今後の予定

今後の学校の予定が配布されたようですね。ご連絡いただきました保護者様ありがとうございました。

 

夏休みと冬休みが短縮になり、3月に終了・卒業式を迎えるという、結局現場の先生方と生徒にしわ寄せがいく形となるようです。今年の生徒、特に受験生は本当に気の毒です。何か少しでも力になれればと思います。

 

関連して今日塾のポストにマスクが配布されていました。これは各住所に配布ということで、事業所のような自宅でないところにもポスティングされているようですね。私の自宅にも来るのでしょうから、私は2個もらうことになりそうですがいいのでしょうか。

 

少し今後の見通しが立ってきたので、塾のほうも年間計画を立てられそうです。夏期講習は夏休みと平日の月曜に入れて日数は確保できそうです。冬休みはほとんど無いので、平日に集団講習を入れる形で対応していくことになりそうです。

失敗しても諦めない

いつも業務が終わったあとに生徒の学習記録シートをチェックしてコメントを書き、提出されたプリントの丸付けや小論文の添削などを行います。それが終わったら必要な事務作業があればやって、その後に最近の日課である動画作りを行います。動画ができれば塾としてできることが増えると思うので、やっていて楽しいです。

 

ですが、たまに心が折れるときがあります。それが、撮影時の言い間違いや板書の失敗です。ちょっとならへっちゃらなのですが、20回くらい連続で失敗すると「今日はもう無理だ~。」となってしまいます。早く充実させたいコンテンツなので気持ちばかり逸っているのですね。

 

 

昨日は、週の途中で疲れもたまってきているはずなのに噛む回数も少なく(ゼロではありません(^_^;))、動画を順調に数本作製することができました。よしよしと思って帰り際にアップロードしようとしたら、「問題番号が全部ずれてる!?」。動画に収めた番号が全部間違っていることが発覚し、全ボツになりました…。厳しい。けど今日また気持ちを入れ替えて頑張ります!

準備運動

6月から学校もぼちぼち再開しそうな様子です。コロナの危機を乗り越えたわけでは無いので十分な注意は必要です。学校のほうは、6月は分散登校のでその後通常登校とのことで、まだ様子見の状態です。学校の先生も作業量が2倍になるので大変ですね。少しずつ日常が帰って来るのでしょうか。

 

とはいえ、コロナが存在しなかった頃の風景が完全に戻って来ることはないでしょうね。昨日小学校が再開したというニュースが写真付きで流れていましたが、小学生がフェイスガードを着けて教室にいる様子が映されていました。「うっそぉー。」と思う反面、これが日常になっていくのかという思いにもなりました。(常時フェイスガードは極端な気もしますが、常時マスク着用の社会にはなるかも知れませんね。)

 

そろそろ気温も高くなってきているので、一気に学校が始まり、部活動が始まりとなって自粛ムードに体と心が慣れてしまっていた人にはハードだと思います。早いところまずは規則正しい生活をして体から慣らしましょう。毎日自習している子ですら、「起きる時間が遅くなってきている」と言っていました。勉強してこなかった生徒はなおさらだと思います。体調の変化には気を付けなくてはなりませんが、しっかり助走しておきましょう。

せっせと働くアリさんは

自ら勉強している生徒は、他の子に比べ学力の伸び方が段違いです。

 

毎日自発的に学習している生徒は、授業で行った範囲も翌週までにはきちんと身に付けているので授業の進みもかなり速くできます。そうすると、時間的に余裕ができて問題演習や、よりレベルの高いことに取り組むこともできます。もくせい塾では、高校の英語を勉強している中学生や、もう入試問題集に取り組んでいる中学生もいます(^^)/

 

ものには順序があり、その順序をきちんと踏まない限り塾では先に進めないようにしています。それでもこの速さを出せるということに、生徒たちのポテンシャルを感じます。自ら進んで勉強する子は本当にすごいです。

 

塾で習っている科目だけでも早く進めておき、いざ学校が再開したときに他の科目のフォローに回せる時間を作れるようにしておけば少しは安心できます。今年は想定外の連続ですが、こうして保険をかけておくことでそれを乗り越えられるようにしていきたいです。

階段を上る

生徒には学習記録を付けてもらっています。

 

その中に1日の学習の振り返りを書いてもらう欄があります。そこ読んでいたら「国語だけでなく算数もやりたかった」と書いてある子がいました。きっとこの生徒は今日の自習で国語と算数をやるつもりだったけど、時間内に算数はできなかったのでしょう。できなかったことを書いてくれていたのですね。

 

それは小さな失敗です。でもこの小さな失敗をしたからこそ、次回自習に来た時には時間配分を意識するようになるかも知れませんし、算数をやるために自習時間を伸ばすかも知れません。こうして、失敗を糧に自分の行動を変えていくことができれば、この学習記録も有意義なものとなるでしょう。この日に勉強を「する」という選択をしたことで、小さいけれど失敗を味わうことができました。これも立派な経験値です。勉強するかしないかで「しない」を選んだ生徒にはこの機会が訪れることはありません。

 

毎日選択することはたくさんありますが、それが能動的なものでない限り、経験値を得ることはあまりないと思います。私自身、なんとなく楽な方を選んでしまった時は得られるものが少ない気がします。

 

勉強を「しない」のも選択肢のひとつ。それを選んだ時、「する」を選んだ人たちとは乗っている階段は1段ずれる。それが2段、3段とずれていき、1ヵ月で31段のずれが発生する。建物でいうと自分はまだ1階にいるのに、他の人は3階にいるくらいの差です。自分にとって大切なものが1階にあるのならばそれもいいと思いますが、3階に上がると見える景色が全く異なるのも事実です。

標準を合わせる

中学生に授業をする時、絶対に教えなくてはいけない基本事項は全員に教えるようにします。ですが、その他少しはみ出すところについては生徒ごとに少しずつ変えて教えたりします。

 

私の中のイメージは、直交座標があって、縦軸が教える内容の難易度で、横軸が以前の内容をどこまでさかのぼるかということについてを示す感じです。座標のどのあたりに標準を合わせるか、話をしながら生徒の状態を見て決めて、内容を少しずらしたりします。生徒が今話している内容をきちんと理解できていれば、難易度の縦軸に対する高さをちょっとずつ上げてみたり、前回の内容をキレイサッパリ忘れていたら、横軸を負の方向へグーンとずらして話します。

 

これがなかなか難しく、まだ上手にはできていませんが、上手くいくと歯車がかみ合ったかのように授業の内容が加速して心地よいです。しっかり標準を合わせて、狙った獲物は逃がさないように腕に磨きをかけていきたいです。

テストが無いとメリハリがつけにくい

本来ならばそろそろ1学期の中間テストの時期です。この状況で時間間隔といいますか、そういったものがあいまいになってしまいがちですが、時間は確実に進んでいます。

 

塾生たちの勉強ですが、授業は着実に進んでいます(^^)/ 早い生徒は3学期の内容に入っている子もいます。ですが、ただ進めばいいというものではなく、しっかりと定着させることが大切です。テストがあればそれに向けて勉強し、学習内容の定着を図れるのですがそれがないと「テスト勉強」そのものがなくなり、学習内容を忘れるのも早くなる可能性があります。

 

生徒たちが提出したプリントの出来は把握できているのですが、全体としての学力はどうなのか、塾で指導を受けていない科目のできまで含めて生徒の学力には注意しておかなくてはならないと思っています。その為にできることを考えていきます。

youtuberってすごいんだなぁ

昨日は数学の動画を試しに作ってみました。今まで英語のみ作っていたのですが、英語よりも教科書1ページ分に対する作成時間はずいぶんと短いなと思いました。英語は英文の音読と訳の動画を別々で作っているので、1ページに対して2倍の時間がかかっているんですよね(^_^;)

 

ですが、英語のほうは言い間違えたり噛んだりしたら撮り直しをしていたのですが、数学の方は5分ほどの動画になってしまったので、噛んでも言い間違えても撮り直しは無しにしています。それが速く作れる理由かも知れません。昨日上げた動画、1カ所言い間違えしていて2カ所噛んでいます。是非お楽しみ下さい(^^)/

 

動画を作っていて、youtuberの人ってすごいなと思います。1日10時間とか時間をかけて動画を作っているらしいですが、正気の沙汰とは思えません。私のヘロヘロヘッポコピ―な動画ですら1日4時間くらいかかります。しかしそれでも間違えを繰り返したり上手くいかないと心が折れそうになります。何度もやり直すうちに何度も聞く自分の活舌の悪さに嫌気がさして消したくなったりもします。プロの方はこれにその何倍も労力をかけて、広告費の為に厳しい評価に晒されることを毎日何年間も続けているんだなぁと。

 

以前まで「小学生のなりたい職業No.1がyoutuberってなんやねん。」くらいに思っていたのですが、この大変さを知ると続けている人たちには敬意が湧きますし、この地道な努力の上に輝いている人に対して抱く憧れにも納得できます。私には絶対にできないなと感じました。

自分の右手が意思を持つ(中2病的なやつではなく)

「定着させる」とはどういう状態を言うのかというと、「何も考えたりせずにスラスラ手が動く」状態だと考えています。

 

私は、勉強はやれば誰でもできるようになることだと思っています。やってもできないという人がいるのは、この「何も考えずに手が動く」状態までもっていけていないのだと思っています。よく、「授業を聞いた直後はできているんですが…」という話をされる保護者の方がいますが、それはまさにそうです。授業を聞いたあと、定着させるところをやっていないのです。

 

ですからどれだけ素晴らしい授業を聞いても、自分で定着させるところまで持っていけないと学力には結び付きません。聞いた授業を最大限生かすには、その内容を反復学習し、上記の「何も考えずに手が動く」状態にすることが必要です。ここを詰め切れないと、今はなんとかできていても、やがてこぼれ落ちてしまいます。飽きるまで同じ問題集を解き直し、問題を見ただけで答えや解説が出てきてしまうようにする。問題集のどこにどんな問題が載っているのかまで覚えてしまう。そうしたら他の問題集で同じ内容の所を解いてみて、何も考えずに正解が出せるようになっていれば「定着した」と言えると思っています。問題に対してウンウン唸っている、考える度に手が止まっている状態では、答えが出せてもまだ定着しているとは言えません。

 

「反復をする」「量をこなす」。言葉で言うのは簡単ですが、本当にここまで引き上げられる子は少ないです。多くの生徒がこの手前でやめてしまいます。私が「問題集は7周解きなさい」と言っていても、行って3周か4周で終わってしまう子がほとんどです。(それでも学校の定期テスト順位で2桁の上位には軽く食い込めるのですが)

 

ですがこれを本当に7周やりきって進んでいったとき、全く別次元の力が身に付きます。テキストの養分を全て吸い尽くし、万能感を感じられるというか、分からない問題はないという感覚。4周で終わってしまった場合と比べ、ここに大きくて深い河が流れているのです。あとほんのちょっとで、すごい景色が見られるのになぁと思ったりもします。

教科書最強説

中学生の教科書を見ていて、本当に細部まで凝った作りになっているなぁと感心します。例えば歴史の教科書ですが、フルカラーで面白いコラムあり、資料もそこらの資料集以上の写真が載っていたりします。単純に読み物として面白く読めてしまいます。英語の教科書なども、隅に書いてあるちょっとした文法の注意事項などが、意外と受験勉強をしている時にふと気になることを押さえていたりして、いいとこ突くなぁと。やっぱり教科書の作成にはかなりお金がかかってますからね。

 

あと、かなり丈夫です。以前古い教科書をバラしたことがあるのですが、市販の本や問題集などよりもずっと強固に作られており、背表紙の糊付けなどもムラがなく均一で、素晴らしい頑丈さ(?)でした。本好きならばその装丁のすばらしさだけで部屋の本棚にコレクションとして加えたくなるほどです。

 

丈夫で必要十分な情報量。やはり日常学習にも受験勉強にも教科書が最強です。きちんと教科書を丁寧に読み込んでいくだけで、かなりの学力を身に付けることができると思います。新しい問題集に次々と手を出していきたくなる気持ちをグッと抑えて、教科書に載っていることでまだ知らないことはないか、それができる人が学力の上がる人だと思います。

 

もくせい塾では英語の教科書はたくさん使いますが、他の科目の教科書もたくさん読み込んでもらいたいです。きっと、私が中学生だった頃よりも家庭科や体育の教科書なども面白くなっているのではないでしょうか。ぜひ中学生たちには、無料で配られる教科書の価値を見出して勉強に役立てて欲しいなと思います。

小説を読む

小説で、「顔がカッカする」という表現が分からないという生徒が何人かいました。「顔から火が出る」なら分かるというので、そこから類推させてみました。

 

小説は「他人の人生を体験できるもの」とおっしゃっている人がいて、素敵な言葉だなと思いました。時間は誰にとっても同じ長さですが、小説を読むことでそれがフィクションであっても誰かの人生を体験することができる。そうして自分が持っている一つの人生の中でもその何倍もの経験が積めれば、豊かな人生になるのではないか。そう思いました。

 

言葉をたくさん知っていれば豊かな人になれるわけではありません。ですが、その言葉を知る過程で読んできた小説などの作品が、人生を豊かなものにしてくれるかも知れません。そうして得た経験値があれば、他者への想像力を持つことができ、思いやりの心を育むことになります。知らない言葉は学べばいいだけのことですが、心は教わるものではない。こういう状況で人の嫌な面が見える場面がありますが、心穏やかでありたいと思います。

ライブ感

オンラインの遠隔授業もちょっと慣れてきました(^^)/

 

ですが、少し困ったこともあります(全くたいしたことではありませんが)。発言が重なったり、逆に少し間が開いたりすることです。手元を映しながら行っているので、タイムラグがあったりすると発言が重なることがあります。そうすると、「どうぞどうぞ」となってしまい、そしてまた「せーの」となったり。前から人が歩いて来て避けようとしたときに、同じ方向にかわそうとしてしまうアレのような感じです(^_^;)

 

やはり人は相手の表情や声を出す直前の音になる前の空気の揺らぎのようなものも感じているんだなぁと思いました。もしかしたらこれが「ライブ感」というものなのかも知れませんね。テレビのバラエティ番組などでワイプで芸能人がVTRを見ている様子が映されてたりしますが、あれがあると一体感というか、一緒に見ている感じになるのも同じことなんでしょうね。改めてすごい発明なんだなと思いました。

ミス撲滅!

今中3生には、模試の過去問を解いてもらっています。北辰テストが中止になってしまったので、なかなか勉強の指針が立てにくい状況です。ですから、少しでも目安になればいいなと思っています。

 

解いた模試は、採点し返却していますが、だんだん解き直しをきちんとやる子が増えてきていて素晴らしいなと思います(^^)/

 

まずは目標の偏差値を決め、その偏差値に達するにはあとどれくらい得点を上乗せすればいいのかを計算します。そして間違えた問題の中から正答率の高い順に解き直しをしていきます。みんな偏差値5ポイントくらい上を目指しますが、それくらいならば2,3問くらいできるとすぐに到達します。ですが、実はこの「あと2,3問」を取るのが難しかったりします。たいていの生徒は、今の実力でもできる問題を落とす、いわゆるケアレスミスをします。

 

生徒が発するケアレスミスという言葉には、「ちょっと間違っただけだから平気へーき。」くらいの軽さが含まれていることがあります。ですが実は本人が思っているよりもずっとずっと重いものです。なぜなら、ケアレスミスをしてしまう場合、それはミスをするべくしてしたことがほとんどだからです。途中式を書かなかったり、問題文をきちんと読んでいなかったり…。試験の緊張感で焦ってしまい出てしまうミスは除いて、普段から意識していれば乗り越えられることをやっていないと、大事な時に出て来てくる、いわばケアレスミスも含めて本人の「実力」なのです。それで偏差値を5下げているということに気付いてもらいたくて直しをしてもらっています。実際に、成績上位者はミスをほとんどしません。できるものを確実に取っている子が成績上位に入れます。

 

しかしその確実さを身に付けるためには盤石な基礎力が必要です。今の知識のままでも偏差値5は上がる。ただしミスは絶対に許されない。ケアレスミスをゼロにする。そんな心構えで日頃から勉強していってもらいたいと思っています。

常に触れている状態

教室内の生徒ファイルの棚の上に、「暗記マーカーの使い方」についての張り紙がしてあります。勉強法の一つとして、興味のある生徒は試して欲しい内容をまとめておいたのですが、実はこの張り紙の中には、脱字が一カ所あります。

 

多くの生徒たちが定期テスト前だけでなく、普段から暗記マーカーを活用しているので、この張り紙を見ているとは思うのですが、いまだかつて、この脱字に言及してくる生徒はいません。直すのが面倒でそのままにして…生徒の注意深さをチェックするために残しているのですけれどね。

 

そこで思いました。「国語が苦手な子は、こうした身のまわりの文字を読んでいないのではないか」と。思い当たる節がいくつかあります。例えば、休みの連絡などを貼り紙にしてドアに貼ったりするのですが、生徒にその内容を尋ねると答えられる子は毎回答えているのに対し、答えられない子は毎回答えられません。

 

これは注意力云々というよりも、身のまわりにある「文字」に対して、「読む」という選択肢を持っていないのではないか。意識的に文字を読むのは、勉強などで文字を読む「必要がある」時だけなのではないか。そういう時だけ文字を読むモードを起動してやっとこ読んでいるのだとしたら、これは中学生くらいであっても、海外に来たばかりの人と同じ状態で、まだ日本語に慣れていない状態なのかも知れません。普段は文字情報を遮断しているのではないだろうかなんていう疑問になっています。

 

今は格言付きのカレンダーを飾っている家って少ないかも知れませんね。よく、小さかった頃はその格言を、漢字は読めないのでひらがなの部分だけ読んだりしていた人も多いと思います。それが積もり積もって、文字情報の遮断できない、電車の中吊り広告を隅々まで読んでしまう習慣につながっていると思うのですが、その習慣が国語読解力に少しは影響していると思うのです。だからできるだけ文字情報を遮断できないような工夫は何かできないかな、と思っています。

休校延長ですか

5月に入りましたが、休校期間は延長され、なかなか晴れやかな初夏の陽気のようにはいきませんね。

 

このままズルズルと休校が伸びて、方々で言われる学校の「9月始業」という制度が現実のものとなったらどうなるでしょうか。海外で9月から学校が始まるところも多いので留学などはしやすくなるなんて言われていますが、今まで同級生だった子たちも、8月生まれまでの人が一つ上の学年になり、9月生まれからは一つ下の学年に振り分けられるのでしょうかね。かなり混乱しそうです。

 

ただ、再開したときに無理やり長期休みをつぶして今までの遅れを取り戻そうとするくらいならそっちのほうがいいような気もします。無理やり進めても、消化しきれない生徒も多いでしょうし、脱落する子も多そうです。勉強は、やったことを消化・吸収するための「時間」が必要だと思います。同じ内容をつめこんでやっても、同じ効果が得られるとは限りません。制度を優先して今の学生の世代をつぶしてしまうくらいなら、ちょっと制度の穴を潜り抜けるくらいのことをしてもいいのではないでしょうか。これからの子供たちのために、制度のほうが変わるくらいの度量があればこの国も捨てたもんじゃないななんて思うのはちょっと青臭いですかね。