主述のある文章を書くことについて

学校が始まりましたが、まだまだ暑い日が続きます。

 

もくせい塾の様子ですが、夏休みを経て中学3年生たちが毎日自習に来て頑張っています(^^)/ また受験生だけでなく、自習頻度の上がった中学2年生たちもいます。ほぼ毎日来ている子もいて頼もしいです!しっかり応援していきたいと思います。

 

さて、高校受験生たちには来週の北辰テスト対策として、北辰のかこもんをやってもらっています。その丸付けをしていて気になる点が出てきました、それは「作文の力」です。

 

実際にあった生徒の解答を見てみます。

 

「ガラス管が水槽の水を試験管に入れ試験管が割れるのを防ぐため。」

 

「国税が安定している。」

 

「輸入が頼れない。」

 

「税が安定して得られるようになった。」

 

これらは、いわゆる「てにをは」、助詞の使い方が間違っていて主述の関係がおかしくなってしまっています。そして、

 

「ためておいた水を使って農作物を育てるので、平均流水量が少ない。」

 

「酸素を吸収し二酸化炭素を放出する効率が良くなり、呼吸の表面積が広がるから。」

 

こちらは因果関係が逆になってしまっている例です。このように、記述問題における作文が「へんてこりん」な場合が多くあります。そして興味深いのは、これが国語の学力が低い生徒の解答かというとそうではないところです。この中には国語の偏差値が60以上の子たちもいるので、学力の高低とあまり関係がなさそうです。

 

そうすると原因は、文脈を読み取る経験が少ないことにあるのかなと思います。普段の会話なども単語と返事だけで成立していたりするのかも知れません。Youtubeにあげられている動画などを見ていると、テロップもできるだけ簡潔に、単語のみだったり省略形や言葉尻を切り取ったりしたものがパッパッと出てきます。そういうものに囲まれた環境で生活していると、文脈をつかむ力を育てる機会は減ってきたのかなと思っています。

 

しかし皮肉なことに、国語の問題ではこういう作文の「へんてこりん」は逆に少ないです。上に載せたものも全て理科と社会の解答です。この理由としては、国語の設問だと「なぜ」や「誰が」といったものが明記してあり、誘導に沿って答えやすいことが挙げられます。そもそも国語の問題の特性上、自由に作文をする設問自体が実は少ないということですね。それゆえ「てにをは」が正確に使えていなくても国語では高得点できてしまう。したがって学力(偏差値)と「へんてこりん作文」には関係がなく見えるのかも知れません。

 

「『文脈を理解し使いこなす力』と『学力』は関係ない」とするべきか、「『文脈を理解し使いこなす力』が測れないならば今の学力評価法には問題がある」とするべきかは私には分かりませんが、とりあえず今はこういう回答だと減点や×になります。しかしこれからビュンビュンと情報がスピーディーに交わされ、長々と話すのは「遅い」とみなされるようになっていけば、こういった助詞のようなものの重きは減っていくのかも知れません。そうするとやがて、記号や信号のようなものだけでコミュニケーションする人が出て来るような時代が来るのでしょうか。例えばLINEのスタンプとか、そこで交わされる了解の「り」とか、ちょっとそういう感じがあって、なんかすごい未来がきたなとワクワクします。もちろん受験勉強を教える者としては過去のしきたりの中に軸足を置いておかねばならないので、そこに矛盾を感じるのですが。