意されてこなかったのだろう。たいていはこちらを見て話を聞いていない。これだと学力は伸びない。だから私は、
「そうやって『はいはい』って話を受け流そうとしないで」
とハッキリ言う。たいていの生徒はそれでビックリする。今まで何気なしにやってきたことをズバリと言われるのだからね。ダメなものはダメときちんと伝えなくては生徒は伸びる体質にならない。そうやって、成績の上がらない習慣を改善させていく。
言うは易し。
仮に私が、
「今からプロ野球選手になって、年俸3億稼ぐ」
と言ったらどうだろうか。きっと野球を知らない人でも失笑するだろうし、野球をやっている人やファンの人からは怒られるかも知れない。「そんなに甘くないよ」と。
じゃあどこまでなら言っても大丈夫だろうか。「プロ野球選手」は話にならないとして、「ホームランを打つ」も私の身体能力では無理。というよりそもそもバットにボールが当たるのか、いや、バットをまともに振れるのか、そしてホームから1塁まで走り切れるだろうかというレベルだ。(ちなみに野球経験はとんどない)
お腹の東京ドームが膨らんできた私のスポーツ適正はこんなものだ。まあ完全にゼロなわけだけど、生徒と勉強はどうだろうか。どうも、こと勉強に関していうと世間の認識はゆるゆるな気がしている。
世の親御さんは「ちゃんとやればできる」の「ちゃんと」をどこに設定しているだろうか。「テストの2週間前?」だろうか。それなら、ノンノン。「じゃあ1ヵ月前からやれば?」いやいや、ちょっと待ってくださいな、そういう話じゃないんですよ。
中学生で真ん中くらいの成績の子は、すでにできなくなっているものがあって、その原因が「小学生」にまでさかのぼるようなことがなにかしらある。そのくらい根が深い状況がゴロゴロしている。だから保護者の方のいう「ちょっと」が、私には全然ちょっとじゃなく思えることがある。「教科書読めば分かるでしょ」も、「もうすぐドラフト1位で指名きちゃうね」に聞こえる。その教科書が「読めない」なんてこともザラにある(読書の習慣の無い子は全員そうだと思ったほうがいい)。「そこまでのレベルは求めてないから」は「でも地元チームのエースで4番くらいはいけるでしょ」と変換されている。
塾人の私にとって勉強は「そんなに甘くない」ものだ。お子様にちゃんと毎日、バット振らせていますか?
授業で行っている英語の教科書読み訳テスト。その時に、合否の「グレーゾーン」にいる子が出てくる。
そういう時に、不合格にするか迷う場合が出てくる。音読のテストだから明確に点数が出るものでもなく、その線引きが難しい。生徒自信が練習不足の自覚があって、
「あ、今誤魔化したな」
と感じたところはもう一度確認して、「はい、ダメ~」とすることができるのだけど、「そういう訳し方もできるよな」という場合などは特に判断に迷う。
私の用意したお手本とは違うけれど、単語を拾って訳すとそれもアリだよな、の時とか。状況判断でやっていくしかないんだけれど、公正さを保つのは大変だ。少しでも違ったら全部アウトにしちゃえば楽なんだけれど、暗唱のテストではないからそれも違うし、そうしちゃうと全部「暗記」に頼る子が出てくるだろう。
一旦止めると、生徒が懇願するように見てくることがある。そんな捨て犬みたいな目で見ないでくれよ、と思わず許してしまいたくなる、が、そこは心を鬼にしてダメなものは「ダメ~」にする。甘くしてしまうと生徒のためにならないのだ。正確に単語を拾って英語の文構造を理解した上で訳せるようになっていってもらいたい。
積み重ねていければいいよね。
昔、オオカミに育てられた人間の子供が発見されたことがあった。私が小さかった頃だ。
その子供は言葉を話すことができず、4本足で歩き、手を使わずに食べ物を食べていたそうだ。普通のオオカミと同じ習性だ。
同じ人間なのに親が違うだけで、これだけの違いが出る。我々を含め人間は、親に与えられたものによってできているということが言えるんじゃないか。
もしも今、
「スマホばかりいじっていて勉強を全然しない」
とか
「いくら言っても私の言うことを聞こうとしない」
と、我が子のことを思っている親御さんがいたら、それは全て自分が与えてきたものによってそうなったということ。こんなこと言うと嫌われちゃうかも知れないけどね。
スマホを買い与える時に、使用制限のルールは設けただろうか。そしてそれをきちんと守らせているだろうか。何かを約束させるときは必ず守らせているだろうか。子供のもつ「ちゃんとする」の部分は、たぶんこういうことの積み重ねでできている。
審判はゲームコントロールをしなくてはならない。
中学生は、英語教科書の読みと訳の小テストを行っている。教科書を読み、そして訳すだけの「簡単なお仕事」だ。
とは思うのだが、今の中学校の教科書は意外と難しい。習っていない構文などもしれっと入っている。自力でそういうのもきちんと拾いながら訳せる中学生はほとんどいない。
だからまずは手本を見せなくてはいけないと思って、もくせい塾では読みと訳の解説動画を塾生に公開している。これは「動画」であるのがポイントだと。音声だけだと分かりにくいであろう「今どこを訳しているのか」が見て分かるようになっている。
よって動画を真似て練習してくれば小テストは合格できるはずなのだが、たまに合格と不合格の間の「グレー」なラインの子がいる。全くできていないわけではないけれど、準備が不十分なせいでスパッといかない。
良縁に恵まれますように。
指定校推で大学に出願する高校生と、今後について話をした。
指定校推薦は大学から各高校に枠が与えられている。成績が推薦基準を満たしていてそこを希望する場合は、まず「校内選考」にかけられる。校内で同じところを希望している生徒が複数人いた場合、成績のより高い者に推薦枠が与えられる。
この第一次選抜が夏休み中にあって9月に結果が出る。もしこの選考で漏れてしまった場合は、残っっている大学の枠を二次選抜、三次選抜という形で秋以降同じように申し込むことができる。
その生徒は「全ての選抜に落ちてしまった場合」のことも考えて動きだすようだ。一般受験になった場合の勉強ね。指定校推薦を狙う子はどうもこのあたりに身が入らないことも多いけれど、話を聞いていてしっかりと現実を見ているなと感じた。確かにこの制度だと成績は十分満たしていても、他の子との兼ね合いで「運の悪い」ことにもなりかねない。なかなかにギャンブル性の高い仕組みだと思う。
とは言え一般受験でも運の要素を完全に排除することはできないので、受験とはそういうものなのだろう。これを受験業界では「縁」なんて言ったりもするが、この子が良い縁に巡り合えることを願う。
余裕がないとミスするね、反省反省。
昨日はバタバタしてしまった。
7時から9時くらいまでの生徒の出入りがとても多かった印象だ。実際に来ていた子の人数を数えてみたら、全生徒の9割近くの子が来ていた。納得。期末テストが終わってから自習の頻度が上がった子もいる。2学期が楽しみだ。
ところで、教室に入ったら「挨拶」をしてくれると助かる。一応ドアが開いたら音で分かるようにしてはあるのだが、授業に集中しているときは聞こえないこともある。最近はシャイな子も多く、会釈だけとかこちらが挨拶をしてから返してくる子もいて、いつの間にかスルッと教室に入っていたりして「え、いつからいたの?」ということがあった。その日来てくれた子全員と挨拶くらいはしたいので、ね。
昨日は塾生ではない子もいつの間にか教室の中にいて、心臓が止まるかと思った。塾生のご兄弟の方で、忘れ物を届けにきたそうだ。授業中で、誰かが来たなとは思ったのだが挨拶が無かったのでこちらから「こんちはー」とだけ言って授業を続行してしまった…。きっと放っておかれて困ったよね、申し訳ないことをした。
誰が来たか分かりやすいよう、塾生のみなさんは元気よく挨拶をちょうだいな。
特別なことは何もないけれど、普段から意識しています。
「定期テスト対策はありますか」
という質問をいただいたので、ここで答えておきたい。答えは「イエス」なのだが、ご期待するものとは少し違うかも知れない。
こういう質問をされる方のイメージとしては、テスト直前にテストで出やすいものを解説したり、定期テストの「過去問」を出してきて解かせたりといったことを期待されていることがある。でもそれは申し訳ないがしていない。
じゃあ何をしているのかと言うと、テスト前に行う、範囲の問題演習だ。「そんなの当たり前じゃん」と思われた方には重ね重ね申し訳ない。奇策も秘策も何もない。生徒の状況によりけりだが、英数に関しては予習型の学習をしている子が多く、テスト前には戻って復習を行う。その時の学習量はそこそこ多いと思う。テスト1ヵ月くらい前からずっとテスト範囲の復習している子もいるくらいだからね。
「ここが出るよ」と、生徒に出題内容を予言してあげることもある程度できるとは思う。私もそれなりに講師をしているからね。でもそれはあまり言わない。なぜなら、出るところを自分で考えるのも学力向上になるからだ。それを手伝ってあげてしまうと、自分で考えることができなくなる。目の前の1点よりも大切なこともあるはずだ。
またテスト直前に「対策講座」のようなものは催していない(やればビジネスチャンスなんだけれどね)。正直言って直前でそんなことやっても後の祭だ。テストは準備が全て。日ごろの学習がテスト対策のようなものだし、直前だけ勉強した気にさせるのは生徒の為にならないと考えている。
そんなわけでまとめると、テスト対策は「毎日」やっています。
勉強を「自分事」にできるかどうか。
勉強は「自分のこと」として捉えられるかどうかが伸びに関わってくる。
学力上位層の子は自分の勉強を完全に掌握しコントロールする。自分のことと捉えられている。一方学力下位層の子は「他人事」になっている印象をうける。
「親に言われたから」
といった言葉を口にし、勉強ができないことを、
「学校の授業がわかりにくい」
などという。同じ授業でできている子の存在を意識したことがないのだろう。
したがって、成績向上の第一歩目は「自分でやる」ことにあると思っている。自分で靴紐を結んだことが無ければ靴をひとりで履くこともできない。勉強は自分でやるものだ、という姿勢を身に付けることから始まる。
もくせい塾では教室の壁にいくつか張り紙をしてある。あまり「うるさく」なるのはこだわりのラーメン屋みたいで嫌なんだけれど、何も無いのも寂しいので他愛もないことやちょっとした「にぎやかし」だ。
しかしその中に、連絡事項が貼ってあることがある。テストを受けた後の提出物や生徒に行ってほしいことなど、「口頭連絡で済むこと」をわざわざ張り紙にしていることがある。なぜかというと、これを見て「自分に関わることだ」という意識を持ってもらいたいからだ。この意識が、勉強を自分のコントロール下に置けるかどうかにつながっているような気がしてならない。だからどうしても必要なこと以外はこういう方法で情報を流すことがある。
実は10日ほど前に中学生向けの「ある連絡」を張り紙にして張ったのだが、それに対して反応した子はまだ2人しかいない。目の前にあっても見えていないんだね。
「なんだよなんだよ、みんなデジタルネイティブなんだからもっと情報リテラシ―が高くて情報集めが得意なんじゃないのかよー」
なんて心の中で思ってたりする。いや、リテラシーが高すぎて「自分に必要ない」って判断なのかな、悲しい。次は誰が反応するだろうか。
話し合ってそう決めたのなら応援するよ!
私は一般受験で大学に入った。今よりも推薦入試制度が充実していなかったし、多くの同世代の人がそうだった。1日10時間以上勉強したし、(自分のせいだけど)学力が壊滅したところからのスタートだったのでそれなりに苦労もしたと思う。受験をめぐって兄と喧嘩になり殴られたこともあった。
さて、そんな私が塾講師をやるとどうなるか。はじめの頃は「一般を経験しとけ」となりがちだった。「若いころの苦労は買ってでもしろ」的な、典型的な迷惑おじさん思考だった。
しかし時代は変わり、今や大学進学者の半分がなんらかの推薦制度利用している。そうなると考えも変わり「使えるものは使うべき」と思うようになっていった。現に、もくせい塾の高校生は指定校推薦で大学に行く子が多い。そしてそういう子に対して素直に尊敬の念がある。高校生活を頑張っているというのは自分には無かったことだからね。
そんな中、「一般受援で大学に行く」と言ってきた子がいる。学校の成績も悪くないので推薦制度も使えるはずだが、あえて一般を選ぶという。理由を聞くと、
「自分にもプライドがある」
と言う、おお。学校では「推薦は『逃げ』」と言われているらしい(上位校にはよくある話)。
合理的な大人としての私は、「なんとオールドスタイルな。もったいない」と思ったのだけれど、一方でもう一人の私は、その子の矜持を尊敬し、応援したいと思っている。
自分でやることで伸びる。
生徒の学力が伸びるのはどんなときか。それは「自分で勉強したとき」だ。
運動でも自分でやらない限りは上達しないだろう。他人がやっている筋トレの動画を見ているだけで筋肉ムキムキになったらすごい(怖いけど)。自分で動き、自分の筋肉に負荷をかけて筋力はついていくはずだ。勉強もそれと同じで、「自分で」やることで伸びていく。
もちろん勉強でも運動と同じで、お手本を見ることは大切。見て学習できることもあるしそれで伸びることもあるだろう。しかし学習は体験なので、やはり自分でやるのが一番経験値が高くなる。それが今のもくせい塾のコンセプトになっている。
中学生たちの1学期期末テストがほぼ返却されたようだ。まだ塾に持ってきていな子は早目に持ってきてね。
今回も塾生たちは高得点の答案をたくさん持ってきてくれた。みんなよく頑張ったね。
そして、中2S君が数学で100点!すごいですね~。
また、80点90点には届かなかったけれども頑張った子というのもいる。そういう子は入塾前より20点以上伸びたりしている。これもすごい。
これからも継続していけるように頑張っていってもらいたい。
仕事をさせろ。
普段、業務が全て終わり生徒を送り出してから、エアコンを止めたり掃除したり、室内の片付けをする。それが終わって席に戻り、生徒の学習記録のチェックや次の授業準備などをしていく。体力が尽きたときはそこで2時間くらい意識を失い机に突っ伏す。しばらく居眠りをし、そしてハッと目覚めて、作業を片付ける。これが私のゴールデンタイムだ。
しかし最近その時間に蚊に刺されることが多い。たぶん教室のどこかに潜んでいるんだね。夜は電気を自分の周りしかつけていないし自分しかいないので、蚊にとっては絶好のカモだと思われている気がする。昨日も2か所刺されたし…。寝込みを襲うとは卑怯なり。正々堂々と勝負せい、出あえ出あえ!
教室内は殺虫のアレコレも仕込んでいるのだが、もうちょっとやる気を出して頑張ってほしい。そんなわけで、私のゴールデンタイムが脅かされている。
7月7日、七夕だ。
生憎、今の空は曇っていて、これから夜は雨の予報もある。天の川鑑賞とはいかなそうだ。晴れていても、越谷で天の川を見るのはかなり難しいけれどね。
七夕と言え場織姫と彦星の伝説だ。二人は年に一度しか会えないという話はロマンチックだけれど、中学生当時の私は、
「星の寿命から見たら、『年に1度』って結構な頻度で会ってるじゃないか」
なんて思っていた、はい。斜に構えた嫌な子供だったよ。
織姫と言えば、おととしくらい、夜に栃木を車で旅行していて、ライトアップされている神社に偶然行き着いた。それが「織姫神社」だった。ちょっとお参りして行こうと階段を上って行ったら、境内の前にあるベンチはカップルでいっぱいだった。あとになって知ったが、そこは地元のデートスポットだったらしい、一人でふらふらと侵入していって、なんだか気まずかった。七夕伝説のパワーをこんな形で浴びるなんて。
調べてみると、夫婦であるはずの織姫と牽牛が年に1度しか会えなくなったのって、「仕事もしないでおしゃべりばかり」していたバツたそうだ。なんとも色気もへったくれもないオチになってしまった…。
あ、短冊に今、願い事を書くとしたら、
「塾生たちの成績が上がりますように」
と書くゾ☆
「よく遊び、よく学べ」だよね。
高校生の期末テストもいよいよ佳境だ。
一足先にテストが終わる高校の子から、最終日にある授業の欠席の申し出があった。
理由を聞くと、
「打ち上げ的な…」
と返ってきた。なので私は、
「テストが終わったくらいで打ち上げだなんてなぁ…」
「そもそも打ち上げっていうのは学校の先生側が行うものであって、生徒がその言葉を使うのはなぁ…」
と、さんざん嫌味(もちろん冗談、生徒も苦笑い)を言ってこころよく送り出した。
そういえば去年までは、コロナでこんなことすらできなかったんだなぁ。それを思うと、高校生としての思い出を少しでも作っていってほしいと願う。
面談やら夏期講習の準備やら。
夏期講習と言えば、どこの塾でも行うものだが、他の塾の様子を聞くとビックリすることがある。
昔、ある大手塾の夏期講習が10万円以上で「高い!」とウチに来た生徒がいたが、わりとそのくらいかかるところもあるみたいだ。合宿とかやるところもあるしね。
先日聞いて驚いたのは、「40万円」の夏期講習を勧められた話だ。ほぇ~、ウチの10倍以上。確かにこの業界では、講習は塾の「稼ぎ時」なのだが、ずいぶん景気のいい話だ。私はそれを聞いて、
「新車の原付買えるじゃん」
と思ってしまった。こんな小市民じみた思考回路だから、いつまで経っても定食屋で小鉢をつけるかどうかで悩んでしまうんだな。
なんにせよ「料金では負けるけど質では負けないようにしなくては」と思う。そっちはまあまあ自信があるのだけれど。
家から近いkらという理由で応募し採用された塾で塾講師生活はスタートした。
講師をはじめて1年目は自分でも何をしているのかよく分かっていなかった。それこそ都立入試の仕組みや各中学校の定期テストの日すら把握していなかった。塾に到着してその日の自分が担当する生徒と指導する場所が指示される。訳が分からないまま、必死に塾講師のフリをしていた。塾講師としては、受験の1年を生徒と過ごしてやっと見えてくるものがあった。
2年目になり少しずつ慣れてくると、生徒の指導の仕方も試行錯誤する余裕が出てきた。その塾では、塾長の手書きの「指導マニュアル」があった。(未完成のまま更新されることはなかったけれど)その後いくつかの塾を渡り歩いたけれど、指導法に関するマニュアルがあったのはここだけだった。今ならばネットなどで調べ学ぶこともできるけれど、当時はそんなものも無かったので、これと塾長から教わったあれこれは本当にありがたかった。
特にタメになったのは、図形の証明問題の指導法だった。証明を結論から逆に説明していくようになっており、これで証明に必要な要素を適宜書いていくことができる。これを証明問題の解説をするときにも活用したが、私はこれを「結論」から話す技術と、「なぜ」を使った説明法に転用していった。
単語をひとつひとつ拾う。
「意訳」について思うこと。
中学生に英語教科書の読みと訳のテストを行っている。そこで私の行った訳ではなく、学校の授業で習った訳し方で訳を披露する子がいる。その訳は、日本語的に正しく綺麗に整えられた「意訳」だ。
一方私の行う訳は「直訳」で単語も教科書に載っている意味で訳しているのでいびつだ。だから確かに学校で習ったもののほうがカッコいい。しかし、果たしてその訳は英語の力になっているのだろうか。
学校の訳を持ち出してくる子は文法がちゃんと身に付いていないことが多い。それどころか、単語の意味もあやふやだったりする。つまり、「日本語訳そのもの」を暗記して唱えているだけになっている。単語の意味がどうで、文の構造がどうだからとか、そういう思考のもとに組み立てられたものではないのだ。
これを「英文の訳だよ」と言って初学者に与え続けるとどうなるか。文法や構文の重要性を実感できないまま進んでいくことになるかもしれない。(訳はもらえるので分かった「気」にはなれる)そして、やがて出会う初見の英文に太刀打ちできず、知っている単語の意味だけを拾って意味を推測するしかなくなってしまうのではないだろうか。
早期英語教育とか言って小さいときに英会話に通っていた子や、こういうことをしている子が中学高校でイマイチ英語の成績がパッとしないのって、ここに原因があるんじゃないか。いやね、英語を英語のまま理解するとかそういうコンセプトは分かるんだけどね。なんとなく生徒たちを見ていてそんな危惧をしている。
そりゃあかなわないよ、親の思いには。
今日は午前中からバタバタしてしまって、今やっと落ち着いてブログを書けるようになった。
保護者面談が続いている。参加してくださった方はありがとうございます。お話いただいた内容は指導に還元していきます。
誰と話しても、親御さんの願いはただひとつ、「子供の幸せ」なのだなと感じる。いろいろ不安なことがあるけれど、それでも我が子の幸せを願うものなのだなと。
そこに外野からずけずけとモノを言うのが私の役目だ。本当にどの口がほざいているのかと思うが、踏み込み過ぎてしまうこともあり反省する。だから、せめて誠実ではありたいよね。
創造的な。
勉強で「遊び」の多い子は伸びる。例えば、計算をしているときに教わったやり方以外の方法を試してみたりする子だ。
分配法則なんかはその遊びが生かせるところだ。カッコの中の足し算・引き算を先に計算してから外にあるかけ算・割り算を求めるのが普通の計算の順番だが、外にあるかけ算・割り算を先に「分配」してみようとする。こうした計算の試行錯誤で遊べる子は自然に勉強に強くなっていく。
自分で何かを求める公式を導いてみるとか、語源が同じ英単語を調べてみるとか、そういった工夫の余地は勉強の中にだってある。習ったことを少しはみ出すような子が力を伸ばしていく。
やるならもっと上手にやりなさい。
まーた見つけてしまった…。
数学のテストなのに「答え覚えてくる」やーつ。
今年度に入って2人目だよ、まったくもー。これはもう、全員の確認テストの回収だな。本当ならこんなことはしたくないんだけれど、さすがにこれだけいたらもっと出てくる可能性があるからね。
去年まではこんなこと無かったんだけど(もしかしたらいたのかな
...)、これだとできるようにならないから絶対にやめさせなくちゃいけない。
それにしても、テストの丸付けをしていて、「あ、これ怪しいな」と思ってからが後味悪い。生徒を疑ってかかる感じ。私の搦め手に成すすべなく沈む生徒を見ているのも心が痛い。「暗記をする」という生徒の努力も否定することになる。精神衛生上良くないよね。
性善・性悪の前に「性弱」説だ。やむを得まい。
期末テストの結果もボチボチ出始めたかな。
中学生たちは期末テストが終わり、その行動に差が出ている。
ある子は以前よりも自習に来る夜になり、また別の子はすっかり塾の存在を忘れてしまったようだ…。(おーい忘れないでおくれ~)
さて、方々でこすり尽くされたネタだけど、「1.01倍の法則」というものがある。1.01の365乗は37.8だ。(高校生は複利計算の問題だから試してみよう)
ここから得られる教訓は、1日1%の努力を積み重ねると、1年後に38倍になって返ってくるかも知れないということだ。コツコツ続けるのはとても大切だね。
そしてこの話には続きがある。0.99を365乗すると、なんとその結果は「0.03」。つまり、1日1%努力を怠り続けると…分かるね?
中学生たちの「その後」に注目しておきたい。
高校の期末テスト直前!
今週から高校生の1学期期末テストが始まる。今日も高校生たちは自習に来て頑張っており、先週くらいから私も質問対応が増えてきた。
高校生の質問のほとんどが理系科目だ。数学、化学、物理などの質問が多い。今の問題集は昔のに比べると、ずいぶんと解説が詳しくなったと思う。それでも問題を解いていて疑問に思うところや、そもそも問題が解けないということはあるようだ。そういう時はどんどん質問してほしい。
私自身は高校生の時は塾や予備校には通っていなかったので勉強で分からないところを解決する術がなかった。学校の先生に質問に行くべきだけど敷居が高いし、そこまで熱心な学生でもなかった。だから、分からないところをそのまま放置してしまって、気づいた時には手遅れ状態だった。こうなってしまってからではもう普通に勉強しても他の子に追いつけないし、自分で自分の成績と向き合うということができなくなっていく。今もくせい塾に通っている子たちにはそんな思いをさせたくないよね。
「近いから」という理由でなんとなく応募して採用された個人塾で、塾講師生活がスタートした。
その塾の指導は、個別に仕切られた座席に座っている生徒ひとりひとりに、講師が移動しながら指導して回る。
80分の授業で、生徒は多い時で7人いた。授業内に必ず3周生徒を指導して回らねばならず、したがって持ち時間は「一人1分」と決められていた。それをこなせないと結構な勢いで叱責を受けるので必死だった。
生徒の隣に行き、説明しながらノートを書いて渡し、次の生徒へ。生徒の質問を受けたり、ましてや雑談する余裕なんて無かった。工場の流れ作業のように生徒たちは指導して回る。中学生の時に憧れた、少し「はみ出し感」のある大人としての塾講師像からは程遠かった。しかし説明はどんどんシンプルになっていった。
ワークの進み具合で生徒の学習状況を聞いていた。
テストの結果は、テストの前にすでに決まっている。準備がほぼ全てと言っていいだろう。
そんなわけでワークの進捗を聞いて、その中の質問を吸い出して、問題演習でできてないところの洗い出しと補強を行ってきた。
生徒たちの学習姿勢はまだまだ足りないところだらけだ。まず勉強のスタートが遅すぎたし、後半に向かって学習ペースが増えるものだが、それもほとんど見られなかった。小学生の学習時間に負けている中学生もいたかも。これらは今年のテーマとして改善していかなくてはならない。
しかし、どんな時も完璧は無いものだ。テストに向けて完璧に準備できることもない。だからその中で最善を尽くすことを目指してほしい。今回生じた反省点は次に生かしていってほしいと思う。私も反省して今後の指導に活かしていく。
今日から7月だ。
今日から7月で、昨日6月30日はハーフタイムデイというらしい。1年のちょうど真ん中の日らしく、最近できた言葉なのかな。はじめて知った。
1年ももう半分が過ぎた。早いものだなぁ。と感慨にふけってはみたが、3か月前に
「もう新年度だ」
とか、さらにその3か月前に
「もう2023年だ」
みたいな、「もう○○」を3か月おきにくりかえしているだけのような気もする。そう考えるとそれほど早くないのかも。
しかし3か月に1度振り返るというのは大きな節目としてはちょうどいい気がする。3か月前に考えていたことや目標をどのくらい叶えられたか、ここで一度立ち止まって思い返し、次に進みたい。