丸付け誰がやるの問題

生徒の解いた問題を、生徒自身に丸付けさせるか、講師(私)が丸付けするかという問題があります。

 

勉強は、読んで覚えて解く。これを繰り返すことだと思っていますが、最後の解くというのは、解いた後に丸付けをしてできているかを確認する所までが「解く」です。それでできていれば次に進み、できていなければ読んで覚えるところに戻る。その判断をする指標がこの「丸付け」の作業です。

 

ですから、丸付けは本当は自分でできなければいけません。自分で自分を客観的に見てどうなのか、何が必要なのかを見つけて行動できるようになれば自分ひとりで学力を伸ばしていくことが可能です。ですがこれが難しいところでもあるようです。生徒が丸付けした答案を見てみると、間違っているのに、なぜか丸が付いていることの多いことといったら(^_^;)

 

こういう生徒には、注意力が足りない子ももちろん多いのですが、「先に進みたい」という気持ちが強すぎて、多少間違っていてもつい丸にしてしまったりすることもあるようです。自分に甘くなってしまうんですね。記号問題ならば間違っているのに丸というのも少ないのですが、それが記述問題だったりすると「正誤の基準は『我』にあり」とでも言わんばかりに正解が激増します。

 

ですから丸付けにも私が介入します。「これは間違いですよ」というメッセージをきちんと伝えないと修正しないまま先に進んでしまい、そこから学力の穴が広がっていってしまいます。それを防ぐのが目的です。しかし先ほど述べた通り、丸付けは自分を客観視する練習でもあると思うのですが、その機会を奪うことにもなります。ですから、バランスを見て手を出す頻度を考えなくてはなりません。

 

なんとなくですが、心の成熟段階という意味では、年齢で言うと中学生の受験生になるくらいまでは他人が丸付けをある程度担ったあげたほうがいいように感じています。自分の学力に対する興味というものが高まるまでは、他人の目を細かく入れていくほうが、その子の学力状況をつぶさに見るという意味でもうまくいくような気がします。