言葉の無い人間でも伝えたい

明日はいよいよ埼玉県立高校入試です。ですから今日は受験生達を少し早目に帰宅させます。前日の夜くらいは家族と過ごして欲しいと思います。

 

2日前、受験生たちに話しました。私はあまり、「いい話」ができるタイプの塾長ではありません。なんとなく受験の前とかには、「いい話」をするものなのではないか。いつもそう思ったりするのですが、結局毎年、ほとんど何も言えずに生徒たちを送り出します。

 

自分の言葉の無さに絶望しながらもそれでもいつも感じるのは、嘘はつきたくないなという思いです。入試が近くなったからといって突然、まるで人格者のように「いい話」を連発しだしたら、それはさすがに嘘くさいなと思います。もちろんそれが必要な時もあって否定するつもりもありませんし私も使います。ですが、ここまで生徒が信念を持って頑張ってきたことに対してかける言葉としては、それはなんだか違うなとモヤモヤしてしまい、結局、「頑張っておいで」としか言えずに毎年送り出しています。

 

私の高校受験生時代の思い出は塾や塾の先生方の何気ないものばかりです。給料日前でお金がなく、めんつゆをお湯で薄めたもので空腹を紛らわせていた先生の姿や(お弁当の卵焼きをあげました)、暗唱が言えずに愛のムチをもらったときの先生の手のひらの厚さ、授業外だと急にくだけた言葉遣いになる先生の白衣に染みついたタバコの匂いとか。

 

そんな先生方が、どれほど時間を費やしたらそうなるのか、コンパスで描いたような円を描き、オリジナルのプリントをばんばん配り、ついていくのがやっとのものすごい速さで授業を展開していた。それら全てが私たち受験生に対する「エール」だったと今になって分かります。ただの仕事だったら休日を潰してまで生徒を呼ぶなんてできないはずです。その先生方の思いが、それらの行動全てにあふれていました。

 

私も「それと同じ」なんてことは言えません。まだまだ私の師には遠く及びませんし、言葉が無かったり、言葉にしても拙くて真意が伝わらなかったりするせいで誤解を生むことも多いです。だからこうしてブログに書いて言い訳をしています。

 

ですが、塾講師としての思いは自分の師と同じつもりです。生徒たちが真摯に取り組んできたことが明日、きちんと発揮されて欲しい。実力以上のものは望まないから不運が起こらないで欲しい。(そしてもくせい塾で過ごしたことが後々どこかで楽しく思い出されるようなものになってくれれば塾講師冥利に尽きます、が、これは望みすぎですね。)

 

そんなことを2日前に話しました。そんなわけで受験生のみなさん、「頑張っておいで」。