勇者の名前を入力してください「   」

いっそのこと、勉強はゲームだと思ってしまうといいかも知れません。

 

「勇者は問題を1問解いた。3の経験値を得た。」

 

「勇者は不規則変化動詞を全て書けるようにした。レベルが1上がった。」

 

みたいな。半分本気で思っていますが、ノートやスマホのメモに、自分の冒険の書として勉強の内容を記録してみても面白いかも知れません。(そういうアプリもありますね。)

 

ゲームと違うところはボタン一つでレベルが上がるほど簡単ではないところ。おそらく隠しパラメーターなども、ものすごくたくさんあって一筋縄ではいきません。自分の「面倒くさがり度」とか。でもちょっとややこしいほうが長く遊べます。ゲームと同じところはやった分の経験値が必ず入るところ。どんなに伸びにくくても、じっくりやっていけば必ずレベルアップします。だけども全くやらない人は「はじまりの村」で「ここは『はじまりの村』だよ。」と言っている村人Aです。

 

そういえば小学生の時に昼休みに校庭のトラックをマラソンしてその周回数分のハンコを押してもらうみたいなのがあったなぁなんて思い出してこんなことを書いています。仕事や勉強にゲーム性を持たせることをゲーミフィケーションというそうです。やる気につなげられる技術なので、自分なりのレベリングの仕方を見つけていきましょう。

今楽になろうとするな。辛さを燃料にしろ。

自ら「気付いた」ことしかなかなか身に付きません。

 

自習に来ている子たちを見ていると、自ら「勉強するぞー!」と来ている子と「そうじゃないだろーな」な子の違いはやはり感じられます。それは進む学習量・内容であったり、質問に来るかどうかや、立てる物音・集中度の違いなどに出ます。でもたとえ親御さんに言われてでも、ちゃんと来ているのは立派です。その「自習に来る」という行動がどこかで習慣化すればそれだけで大きく成長します。その習慣化する瞬間は「何か」に自ら気付いた瞬間でしょうね。

 

以前、「毎日自習に来る」と宣言したのにその約束を破り、(それは仕方のないことなのですが)そのことを私に謝ってきた生徒がいます。これはいけないと感じました。私に叱られないように顔色を窺っているのが分かります。生徒の勉強は私のためにやってもらっているわけではありません。また、約束を破ってしまった事実はもう変えることはできないわけです。だから私に謝ることで何かを許されたような気になってしまうのもいけません。

 

頼まれたことができなくて、それを謝っているのならば分かるのですが、勉強は自分に必要だから(本当は「楽しいから」と言って欲しいですが)やるものなので、その日勉強をしなかったということは自分の反省材料にするべきです。届け先不明の謝罪の言葉なんかにしてしまうのはもったいない。

 

もしも簡単に楽になろうとして謝ったのではなく、そこに本気で後悔する過去があるならば、それは今の努力で変えてしまうことができます。「あの時の失敗があったから頑張ったんだよなー俺」と思うことができればそれはすでに後悔すべき過去ではありません。そのことに早く「気付い」て欲しいと思っています。

 

勉強楽しいぜ

富士中の期末テストまで3週間を切りました。高校の期末テスト日程などの情報も徐々に集まってきましたが、だいたい同じくらいに行われるようですね。つまりもう3週間前です。

 

中学生たちは少しずつ期末テストの勉強として授業を先に進めるのを止め、復習にシフトしています。

 

勉強の仕方を教えることはずっとやってきたつもりですが、まだ上手でない生徒や、今回初めてテストを受ける1年生たちもいます。ですから塾がテスト勉強の流れを作っていくにはどうしたらいいのかを考えながら進んでいます。まずは今の自分の状況を知ることが第一だと思って、テスト問題集をやらせて間違えたところの解き直しとそこからどのように勉強していくべきかを伝えています。この時期は、英語で言うと単語・熟語が身に付いていない生徒が多いです。英語を受けている生徒は単語テストを授業ごとに行っていて、やっていなかったときに比べればマシなのですが、それでもまだまだと感じます。単語テストも教科書の読み訳も反復させていくので、今後改善していくはずです。みんながんばれ~!

 

私が中学生の時に通っていた塾は集団塾で、定期テスト前だからと言って授業が止まることはありませんでした。だから定期テスト期間は塾の授業を受けながら、それとは別にみんな勝手に勉強していたと思います。(自習室も無かったので、他の子がどのような勉強をしていたのか見たことがありません。)テスト勉強の計画表も自分で作っていましたし、勉強法も自分であれこれ試し、その中で「これかな?」と思うことをやっていました。割と学校の成績対策というところに関しては放任的だったように感じます。(塾に学校での成績を伝えるようなことも無かったような。)

 

私が好きなのはそういった、学校よりも勉強に関して追い求めることに純粋な空気感を帯びた塾です。「評定の為に授業で発言をしないと」とか、「他の友達グループの目が気になる」とか、そういったことを神経をすり減らすことなく純粋に「勉強楽しいぜ」ってなれるような自由な空間にあこがれがあります。回顧主義なのは重々承知なのですが古き良き塾みたいなあこがれです。なんとなく子供の頃、学童保育に通う子たちを「いいなぁ」と思っていたのもあるのかも知れません。

 

だからテスト勉強であっても、自分であれこれ試行錯誤していって欲しいなと思っています。「勉強面倒臭いからきら~い」と最初から拒絶してしまうのではなく、上手にできたら楽しいですし、上達したら嬉しい。上手くいかない場合であっても次こそはと燃えることができる。学校の勉強にもそのような楽しみ方があると知って欲しいです。進路の為とか、評価を上げる為とかだけを思って勉強をしていると疲弊してしまうので、そこに楽しみを見いだして、純粋に自分の能力が伸びることに喜びを感じて欲しいなと思っています。

 

「過不足無く」では足りなくなる

今日は、東京にある私立高校の先生が学校案内を持って挨拶に来て下さいました。お話によると、学校も通常授業が再開したそうで入試説明会も7月から始まるそうです。

 

入試のお話も聞いたのですが、入試日は例年通りのようです。内容は、都立高校の入試範囲と同じになるようです。英語は関係代名詞、数学は三平方の定理と標本調査、国語は中3で習う漢字全てが除外ということですね。これは埼玉県の県立高校や私立高校の入試にも影響がありそうですね。

 

興味深かったのが、通常の入試の他に行う特待生入試の出題範囲は今までの中3の内容全部だということです。つまり除外範囲を学習していない生徒は特待生受験は不利になる、言ってしまえば特待生としては受け入れないという高校からのメッセージです。

 

これは学習塾の姿勢も関係してきます。特待生入試に対応している塾とそうでない塾が出てくるということになりそうです。今回の件で、中学校の復習をしている塾はかなり厳しい立場に追いやられるのではないでしょうか。再開した学校の進度もロケットみたいになっていますし、もし中学校が未修範囲を行わなかった場合、そのような塾では教えることはできないでしょう。もくせい塾の中3生英語は全員関係代名詞まで終わらせています。受験科目から英文法を除外できるようにすることを目標にやってきましたが、学校で受動態の復習と現在完了の授業が1か月足らずで終わりになってしまった(しかも分散登校中)現状を見て、もしやっていなかったらと思うとゾッとします。本当に良かった。数学もかなり進めておいたので、このままいけば全員全範囲終わらせることができそうです。

 

コロナがあって埼玉県も受験範囲が縮まったとしても、こうした格差のようなものはそこかしこに出てきそうです。親の経済力が子供の学歴と相関するなんていう研究が一時期話題になりましたが、親の情報力も子供の学歴に関係しています。このままいくと、学力的には届いていても未修の範囲があって受験できないなんてことも出て来るかも知れません。情報を集めることの重要性がますます高まっていますね。

何を支払っているのか

今もくせい塾にはタブレットがいくつか置いてあり生徒の勉強の補助や、仕事に欠かせないものになっています。また、私が個人で所有しているスマホやタブレットではyoutubeやNetflixなどで動画を見たり、音楽を聴いたり本を読んだり娯楽にも使用します。本当に便利な世の中になりました。

 

ところで、スマホを利用している体感時間と実際の時間には3倍くらいの差があるらしいです。「1時間くらいかな」と思っていても、実際には3時間くらい使っている場合もあるとか。仕事など意識的に使われるのではなく、ただなんとなく、漫然とSNSのチェックなどに使われると体感時間とのずれが大きくなりそうですよね。それが毎日続くと週に21時間。10年で10000時間くらいになります。

 

10000時間といって思い浮かぶのが、有名なマルコム・グラッドウェルの「一万時間の法則」です。スポーツ選手など、何かの分野で10000時間くらい継続的に取り組めば、その道のエキスパートになれるというアレです。例えば小学校高学年くらいでスマホを子供に与えた場合、その時間スポーツや学問などに打ち込んだ子が20歳くらいでその道のエキスパートになっているのに対し、スマホに1日3時間「取られ」続けた子は。

 

ビジネスの世界では今、顧客の持つ「お金」ではなく「時間」の奪い合いになっているそうです。顧客を自分のサービスに繋ぎとめておく時間を伸ばすことができれば、そこから利益を上げることができると。たしかマクドナルドの「ハッピーセット」の戦略は、子供向け商品で子供の頃からマクドナルドの味を教えて継続的な顧客を生み出すことでしたが、それがスマホの画面から広がるネットビジネスの世界でも起きています。子供たちは自分が何者かになる為の「時間」という財産を、スマホにどんどん吸われています。そう考えると、とても怖い気がします。便利な面と怖い面、両方を理解して付き合っていきたいものです。

頭をよくするには、頭を使っていくしかない

 

学力を伸ばす為の方法を知りたいのならそれは簡単です。学力の高い生徒の真似をすればいいだけです。

 

自分の目標とする生徒を決め、その子に何をやっているかを聞き、それを自分でも実践していけばいいだけだと思います。ただ、同級生に教えを請うのは本人にも相手にとってもなかなかハードルが高いようです。(なんだか気恥ずかしいとかね。)

 

だから講師に聞いてきます。講師ならば、同級生よりも素晴らしい方法を知っているに違いないと思い込みがちですが、講師であっても自分の方法論しか持っていません。よってそれを教えることになりますが、その方法が自分にとってベストとは限りません。だから同級生など、いろいろな方法を調べて自分が最も効果的と感じた方法をやっていくほうがいいと思います。現に、私が実践していた方法を生徒にやらせても、すぐに挫折してしまうことが多いです。人それぞれ良い方法があるのだと思います。(文法書を全部写経するのは確実に力が付くんだけどなー)

 

しかし、私がある生徒の勉強法を見ていて「お、これは素晴らしいぞ!」と思い、他の子に勧めた時「あの子は頭がいいから~」と言って拒否する生徒がいたのですが、この言い訳はやめたほうがいいです。

 

「あの子は頭がいいから~」というのは、「私はバカだから~」と言っているのと同じです。そしてその後に「私にその方法はできませ~ん」と付け加えたいのだと思います。勉強においてバカなのは今の状態であって、それはいずれ改善します。ですがその改善方法で他に無いかというのは間違っています。

 

おそらくデキる人の勉強法を見て、その手法が面倒臭く感じるのでしょう。「そんな面倒臭いこと私にやらせずに、もっと手っ取り早く成績上げてよ」というのが本音なのでしょうね。笑止の至りです。ふふふ。

 

今のもくせい塾には上記のような生徒はほとんどいませんが、昔の職場には結構いました。こういう生徒に抜けているのは「時間の認識」です。勉強はトレーニングなので、時間がかかります。デキる生徒だって初めからできていたわけではありません。生まれた時はみんな言葉も話せませんし、よもや因数分解なんてできるわけありません。それが成長するにつれて少しずつ少しずつ差が開いていくのが学力です。だから学力を上げたいのなら、学力の上がっている人の進んだ道をなぞるしかないのです。それには時間がかかる。それが理解できていないと、上のような「頭のいい人」と自分の間に線を引いてしまい、自分を「デキない奴」という安全圏に避難させる。そして自分だけの簡単ですぐに効果の出るスペシャルな方法を請うような発言になるのでしょう。この状況は、成績を上げる方法を聞きながら、成績を上げる気は「無い」と言っているのと同じです。だからやめたほうがいい。

 

手間と労力を惜しまずにコツコツやってきた人が、そのかけた時間の重厚な厚みを学力として見せる。その表面だけしか見ないで羨んでいても何も変えることはできません。もちろん講師は「生まれ変わってデキる人と同じ人生を歩み直せ」とは言いません。あの手この手で学力向上のショートカットをさせようとします。ですが講師がつないだショートカットの道を歩くのは生徒です。請われて授けるのは講師が効果的だと思う「ショートカット」です。それすら蹴っていては、その場から1歩も進みません。

 

「レンジでチン」の効果的学習法なんてありません。(脳に直接電極を指して情報を入力する時代がくればあるいは)今世にあふれている勉強法だって、心理学や脳科学を利用して相当ショートカットしてあります。野菜や肉を買って来て1から調理するのではなく、半分調理済みで、それこぞ野菜もショートにカット済み(←)です。でも勉強がトレーニングである以上、手間をかけた分だけ学力は伸びるわけでその手間をどうしても省くことはできません。そのトレーニングを手間暇かけて行い、より効果的な方法や時短を考え情報を集めることで本当の頭の使い方、頭の良さが身に付いていくのではないかなと思います。

 

 

ですから成績を上げたい、学力を伸ばしたいと本気で思ったら、勉強のできる人に「成績の上げ方」ではなく「何を勉強している(た)か」を聞いて、聞いたことをもとに自分で考えてみましょう。考えることが頭を良くする第一歩です。

物語の主人公に

最近、涙もろくなったなーと思います。

 

映画でも漫画でもテレビ番組でも、感動の演出がされていないようなところでもついホロっときてしまうことがあります。もちろん作品内の登場人物に感情移入していることもあるのですが、そうではなくその作品が作られた「過程」を想像してグッとくることがよくあります。

 

このシーンができるまでにどれだけの時間がかかったのだろうか、どれだけの思いがそこにあるのだろうか。それを想像するだけでご飯が何杯もいけてしまいます。スポーツやライブなどを見ていてもそうですね。得点シーンよりもチームプレーであったり献身的な守備のシーン、人気曲のサビを演奏している時よりも間奏中にメンバー同士が目配せしているところなどが記憶に残っていたります。

 

だけれども、それは私が勝手に想像して感動しているだけのことです。「外野席」にいる私には、「マウンド」「舞台」の中にいる作者やスタッフ、選手、演者の思いや、かけた時間や乗り越えた困難などはを本当に理解することはできません。あくまで想像するだけで、それが受け取る側の楽しみの一つではあるけれど、そのストーリーに本当の意味で参加することはできない寂しさでもあります。

 

勉強も同じで、本気で勉強を始めた受験生はそのストーリーの主人公になります。自分が体験し、考え、感じることが全て本物の物語です。受験が終わり、お話が一段落ついたときにはきっと何かを手にすることができるでしょう。それは合格・不合格といったただの結果ではなく別の、その物語を生きた人にしか手にできない何かです。

 

一方、それを「外野席」で見送ってしまった生徒たちも毎年一定数います。受験を自分のものとして頑張れなかった生徒たち。そういう子たちも、高校や大学へ進学する大きな流れに乗っかっているので、次の進路への道はそれなりに手にできるかも知れません。でもそれは自分がマウンドに上がった結果ではなく、舞台に出たわけではなく、人を感動させる映像を切り取ったり絵を描いたりしたわけでもありません。客席から見ていただけの人が、次の作品の「観覧席」のチケットを手にしただけです。

 

マウンドに出なければボールも飛んでこない。確かに客席は安全が守られています。本気の受験生にならなければ失敗したときに傷もつきません。志望校に落ちても何日か落ち込んだらその痛みもすぐに消えます。また元通りのお客さんとして、客席でまどろんでいることでしょう。

 

でも安全な客席からでは何を言っても本気の舞台に出ている人には届きません。「外野席」からの言葉ではそのストーリーの主人公を変えることはできない。ずっとこの先も、ちょっとの寂しさを抱えながら主人公を応援し続けるだけです。

 

もくせい塾に通っている生徒たちには、全員が自分の勉強の主人公であって欲しいと願っています。次々と流れているストーリーを目だけを動かして眺め続けるのではなく、自らも飛び込んでいって欲しいと思います。後になって、何も残らなかったなんてことは一番寂しい。そうならないためにも、今すぐ観覧チケットを捨てて走り出しましょう。

 

がむしゃらに走っているうちに、応援してくれる人が現れます。私がその一人です。私、涙もろいんでなかなか良いお客さんになれると思いますヨ。

遊牧民になりたい

もうそろそろ言えるかな。

 

実は緊急事態宣言中に、「自粛警察」的な人からメールをいただいていました。いわゆるあの、営業するな自粛しろというやつです。

 

もくせい塾は床面積が100㎡以下の学習塾ですので、政府の指示通りに感染防止に気を付けて営業していたのですが、やっぱり怒る人もいるものなのですね。それにしてもうちのような小さな小さな塾をよく見つけたなと思いました。地元の人だったのでしょうか。

 

メールの内容もここには書けませんがややヒステリックな怖さを感じるもので、見た時に「生徒に危害が及んだらどうしよう」と思い悩みましたが幸いすぐにメールは止みました。一応脅迫が続いた場合に、出るとこ出られるような対応は取っておいたのですが何事もなくて良かったです。そんなわけで5月は本当にバタバタしてしまいました。

 

さて、そこから思ったことです。満員電車などもそうですが、やっぱり「ぎゅうぎゅう」の状態ってストレスが溜まります。そしてストレスが溜まるとイライラしてしまいます。不必要なエネルギーのロスですよね。

 

勉強でも同じように、狭い場所や遊びの全くない計画の中で行うと「ぎゅうぎゅう」になってしまい、余計なストレスがかかるのではないか。勉強の内容や進度などの「強度」はある程度キツさがなくては負荷をかけたトレーニングになりませんが、それ以外のところは多少緩いほうが勉強そのものに向き合うのにはいいのではないかと思います。(例えば勉強中の飲食ってなんで多くの場所でいけないことになっているんでしょうね。)

 

もくせい塾の自習室は、パーテーションを付けていないので空間的な解放感があると思います。また、自習用の自分の座席から動画スペースや印刷機まで立ち歩いて行けるようになっており、ギチギチの自習室で「一度着席したら隣の人にぶつかるからなかなか席を立ちにくい」ともなりません。これは大学生時代、ぎゅうぎゅうの講堂で立てずにトイレを数時間我慢した私の体験が生きています(^^)/

 

奇しくも今の状況の中、中学校などでもゆったりした空間で生活しているためか、以前よりも穏やかな顔をした生徒が多い気がしてこんなことを考えました。

森の散策

今日は生徒の提出したプリントの丸付けに追われていました。いったい何枚あったのか、途中で数えることも諦めました…。みんなすごいですね~!(嬉しい悲鳴ならぬ嬉しい絶叫)

 

丸付けしながら自分のことを思い出していました。そういえば私、「以前の学年のもの」をやることを「恥ずかしいこと」のように捉えていたフシがありました。今考えるとくだらないプライドですね~!なんとなく、以前の内容をやることは自分の負けを認めることだと考えていたんだと思います。今考えると何もわかっていなかったなーと思いますし、そのせいで勉学に関しては出遅れたと思います。

 

ですから当時自分で買ってくる問題集も「難関入試」やら「ハイレベル」やらがタイトルに踊っているような、見栄ばかり張ったものだったと思います。自分に実力がないくせにそんなものに手を出して、途中で投げ出すを繰り返していました。おかげさまで参考書にはちょっと詳しくなって今の仕事に役立っていますが(^_^;)

 

もくせい塾の塾生たちには、勉強に関して大きな道筋やアドバイスなどはしますがその日の学習の内容にいちいち口をはさんだりはしません。(ただし変な方向に進んでいる子の誘導はします。)「自分で計画をする・自己プロデュース力を身に付ける」ことが自学力にもつながるからと思っているからなのですが、そうすると自ら以前の学年の問題を解いている生徒も結構います。それを見ていて当時の私とは違って「強いな」と感じます。自分の弱いところをきちんと見つめてスタート地点を決めています。「難関~」の問題集なども用意してあるのですが、誰も手を出しませんし(笑)。

 

たくさんの問題集が並んでいるだけでは何から手を付けていいか分からないとなってしまいがちですが、「どれをやってもいいんだよ」というメッセージを伝えると生徒たちは自由に手に取っていきます。直接言うことはあまりありませんが、そのメッセージをもくせい塾の環境で受け取った子はどんどん進んでいきます。学年や授業の進度による制限を設けて頭を押さえつけているのが本当にもったいないことだと感じます。子供たちは自分で進んでいける。その足取りを応援するのが私の仕事です。問題集だって、試してみてダメだったら他のものに切り替えるのも自由。問題集はできる問題とできない問題が8対2くらいのものがいいと思っていますが、自分に合うものを自分で見つけることに楽しみを見いだして欲しい。そんな知識の森のような環境を整えていければいいなと思っています。

受検範囲が縮まることについて

現中3生が受ける埼玉県立高校入試の範囲ですが、縮まりそうですね。東京都立高校入試の出題範囲でいくつか除外される項目が発表されました。埼玉県の公立入試は東京都に追随する傾向があるので、もしかしたら同じような感じになるかも知れないと思っています。埼玉県は7月のあたまに発表があるようです。

 

東京都立入試の除外範囲は、だいたい例年、中3の中盤から後半に習う内容のようですが、理科に関しては序盤に学習する内容も入っています。これが埼玉県でも適用されたら、もくせい塾では英語の授業ですでに関係代名詞を終えている子も多いですし、理社特別講座では理科も終わっているところなのでくぁwせdfrtgyふじこlp

 

…ゴホン。

 

でもいずれにせよ、その除外した項目に関しては誰がいつ教えるの?ということなので(学校では普通に行ってくれるかも知れませんが。)、塾では基本的にできるだけ取り扱おうと思っています。いや英語の関係代名詞とか数学の三平方の定理、理科のエネルギー教えないってなったらすごいですね。工学系の理系志願者をこの世から絶滅させるつもりなんでしょうか。社会の公民も半分無くなっちゃいました。(受検が終わってからも授業をやるかもなんて考えも。)今宇宙産業とか面白いのに、天体の項目も除外されてしまったんですねぇ。

 

今年はやむを得ずのところが多いので、もくせい塾ではできるだけお役に立てるように頑張ります。受験対策夏期・冬期講習ではもちろん例年通りの水準で授業を行うほか、できることを考えていきます。

消しかす散乱問題その後

ごみ箱をスペースの中央に置くテストですが、新しいごみ箱をお迎えすることで決着となりました。

 

だいぶ改善したのですが、消しゴムのかすを完全にごみ箱の中に捨ててもらうことはやっぱり難しかったです。背の高い子が多いせいか、小さいごみ箱だと、かがんでごみ箱の中に手を入れてごみを捨てるのが大変なのでしょうね。みんなよく頑張ってくれていたのですけれどね(^_^;)

 

もくせい塾に新たにやってきたのは、今までのものの高さ2倍、口の大きさ1.5倍くらいのごみ箱です。今回もヤマト工芸さんの製品です。こいつはこいつで可愛い、新たなお気に入りです(^^)/

 

中3夏期講習について思うこと

中3生の受験対策夏期講習の概要がやっと決まりました。今週お手紙でお伝えします。

 

かなーり悩みました。仕方がないとは言え、コロナ自粛による学校休校のしわ寄せが夏休みに来たせいで、日程を決めるのが大変でした。

 

3月に学校が休校になった当初から、夏休みが犠牲になることは予想されたので、その時から朝に講習をやれないかなと考えたりもしたのですが、さすがにコロナ騒ぎの最中、生徒を呼んで感染リスクを高めるわけにもいかず諦めました。

 

6月から休校は明けたわけですが、土日などをつかって少しずつ講習を行い日数を稼いでいこうかとも考えましたが、運動部も7月いっぱいまで部活があるとのことでこれも断念しました。もちろん多くの人にとって勉強と部活動を天秤にかけると、勉強のほうに軍配があがるとは思います。ですがそれを人質にとってはいけないなと思いました。今年の受験生たちは体育祭も無し、学総も無くなり修学旅行も無くなってしまいました。今も分散登校で友達全員と学校で集まることもままなりません。

 

そのうえ更に、土日の部活動に対して「夏期講習のほうが大切だから部活は休んで参加して」ということになりかねない講習の日程を立てることは、私にはできませんでした。せめて部活を楽しむくらいはね。

 

そんなわけで夏期講習の日程は8月に集中してキツキツです。受験生のみなさんは覚悟しておいてください。ですがここから後半、勉強面に関しては私がなんとかしていきます。運動部の人はちょっとだけだけれど残りの部活動をしっかり全うしてから8月、勉強の世界に集中しましょう。夏期講習も何か月もかけて行うよりも集中したほうが盛り上がります。頑張りましょう!

印刷!

もくせい塾はプリントを生徒が自分で印刷することができます。その理由はスタッフが私一人しかいないので、印刷をしてあげることが物理的に難しいというのがあって、生徒たちが自分で印刷できるセルフサービスの仕組みを作りました。

 

印刷を塾のスタッフに頼む仕組みは、生徒が印刷機に触って壊してしまう可能性を減らすことができます。(コピー機は本当に壊れやすいです。)故意でなくても、責任問題になるかも知れませんからね。だから印刷機を生徒に触らせないようにする意図があるのだと思いますが、その為のスタッフを置くコストもかかりますし、頼むこと自体に敷居を感じてしまう子もいるかも知れません。ですから今の形にしたのは結構良かったなと思っています。その代わりの印刷機が壊れる可能性については、これはもう消耗品だと覚悟しておくしかありません(笑)。(幸い今の塾生は大切に使ってくれていて壊れたことはありません。)

 

「自由にプリントが印刷できる」というだけのことですが、この自由さというのが結構ウケている気がします。毎日結構な数の量のプリントの提出があってその丸付けに追われています(^_^;) どんどん出せるので、自習に来ている子たちの演習量も稼げています。今の平均は一人当たりA4サイズの両面プリントで4~5枚くらいは毎日提出されています。もちろんプリント学習をしていない子もいるので、提出している子はもっと出していることになります。

 

もし生徒が塾のスタッフに印刷を頼んでプリントを刷ってもらう仕組みでやっていたら、遠慮して10枚も15枚も刷ってもらうことはお願いしにくいと思います。勉強の量を増やしていくことに関していうと、このセルフサービス式にしたことで、そういう忖度(←使ってみたかった)の面で生徒のやる気にフタをしない分正解でした。私の気持ちとしてはどんどんやってくれー!って感じです。

 

ただ、提出時に名前の書き忘れだけは無くして欲しいですほんとに。字を見れば誰のかは分かるのですが、名前忘れは「名無しの権兵衛」(古臭いですかね。)とでっかく書いて返却してあげるようにしています。テストなどで名前の書き忘れが起こらないように、そしてプリントにすることで問題に対する意識上の重みが軽減されるのを防ぐことが目的ですが、実はこれを書くのが結構ツライ。一人10枚くらいの名前の書き忘れ、それが3人も4人もとなってくると、それだけで数十回「名無しの権兵衛」と書いています。ちょっと色紙にサインを書く芸能人の気分になります。(書いているのは自分の名でなく名無しの権兵衛なんですが。)生徒のプリントをコピーしてあげることから解放されているのに、名無しの権兵衛を手書きで複写するとか、いったい何の呪いですか。地味に時間を取られる意味のない作業なので、生徒のみなさん名前書きにご協力お願いいたします<(_ _)>

 

速さと丁寧さも欲しいと思う

授業のやり方を少し変更しました。今までは私が生徒の机を巡回していたのですが、生徒に私の机まで来てもらうようにしました。塾を立ち上げた当初の方針に戻した形です。

 

今まで生徒に来てもらうのを待っているのにかかる時間よりも、私が巡回したほうが速いと思っていたのですが、実際はそれほど速さは変わっていなかったようです(^_^;) 生徒が受ける指導の回数は結局同じでした。

 

今までの方法で私が生徒の机間を常に動いていると、ノートを作ってあげるのがかなり下手になるということもあります。とにかく字が雑になります。卓球は100メートル走をしながらチェスをするような競技だなんて言われますが、常に自分が動きながら話す順番を考えて説明をしていると、ノートの丁寧さまで神経が行き届きません。卓球をしているわけではないのですが、同時にやることを減らすことで丁寧さを上げたいなと思ったのが変更の第一の理由です。自分が全体を俯瞰できる位置に座っていることにより、指導している生徒以外の子もよく見渡せるようになりました。だからボケっとしている子に緊張感も与えることができるかも知れませんね。ビシビシいきますよ~(^^)/

 

また、生徒が授業中に席を立つことでメリハリがつくことも分かりました。授業中ずっと集中してイスに座り続けられる子はほとんどいません。中には集中力が10分経たずに切れてしまう生徒もいます。そんな子は、あえて立ち歩きをさせる意味でも切り替えをさせる効果があるような気がします。順番に指導を受けに来てもらっているので、次の子が「もうすぐ自分の番だ。」と準備をし始めているのも分かります。暗記や解いている問題を、呼ばれる前に早く終わらせなくてはと焦り出しているのも見えます(笑)。

 

指導スペース内のシステム変更なので大したことではないのですが、思っていたよりも良い効果が多く出ています。(決して私が動き回るのが面倒で始めたことではないのです。)授業は生徒が主役。生徒が歌い踊って汗をかくことで成績が上がると思っての変更でした。生徒が名前を呼ばれた時に、ほんの1・2mなのですが私のところまで小走りに来てくれるのを見るのも嬉しいです(^^♪ 机の脚につまずかないように気を付けてもらいつつ、授業の加速をさせていきたいと思います。

勉強は、始めたときにまず打ちのめされる。

どんなことでも、まずやってみないと分からないことは多いです。例えばギターなども、自分で触ってみて初めてその難しさを感じ、プロの演奏家のすごさやそこにかけてきた時間の重みが少し分かったりします。

 

勉強も同じで、「GMARCHくらいなら半年くらい本気で勉強すれば行ける」とか、「越谷南高校くらいなら今から頑張れば行けるんじゃないか」なんて言葉が夏前くらいによく聞かれますが、それが出るのはたいてい勉強を始めていない生徒の口からです(^_^;)

 

実際に始めてみると、「1曲弾くのって難しい」と分かります。それどころか、Fコードを押さえることすら挫折して投げ出してしまう子も結構いいたりして。勉強でもそれまで何もやっておらず、実力も足りていないのに後からレースに参加してもなかなか合格ラインの先頭集団に入れるわけがありません。特別な才能があって、その才能を生かせる分野でならあるいは違うのかも知れませんが、こと勉強においては地道な積み上げが全てです。学力の高い生徒はそれだけのことをやってきている。ただそれはなかなか外からは見えません。1年生2年生の頃に受験を意識して勉強している子を、そうでない子が見てもきっと自分と同じに見えると思います。プロの演奏を見て、「あのバンド、ベースが下手なんだよなぁ~。」なんて言っているリスナーと同じです。外からは何も見えない。

 

 

だから受験勉強をするときって、「挫折」から入る人のほうが多いのではないでしょうか。「やばい…全然できない。」と。受験生になると痛みを感じます。自分ができないことを否応なく突き付けられる痛みです。そこで一度謙虚になって、今の自分の実力と志望校合格までの差を見つめる。プライドを捨てて自分より先に進んでいる同級生に敬意を払う。他の子がバンドを組んで音を合わせているのを横目に、コードを何度も押さえ指先の痛みをこらえることが必要です。その痛みをこらえ指先が固くなってから、初めてFコードはキレイに鳴るようになります。

 

塾に毎日来て勉強している生徒たちを見ていると、受験生の期間とはそういう通過儀礼のようなものであると感じます。

集中力

最近勉強に対して前向きになっている子が増えてきたように感じます。

 

体育祭も中止、学総も中止、合唱祭も中止、海の家だけでなく、プール施設の営業もできないことが話題になっています。本当に閉塞感ばかりが募ります。そんな中、生徒たちは自分のできることを一生懸命頑張っています(^^)/

 

そういったうっぷんみたいなものを勉強にぶつけてもらいたいなと思います。全員ができているわけではありませんが、ずいぶん先まで学習が進んでいる子も結構でてきました。持っているエネルギーが勉強に向くとこれだけの力を発揮するのかと驚いています。ひとつのことに集中するのが成功のポイントというのは昔から言われていますが、習い事や部活や遊びなど今の生徒はエネルギーが分散しがちです。この時期を逆手にとって、一つのことに集中できればそれは大きな力になるはずです。

歴史を語る勉強

社会に苦手意識のある子は、暗記するのが辛いから苦手意識を持ってしまいがちです。私も中学生の頃は社会が一番できませんでした。歴史も地理も興味が持てず、ただの暗記になってしまっていたからだと思います。

 

今は地理の教科書を開くと、その場所を自分が旅している気持ちになりますし(工業地帯なんて最高にエキサイティングです。)、歴史の教科書を開くと歴史上の偉人がどれだけ世の中を良くしたいという思いで行動していたかに心を馳せて涙ぐんでしまいます。(ちょっとだけ大げさに言ってますが。)つまり自分が中学生の頃に社会に興味を持てなかったのは、そこに書かれている事柄に対する想像力が足りなかったのだと思います。経験値がふえるにつれその想像力というのが培われてきたのか、今は社会の勉強が面白く感じます。実際に旅行をした先で見たことが興味にもつながっています。

 

ですが生徒たちに今すぐ世界中を旅してこいといわけにもいきません。そのへんは割り切って勉強に集中する必要があります。そこで、勉強方法で提案しているのが、キーワードの数珠つなぎです。教科書の見開き1ページをキーワードをつなぎながら簡単に説明できるようにしていく方法です。用語を3つくらい書き出して、それを見ながら流れを思い出して説明してもらっています。私は聞き役に回ります。以前はマインドマップの作成をしてもらったりしたのですが、もう少しラフなもののほうがとっつきやすい気がして始めました。用語を用語としてではなく、あくまでストーリーテラーのアイテムとして使ってもらうようにする。そうすればもう少し興味が湧いてくるのではないかと思っています。

かけた時間に比例する

休校が明けて2週間目に入りました。徐々に生徒の軸足が学校のほうに移っていくでしょうから、ちょっと自習室のほうに寂しさが出て来ると思いますが(^_^;)、それでも日常が戻って来ることに喜びを感じます。もちろん潜伏期間を含めて第2波がこれからくることも予想し、十分な対策を怠らずに塾の営業を続けていきます。

 

昨日は北辰テストの自宅受検日でした。塾生のみなさんはしっかりやることはできましたでしょうか。会場受検は叶いませんでしたが、受験に向けて自分の実力を測り志望校を決める参考資料となります。受験生であるという自覚を目覚めさせる良い機会になったのではないでしょうか。

 

北辰テストの前から受験生たちは頑張っています。毎日自習に来る生徒が4人。この時期にしてはかなり多いと思います。勉強の内容も、基本的な問題集をすでに何冊か終わらせて受験対策問題集に入っている生徒もいたりします。他にも毎日ではありませんが、塾に来たら途中食事休憩をはさんで最後までいる生徒も出てきました。もちろん長くいれば偉いわけではありませんが、受験勉強のスタートはまずやってみることだと思っています。1ヵ月くらいあれこれ試行錯誤すると、だんだんと勉強が軌道に乗ってゆきます。逆に言えば軌道にのるまでに1ヵ月くらいはかかります。今始めれば公立高校受験まで残り9ヵ月。まだ1ランク上の学校を目指すのには十分な時間があります!

 

それにしてもコツコツ頑張るって大切なんですね。私事ながらこの大切さに対して、身をもって実感しています。去年度から作っている解説の動画ですが、320本を超えました。業務が終わってから作っていたのであまり1日に割ける時間はありませんが、ちりも積もればなんとやらですね。これを利用して授業の質を高めていきたいと思っています。動画の作成目標は3000本です。頑張っている生徒たちに負けないようにもっとやっていきたいと思います!

道具

学校再開と言っても、高校は結構学校によりその行われ方もまちまちのようです。

 

埼玉県内の公立高校でも、毎日通学が始まっているところもあればまだ1日しか通学していないところもあるようです。もとに戻るのはまだまだ難しいですが、健康面に気を付けて進んでいってもらいたいです。

 

これを機に「生徒には全員タブレットを配って、全ての授業はオンラインで行います。学年の垣根は取り除くので、できる人はどんどん進みましょう。校舎はサロンの場として教師も配置しておきます。勉強を教わらないと置いて行かれそうな人や有志で文化祭を企画実行したい人などは校舎を自由に利用して下さい。学校からもイベントを企画するのでそちらも待っていて下さいね!」くらいのことを言い出す学校が出てきたら面白いなと思うのですけれどね。なかなか変化する速度は早くはならないです。

 

なんとなくステイホームの期間に、この状況を上手に使えた人とそうでない人の差が出た気がしています。生徒たちも持っているスマホをゲームとラインにばかり使っている子と、有用な情報を手に入れるのに使った子がいたのではないでしょうか。初めは見えないかも知れませんが、その差は後々大きなものになっていくと思います。

意識

ごみ箱を広い場所の中央に置いてみるテスト。

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基礎練習

中学生の時はソフトテニス部でした。たいした実績のない弱小部でしたが。

 

練習は単調でしたが、球を打つのは楽しかったと思います。特に試合形式の練習は楽しくて、競い合うことが好きでした。今になって思うと、練習で玉打ちをしてフォームを固め、試合形式で戦略や応用力を付けるということを連動させて能力の向上を図っていたのだと思います。それに筋力トレーニングや足運びの練習なども加わればより効果的なのでしょう。今になって練習の意図が分かります。当時はそんなところまで考えが及びもしませんでした(^_^;)

 

勉強もそうだと思います。まず単語の暗記などがあって、文法や長文読解があり、それらを積み上げた先に模試があります。模試の過去問ばっかり解いて満足している生徒がいますが、それだと練習試合の時ばかり張り切っていて筋トレや玉打ちは真面目にやっていない子のようなものです。毎日の筋トレやフォームの確認があって初めて試合で結果が残せます。また、試合よりも毎日の練習のほうがずっと時間をかけていくのも当たり前です。フォームが固まっていなければ試合で結果を出すことなんてできません。体力が無ければ試合で戦い抜くこともできません。

 

受験生などで、直前になって慌てて入試の過去問だけをやり出す子などもいますが同じ理屈で上手くいかないことが多いです。それまで真面目にラケットを振って来た子に勝てるわけがないんですね。定期テストもそうですが、毎日基礎的なことをやった上で試験勉強できるようになりましょう。

今なら限定100名様!

授業をしていると、リアクションの良い生徒がいます。

 

説明に対して、「ほうほう」や「へぇー」「なるほどー」などと、必ず合いの手を入れてくれます。コミュニケーションが上手なんでしょうね。これが餅つきのように上手くかみ合うと、私もやっていて楽しいです(^^)/

 

感動を伴う経験は記憶に残りやすいそうです。ですから内容に感動しながら勉強するのは良いと言われています。だからこの「へぇー」は生徒の頭の中をザクザク耕していることになり、良いことなんだと思います。ですが最近、「ちょっとオーバーでないかい?」というくらいへぇーへぇー言ってくれる子がいます。まるで通販番組のお客さんです。そのうち、「えー!?そんなにお安くして大丈夫ー?」と言われそうです。やっててちょっと笑ってしまうので、ほどほどにしてもらえるとありがたいです。

 

逆に、これが全くない生徒もいて少し不安になります。話すときは1対1なので、授業では語りかけているのですが反応しない。「理解できていないのかな?」と思って質問すると答えられるのですが、発問の形をとらないと口を開かない。説明を聞いている時の表情はまるで画面を見ているときのように無表情。

 

こういう生徒の場合は、こんどはこちらが通販番組の司会者のようにならないといけません。「どうですかお客さん!」「これ、いくらだと思いますか?」「今なら更に~、こちらもお付けします!!」と。とにかく授業は生徒が主役ですから、リアクションを引き出さねばなりません。受け身の授業は身になりませんからね。

学校再開!

本日から公立の学校が再開しました。やっとという感じですね。教室に向かう途中にも、学生らしき制服を着た子供が道を歩いていて、少し懐かしいような気持ちになりました。あーそうだった、こんな感じ。という具合に。

 

まだ全く気を抜くこともできませんし、さっそく集団感染した小学校もあるようです。このあたりでも起こり得ることなので、塾運営の方はできるだけ気を付けます。引き続き感染防止対策を継続します。

 

もう一つ気を付けなくてはならないのが、1学期の期末テストのことです。富士中は7月15日16日のようですね。今から1ヵ月半後です。学校が再開して部活ができることや友達と会えることが嬉しい気持ちは分かりますが、こういう時こそ地に足を付けておかねばなりませんね。授業で行ってきた分で、期末のテスト範囲はおそらく終わっていますが、テスト勉強はきちんとやらねば点数には結び付きません。学校の授業やテスト勉強にスッと入れるか。ここまでの過ごし方がモロに出ると思います。

 

 

今日も教室を開けるなり飛び込んできてすぐに自学に入った生徒が数名います。学校が再開しても自分のやるべきことをしっかり分かっています(^^♪ こういう流されない生徒がどんどん差を付けていくのでしょうね。本当の戦いはここからです。