今楽になろうとするな。辛さを燃料にしろ。

自ら「気付いた」ことしかなかなか身に付きません。

 

自習に来ている子たちを見ていると、自ら「勉強するぞー!」と来ている子と「そうじゃないだろーな」な子の違いはやはり感じられます。それは進む学習量・内容であったり、質問に来るかどうかや、立てる物音・集中度の違いなどに出ます。でもたとえ親御さんに言われてでも、ちゃんと来ているのは立派です。その「自習に来る」という行動がどこかで習慣化すればそれだけで大きく成長します。その習慣化する瞬間は「何か」に自ら気付いた瞬間でしょうね。

 

以前、「毎日自習に来る」と宣言したのにその約束を破り、(それは仕方のないことなのですが)そのことを私に謝ってきた生徒がいます。これはいけないと感じました。私に叱られないように顔色を窺っているのが分かります。生徒の勉強は私のためにやってもらっているわけではありません。また、約束を破ってしまった事実はもう変えることはできないわけです。だから私に謝ることで何かを許されたような気になってしまうのもいけません。

 

頼まれたことができなくて、それを謝っているのならば分かるのですが、勉強は自分に必要だから(本当は「楽しいから」と言って欲しいですが)やるものなので、その日勉強をしなかったということは自分の反省材料にするべきです。届け先不明の謝罪の言葉なんかにしてしまうのはもったいない。

 

もしも簡単に楽になろうとして謝ったのではなく、そこに本気で後悔する過去があるならば、それは今の努力で変えてしまうことができます。「あの時の失敗があったから頑張ったんだよなー俺」と思うことができればそれはすでに後悔すべき過去ではありません。そのことに早く「気付い」て欲しいと思っています。