教科書に始まり教科書に終わる

今日も受験を終えた生徒が自習に来て頑張っています。すごいですね。こういう、普通の人がやらないときにやれる子が頭一つ抜けていくのは当然ですよね。

社会という教科について


どうやら社会の勉強は、「ただ覚えるだけ」ではもう通用しなさそうです。

 

保護者の方と面談すると、「社会は覚えるだけですよね。」と聞かれることがあります。確かに覚えることは必要なのですが、それだけでは高得点を取ることは難しいです。

 

もしもその発言が、『教科書の内容を全て理解した上』で「覚えるだけですよね。」でしたらそれは正しいと思うのですが、そこまで全て暗記をやりきるというのはちょっと難しく、それゆえ他の力が求められているのだと思います。

 

今回の埼玉県立高校入試の問題を見てみても、大学入試共通テストの問題を見てみても、資料を見て考えたり記述したりする思考型の問題もずいぶん増えてきています。問題文も長くなり、読解力も必要です。ただ1問1答的に用語を覚えているだけでは太刀打ちできない時代がやってきました。

求められているのは理解すること


ただ公立入試の場合、出題の内容は教科書の中からです。ですから、教科書レベルの勉強で十分対応できるのですが、丸暗記ではなく理解型の暗記が必要です。

 

今回の埼玉県立高校入試の問題に、答えが「湾岸戦争」というものがありました。この問われ方が、「中東では、石油資源を狙うイラクが、クウェートに侵攻したのをきっかけに1991年、□が起こりました。」となっています。年号で答えられれば良いのですが、今時年号による歴史用語の暗記をしている子は少ないでしょう。そうなると、イラクとクウェートの石油利権の内容をある程度知っているかどうかが求められます。ちょっとした用語問題でこれですから、歴史をストーリで理解できているかがポイントになってきそうです。

じゃあ何をすれば?


昔、社会の北辰偏差値が70を超えていて、越谷北高に合格した中学生がいました。偏差値70といえば、上位2%のものすごい学力です。しかし、その子の学習内容に特別なことは何もありませんでした。とにかく基礎の反復のみ。ただし、その反復の徹底具合がものすごかったです。その子の社会の教科書は何度も何度も読み込まれてボロボロになっていました。マーカーの上にマーカーが引かれていて、その勉強の跡が分厚い学力を物語っていました。何も難しいことをしなくても、教科書に習熟するだけで越北に行けることをその子は示してくれました。

 

「教科書を愛読書にすること」。普通すぎる結論ですが、おそらくこれからの社会学習はこれだと思います。(他の科目にも当てはまります。)