忘れ物から見えてくること

私は、教科書や筆記用具などを忘れた生徒に対して、「それは戦場に武器を持たずに来たようなものだ」という小言(?)を必ず言います。

 

塾は勉強をする場です。そこに勉強道具を持って来ないのは、勉強の意思が無いということです。たまたま忘れただけじゃないかと思うかも知れませんが、そこで何も気付きを与えずに塾の備品を貸し出してしまうと、私の考える「自立学習」ではなくなってしまうと思っています。

 

自立心が育つとは、その日、自分で何をやるか考え行動できるようになっていくことだと思っています。「勉強をしよう」と自分で思って行動する中には、そのための道具をそろえるということも含まれます。自分がどのような行動を取るのか、それはなぜか、そのために必要なことは何か。そこまで想像力が及ぶ人になってもらいたい。何も考えずにただ塾に来ていればいいと思っているような子に成長はありません。自分が何をしに塾に行くのか。それこそ、その日の勉強は、勉強を始める「前」からその成果が決まっていると言っても過言ではないです。

 

そんなわけで、私は遅刻・忘れ物(宿題忘れ含む)に対してはうるさいですし、ひどい場合は忘れ物を取りに帰らせたり授業を受けさせなかったりもします。何も考えずに他の人が動かすベルトコンベアに乗っかっているような人生では、これから先、加工されてただの缶詰になってしまいます。たかが忘れものではありますが、その裏にある意識の差が、これからの成長に関係しているのではないか、とさえ思っています。