不便の中に

結果を教わるほうがいい場合と、過程を教わるほうがいい場合があると思う。

中1の教科書


現中1の国語の教科書には、「不便の価値を見つめ直す」という文章が掲載されている。「不便益」という言葉を使って、不便であることで得られる利益を見つめ直す内容だ。

 

不便であることで得られる利益を考えるならば、勉強がまさしくそうであろう。技術の進歩で勉強まわりの環境も大きく変わった。オンラインやICT教材など、便利なものが増えてきた。

 

しかしそのせいで「コツコツ努力する」という、勉強の根幹をなす行為に黄色信号が灯っている。すぐに答えに至ることができるようになっているおかげで、その過程を経験する機会が失われている。例えば、電子辞書の普及によって紙の辞書を引く機会が減っている。紙辞書の「紙をたぐる」のは時間と手間のかかる作業だ。だから「もう一度引かなくて良いように」覚えるというオマケがついている。辞書を引くことと暗記がセットになっていた。しかし電子辞書は一度引くとそれが履歴として残り、二度目の検索が容易になる。したがって検索と暗記の分断が起こる。そういった不便益の反対、「便利損」とでも言うような現象がある。そのせいか電子辞書にはなんと、派生語の表示など紙辞書に寄せた機能が搭載されることになっている。

 

英語のネイティブの発音がすぐに聞けるなど、ICTの非常に優れた部分もあるとは思う。そして社会では「いろいろ覚えている人」よりも「すぐに必要なものが用意できる」人の方が力を発揮しやすいのかも知れない。しかしそれらを伸ばすには最低限の知識を備えている必要があり、勉強はその練習でもある。ここに便利損が発生してしまうと本末転倒だな、と思う。

 

別に「手漉き和紙」でノートを作るところからやるべきとは思っていない。しかし多少の不便の中に学習効果があるのが勉強なので、便利なものを効果的に活用しつつ、「迷ったら面倒臭いほうを取れ」とは言い続けたい。生徒にはゆっくりでもいいので、けやきの木のような分厚い力を身に付けて欲しい。