親の関わり方

他塾さんの入塾面談で出す資料を見せていただいた。保護者の方に受けてもらったアンケートを"子供への関わり方"としてマトリクス図で示すものだった。

子供の学習への"関心"の有無の度合いと"関わる頻度"が指標になっていたかと思う。集めたデータの平均値からどのくらい離れているかを示すものと思われるが、そんなん他の親の平均と比べて何になるんじゃいとは思う。
昔勤めていた塾でも似たようなものがあった。生徒にアンケートを答えてもらって"性格診断"をするというもの。「お子さんはこういう性格タイプだからこういう指導をしていきましょう」なんて、実際に指導にあたる講師はそっちのけの教室長の初対面用話題ネタ作りと、「AIみたいなビッグデータがすごくてどんなイシューもASAPでソリューションね!」という分析力をなんとなく誇示する目的があった。確かにこれは星ひとみ先生のホームページのような頼もしさだった。

しかし一方でこのツールの登場は、「子供の学力は結局"親の関わり方"が大切だ」というメッセージだとも取れる。
過去に多くのご家庭と関わってみて、(完全に私の主観だが)勉強がうまくいっていない子供のご家庭で親御さんが"過干渉"な場合も"無関心"な場合もあった。成績の良い子の親御さんは「うちは何もしてないんです」とおっしゃる。しかし実際に関わっていくと必要な時を見逃さず、その時だけ親御さんが手を差し伸べるている場合が多かった。そういう意味では、"成績を上げる親子の関わり方"というものはあるのかも知れないなと思う。教育も子育ての一環なのだから。

こういうことを考えると、いつもネイティブアメリカンのこの言葉を思い出す。

乳児は何があっても肌を離すな。幼児は肌を離せ、手を離すな。
少年は手を離せ、目を離すな。青年は目を離せ、心を離すな。

進化したAI技術がはじき出したものは、すでに何百年も前に悩み抜いた親がたどり着いたものだったのかも知れない。

風邪が流行っている

インフルが流行っているようだ。学校の学級閉鎖の話も聞くし、塾でも毎日誰かしらが授業を欠席する。授業が進められないのはもどかしいが、健康あっての学力なので体調を崩してしまった子はゆっくり休んでしっかり治してほしい。

こんな状況になると、コロナ禍での学びを今こそ活かしていくべきだと感じる。人の大勢いるところではマスクをして、外から帰ったら手洗いうがいを欠かさず行う。今やマスクも容易に手に入るようになった。

そういえばコロナ禍の頃ってなんであんなにマスクが手に入らなかったのだろうかと思う。もちろん命に関わることなので軽く扱って良いものではなかったが、世間が感染に対して過剰にピリピリしていた。抑圧されている自分のストレスをぶつけるかのように直接関係なくても何かを叩いてしまうような風潮は、それ自体がアレルギー反応のようだった。実は弊塾にも"自粛警察"のような人からメールが届いたりもした。きっと私が何か勘に触れるようなことをしていたのだろう。状況を見て教室を休校にもしていたのだがそれは伝わらなかった。きっとそういう人は感染症を徹底的に防ぐあまり、こちらの努力や思いも完璧に防がれていたのだろう。無視していたらいつの間にか連絡は来なくなったが、抗体の皆さん、次はどんなことにお怒りでいらっしゃいますか。

いずれにせよ健康であることが1番大切。塾生たちには自分の体は自分で守るつもりで予防し、体調を崩したらすぐに適正な処置をしてもらってほしい。早く元気な姿を見せておくれ。

成績上げたいなら自習においで

自宅で集中して勉強できる子供はまずいない。塾講師をしていると結局この意見になってしまう

確かに家でも良いパフォーマンスで勉強できる子はいる。しかしそれは本当に少なく全体の5%もいないんじゃないだろうか。きっとそういう子は家族の協力体制がめちゃくちゃあって、勉強中は物音を立てないようにしてもらったり、集中力の妨げになるものを排除してもらっていたり、勉強部屋の環境を整えてもらったりしているはずだ。普通に複数人が生活している場での勉強はとても難しい。

人の集中力の持続時間は50〜90分ほどで、その中でも15分ごとに集中力が高まるサイクルがあると言われる。生活音がする場所で、集中力が最高まで高まるこの15分間をまず確保できるだろうか。テレビ、スマホ、その他の娯楽が全く意識されない環境、勉強以外のことをしている他の人が意識されない環境を15分間も自宅で持続させるさせるのは難しいと思う。そもそも生活とはそういうものなのだから。(ものすごい豪邸で何十メートルも部屋が離れてれば可能かも知れないが、私はそんな経験はないので分からない)

過去に「勉強は家でやるから」と自習に来なかった生徒たちの成績はおしなべて芳しいものではなかった。このことからも自宅で集中して良い勉強ができるとは言い難い。演繹法でも帰納法でもこのことは証明されてしまうのだ。本当に自宅で成績を上げる勉強ができる子は時間の無駄になるのでそもそも塾には通わない。

だから結論として、「弊塾に通うならば"自習"に来て下さい」ということになる。自習に継続して通った生徒は目に見えて成績が変わっていくのは帰納法で証明されている。

計算ミスはね、自分の学習姿勢のミスなんだよ

定期テストの数学できちんと学習内容を理解できているのに得点が9割を超えない中学生は、計算力を見直した方がいい。本来テストで分からない問題が1問くらいならば95点くらいは取れるはずなのだ。

80点台後半をうろうろしている生徒の失点は主に計算ミスにある。つまりは計算力。テスト中の焦りや緊張程度で揺らいでいるようでは計算力があるなんて言えない。いつ何時でも同じ計算は同じ答えが出なくてはならない。

計算で間違える子のほとんどは「"お手本"通りにできていない」。初学で習う時は必ず「途中式」も書いて教わるはず。その通りに途中式を書かないところから計算力の揺らぎは生まれる。四則計算さえできていれば、手順通りにやればどんな計算でも全て必ず正解に至る。それを途中式を端折ることで自分でつまづいている。中学生で定期テストが70点くらいの子、小学生でカラーテストが80点くらいの子はまず途中式が書けない。きっとどこかで"面倒臭い"という気持ちから途中式を省略しだしてしまった結果だ。それで暗算でなんとかしようとして、途中式を書いた方がずっと速いのにいつまでのウンウン唸っている。

計算間違いを"ケアレスミス"としてしまうのは間違いだ、計算間違いは「分かっているのに得点に結び付かなかった」重大なミスだ。そしてそれを引き起こしたのはかつての"面倒臭がって"途中経過を省略してしまった自分の怠惰な心だ。そのことを深く心に受け止め、計算過程に省略してしまった1行を追加することから計算力は回復していく。

答えを写してしまう子

分からない問題を"答えを写す"ことでやったフリをしている子は重症だ。学習姿勢が末期状態にあると言っても過言ではない。

きっと初めは些細なこと、一生懸命考えたけれどどうしても分からず、答え合わせの時に赤ペンで直すのではなくつい解答を写して丸をつけてしまったりしたのだろう。それを繰り返すうちに罪悪感は薄れ、答えを写していてもドキドキしなくなる。宿題でそれをやって提出しても先生に注意されなかったことで、自分の中の"タガ"が外れてしまったのかも知れない。やがて常態化し、自分で考えることをやめてしまう。提出物は全て答えを写すようになり、授業中も先生の目を盗んで解答を写すようになっていく。

そして答えを写すことでやり過ごすことを学んでしまったので、学校の授業も聞かなくなる。学習の穴がどんどん広がる。学校の授業は何を言っているのか理解ができなくなり、1日6時間の授業はただ我慢して座っているだけの時間になる。他の子たちは次々に新しい力を身につけていっているのに、その子だけは石のように固くなって座っているのだ。

こうなる前に早くその悪癖を治さなくてはならない。本来楽しいものである授業を"我慢"の時間にさせてしまわぬように。

英会話の落とし穴

成績を聞いてみると定期テストの英語が60点くらい。そこで「英会話通わせてるんですけど…」とおっしゃる。そんなご家庭が弊塾に面談に来られることが随分増えた。大体小学校高学年くらいから英会話に通い始めていて、「英検3級はもう取った」という状況。

きっと早期英語教育をということで英会話に通わせ、中学校での英語の成績も期待されていただろう。学校の平均点を下回る状況に忸怩たる思いもあるかも知れない。だがこれ、塾では"あるある"だ。

えてして早い頃から英会話に通っている子は英語のテスト勉強が得意ではない。実際にお子さんを預かって英語の指導を始めてみると、文法の力はスカスカで中学から英語を勉強し始めた子よりも知識がなかったりする。英語に早くから触れることで"もう英語はわかるから"という思いが1から勉強することを遠ざけてしまう。なんとなく「日本語は読めるから」と国語の学習をしない子の傾向に似ている。だから英単語だって書いて覚えようとしない。だが中学校で習う基礎英語は英文法が主体だ。ニュアンスでやってもテストの点は取れない。英検3級は取れたかも知れないが英会話では受験英語は乗り越えられない。

断っておくと英会話教室が悪いと言っているわけではない。英会話と学校の英語は別種目だと言いたいのだ。かけっこが得意な子がやったことのない将棋だって「できる!」と言っているようなものなのだ。まあまあまずは駒の動かし方を覚えようよ。そうすれば英会話教室で鍛えた耳だって発音だってもっと生きてくる。英会話と学校英語、"北極アイス"と"中本の北極ラーメン"くらい紛らわしいが別物だとご認識いただきたい。

合格発表

私立高校入試の合格発表が出始めていて本日報告に来てくれた生徒もいる。合格おめでとう!

受験は中学生にとって、おそらく自分が選別される立場になる初めての体験だろう。それまでこんな経験それほどなかったんじゃないだろうか、公教育では表向きは"みんな平等"だから。
高校受験の場合、一部を除いてそれほど熾烈でシビアな判断はないかも知れないが、社会が自分の何かを見てジャッジを下すというのは多少なりとも緊張や、もしかしたら恐れを感じたことだろう。"合格"とは「格に見合う」、その学校の生徒としてふさわしいかどうかを学校側が示す言葉だ。やっぱりそれは軽いもんなんかじゃない。

これから生きていく上で、何かに対する自分へのジャッジというのはどんどんシビアに、あからさまになっていく。だから受験でその世界に触れて感じたことを大切にしてほしいなと思う。選ばれる立場に立ったことで、それまで自分の感情だけで"嫌だから""面倒臭いから"と選ばなかったものにも意味があったんだと理解してくれていると嬉しい。今回は合格だったけれど、もし不合格だったとしても自分の頑張ってきたという事実に嘘はないはずだから。

私立高校入試

本日から埼玉県の私立高校入試が始まった。弊塾からも受験生が試験に臨んでいるがどうだっただろうか。

多くの生徒たちにとってこれが初めての本番となる。「併願だから」「推薦取れてるから」と余裕かましている生徒でもかつてない緊張感を味わっていることだろう。本番とはそういうものだ。

今年の受験は天候には恵まれた(寒いけど)。

私が高校受験で私立高校を受けた日は、たしか数日前に降った雪がまだ残っていたと思う。冷たい風の吹き付ける中、試験会場である高校の体育館にはずらりと並べられた長机とたくさんの緊張した面持ちの受験生たちがいた。
試験時間中、カリカリと鉛筆の走る音だけがする中、試験監督が机の左上に置かれて受験票の写真と本人の顔を確認して回る。当然不正はしてないので何も問題はないのだが、自分の番で何か言われたらどうしようと少し不安にもなった。2メートルほど離れたところに設置されていた石油ストーブがシュンシュンと音をたて、そこから伝わる放射熱が顔に届いてやけにチリチリと熱さを感じる、だがその熱に集中すると不思議と周りの音が消えていった。

受験生たちにとって、受験が良い経験となることを願う。

社会への興味

中学生時代、社会に興味が持てなかった。勉強にはそのことに対する興味が必要不可欠、だから5科目で社会の偏差値が1番低かった。

なぜ興味が持てなかったのか今なら分かる。"想像できない"からだ。地理でアメリカの農業を学んでも、歴史で豊臣秀吉が天下を統一してもイメージが全く湧かない。どの情報もつるんとして匂いがなく、文字から伝わる熱を感じ取れないでいた。

年を経て社会が好きになった。それは旅行をして多くのものを実際に見たことが大きかった。車で関東を出る時、日本は山の方が多くて自分はたまたま日本一広い平地に暮らしているだけだと実感した。海外でぼったくりに遭った時、「お金を払う人がエラい」なんてのは日本国内の文化でしかないことを知った。鹿児島にある洞穴の落書きを見て、西郷隆盛は最期どんな思いだったのだろうかと想像した。そこにはザラザラとした手触りの世界があった。

"経験"は子供の学力が机の上から外の世界に出るためのパスポートだ。

期末テスト勉強始めてる?

弊塾でも昔1度だけ、授業の"前倒し"をしてくださいと言われたことがあった。

前倒しとは、テスト日程の直後にある塾の授業をテストの前に行う行為。個別指導塾などでは常態化しているはずだ。
かくいう私も、個別指導塾の雇われ塾長をしていたときは応じていた。そもそもその塾の運営会社全体でそれをするのが当たり前という風潮もあり自分もこれが"サービス"だと思っていた。

結果、前倒しを求めたご家庭のお子さんは軒並み成績が下がっていった。
今になって思うと理由は明白だ。そもそもテストの直前に講師の指導が必要な段階で、その生徒のテスト準備は"終わってる"。遅くても数日前には範囲の学習が一通り済んでいなければ得点なんて伸びるわけがない。テスト数日前になって「前倒しお願いします」となっても時すでに遅しなのである。

実際に前倒し分の授業を担当したこともあったが酷いものだった。まず当事者の生徒がテスト範囲を把握していない。他の生徒から借りたテスト範囲を元にワークを開かせてみると手を全くつけておらず、授業の前倒し分でテスト勉強がスタートする。当然問題なんて全く解けないから最低限点が取れそうなところだけ教えて後は解答を写させる写経の時間になる。それでも仕方がないので提出分だけでも終わらせなと居残りをさせようとするとあからさまに嫌がる。生徒がワークを"無くして"いることがその段階で発覚した日には、講師ルームの中はお通夜のようになる。

そんな子供が授業を前倒しし、テストが終わった後2週間塾の授業がない状態が続くとどうなるか。その先の未来は容易に予想がつく。まず、場当たり的な指導しかできない担当講師の能力も問題なのだが、前倒しを"サービス"のように謳ってしまう教室のあり方にも問題があった。やればやるほど子供が愚かになっていくことは誰に向けたサービスなのだろうか。

さて、弊塾で依頼された"前倒し"だが、私は断わった。そしてそのご家庭は途中で退塾していった。親御さんには、私がサービス精神のない"ケチ"な人間に映っていたのかも知れない。

私立高校入試まで

いよいよ私立高校入試まで1週間程度となった。

「確約取れたから」
「すべり止めだから」

日本の入試制度の悪いところは、子どもたちのこういう発言に出ている。もちろん受験生を集めたい私立高の思惑と安心を買いたい家庭の間で取り決めされたことなのでこのことに部外者が口を挟めるわけではないのだが、これらの発言の「〜から」の後ろに続くであろう言葉を想像すると"勿体無い"と思ってしまう。

毎年私立高校入試の問題を見ていると、ある学校で出された問題が次の年には別の学校で出題されたりする。もちろん多少は形が変わるが、そうやって同じ問題が巡り巡って今年のどこかの入試問題になっている。それが入試の"典型問題"だ。その大元を辿っていくと、学力検査で"ちゃんと受験生を見たい"と思う学校の先生がいらっしゃるのだろう。そんな誰かの思いを"テキトーにやっても受かるっしょ"と軽く受け流してしまうのは勿体無い、と思うのだ。

だから私は公立高校第一志望の生徒の保護者の方にも私立高校入試の過去問も用意するようお願いをする。その問題が"なぜ"生まれてきたのか、までは考えなくとも、その問題に真剣に取り組んだことが生徒の今後に必ず役立つと確信している。

残り1週間、この過ごし方で受験が良いものにもそうでないものにもなり得る。塾生たちには問題との"良い出会い"をしてもらいたい。

冬期講習

本日で中3冬期講習の全日程が終了した。

正直言ってまだまだやりたいことはあるが、一通り中学生の内容を復習し、入試に向けた実戦的な指導もかなり加えることができた。自分的にはやりきったと言える内容になった。ここから私立高校入試までは10日ほど。生徒たちにはここからの勉強の仕方について具体的なアドバイスもした。ここから入試まではあっという間だけれど、これまでの中学生活2年半にも匹敵するような濃密な時間を過ごしてもらいたい。

生徒たちも休まずしっかりと取り組んでくれたと思う。夏前から比べて随分成長も見られた。受験は通り過ぎてしまえばあっという間のイベントだが、人を成長させる場だと再認識した。これまで勉強に割いた時間は決して無駄にはならない。指導は形に残るものを手渡すことができないが、生徒たちの中にそういった、何か確信めいた手応えが芽生えていてくれると嬉しい。

冬期講習

3学期がスタートして一旦休止していた中3冬期講習の残りを行った。

学習内容もいよいよ大詰め、中3の学校で現在進んでいるところを主に扱っている。毎年そうだがやはりまだ習熟の甘さが見られる。いやらしいことに、数学の図形分野や英語の不定詞の構文など、3年生の後半に習う範囲は入試頻出だ。ここを早急におさえる必要がある。受験生にはラストスパートを頑張ってもらうしかない。

当たり前のことだが、1年で習った範囲などは内容も易しくその後も何度も出てきているので定着度は高くなる。だが入試では3年の範囲が多く出題されるので、指導カリキュラムもそれに合わせていく必要があると思っている。学校の定期テストがコンスタントに配置されてるのでなかなか自由にやるわけにはいかないけれど。弊塾は生徒の多くが予習型で学習を進めるので、さっさと中学校の学習内容を1周して、2周目以降は前半を飛ばして進めていければいい塩梅に濃淡をつけて指導できるかもしれないなんて考えたりもする。でも積み残しがあると失敗しそうなので、問題演習量などで補うのが現実的だろう。

習熟が甘いといえば、最近の小中学生は「確率」が苦手な子が多い気がする。樹形図が上手に書けない。自分が何を数えたいのかを整理できていない印象だ。まずは愚直に全ての場合を書き出してみて、それを効率化するために表を使ったり樹形図にしたりするという流れで指導する必要がある。いくつかのものを分類したり数えたりという経験があまりないのかもしれない。
あと単純に"トランプ"を見たことない子が増えてきた。絵札って何?マークって4種類あるの?このあたりから実物を持ち出して説明しなくてはならなくなっている。もうトランプは国民的遊戯ではない。それよりも「太郎君が、はま寿司でお父さんの目を盗んで食べた金の皿のお寿司は何枚でしょう?」のほうが親しみやすいかもしれない。はま寿司算。

受験生にとっては3連休などないが、最後まで一緒に駆け抜けていきたい。

冬期講習

「常に本番を想定して備えよ」

生徒には意識してもらいたいことだが、なかなか難しいことでもある。こと受験においては、実際に味わうまでそれがどれだけ緊張するのか、想定外のことが起こるのかは分からないものだ。

今日の冬期講習国語の時間では、古文の本文を生徒にいきなり現代語訳してもらった。普段は私が解説を加えながら訳も行うので、「はい、じゃあ訳して」と言われたときはさぞかしドキッとしたと思う。"次は自分だ"と、急に助動詞表を引っ張り出したり机の上でジタバタし出す生徒たちの姿が見られた。結局は授業を"受けて"しまっていたのだ。つまり本番とはかけ離れた精神状態だった。授業中に自分が"安全圏"にいるなんて思ってはいけない。一瞬たりとも腑抜けた顔を見せるな、授業の主役は君なのだから。

その意味では私の先生は本当にすごい人だった。チャイムが鳴って教室に入ってきた時から空気が張りつめ、授業が終わり教室を出て戸を閉めた瞬間に生徒たちは大きく息を吐く。そんな場を支配するオーラを持った人だった。"聞いてませんでした"と同じことを聞き返すことなど許されない、一言一句聞き漏らすまいと前のめりに授業に参加した。自分はまだまだだ、師の背中はまだ見えない。

しかし今日授業で当てられた生徒が訳を終えた後、水筒の飲み物を一気にあおっていた。少しは本番の空気を演出できただろうか。きっと本番を終えた後も喉はカラカラになっているはずだ。

2026年スタート

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

通常授業に先駆けて、2026年の指導が中3冬期講習からスタートした。
体調を崩す生徒もなく、去年と同じ"おはようございます"から始められたのが嬉しい。

数学の図形問題、国語の古典読解、理科の問題演習などは解説中心に進め、社会の近現代史は演習中心で進め都度補足説明を行った。入試は満点を取らなくてはいけないテストではない。ゆえに他の生徒が取れる問題は絶対に取りこぼしのないようにしておくことが大切だ。高校受験でうまくいかない生徒は入試日に学力が底抜けしてしまっている生徒。そういう生徒は入試1、2ヶ月前であってもどんな勉強をしていたのかフワフワしていて内容がない。この時期に密度ある勉強ができているかどうかがとても重要だ。
難しいことなんてできなくていい、できて当たり前のことを100%できるようにしていくこと。これを受験生たちには徹底させていきたいと思っている。