欲と願い

これはねぇ。

欲の話


こんな言い方は嫌われちゃうかも知れないが、間違いなくあると思う。「親の欲」。なんたって自分の子ともだもの。そりゃあ自分の願う良い道に進んで欲しいと思うのは当然だ。しかしこの思いの通りにならないときにちょっとおかしなことになる。

 

子供に「学問で身を立てて欲しい」と思っているのは、偏差値の高い学校に通っている生徒の親に多い。そりゃあそうだ、だからそういう学校に入れたんだよね。

 

でもそういう学校には同じレベルの子が集まる。中にはそのレベルを大きく超えた子もいたりする。だからそういう中に飛び込んでみると、「自分の子はなかなか上手くいってないみたい」ということが起きる。

 

「あれ、おかしい。小学校中学校までは敵無しのダントツだったのに」

 

という具合に。中受などをしているとその期間は子供に少なからず負荷をかける。それを「もう少しで受験が終わるから。終わったら遊べるから」という言葉でガス抜きしてきた場合は、進学後にその弊害も出てくる。ゲームや部活動など、親からみて「遊んでばっかりじゃないの」ということになる。

 

そこで次の手を打つ。塾に入れたりして勉強させようとする。しかし受験が「終わって」しまった子にとっては上手くいかないことが多い。「勉強はもうしたから。次の受験はまだ先だから」となっている子も多い。人のやる気は有限で、それを使い果たしてしまった子はリチャージするのに時間が必要だ。

 

だけど親はそうはいかない。

 

「せっかくいい学校に入ったんだから、学校内でもいい成績をキープして、いいところに進学してもらわないと『困る』」

 

となってしまっている人がいる。親の焦りが出るんだね。その学校からの進学先を見て、「最低でもここ」なんておっしゃる親御さんも結構いた。

 

いずれにしてもここに子供と親の「視線のズレ」が出てくる。こうなると、塾や予備校に入れてみて結果がでないとすぐに辞めさせてみたり、子供が大事にしているものを取り上げたりもする。「なんで言う通りにしないの?」と。

 

こうなってしまうと子供も親も不幸で、たぶんどちらの願いからも遠くなる。家庭内でもネガティブな感情が流れて、暗い食卓を囲んでいるかも知れない。ここから先は私の踏み込めないところだ。

 

「欲張るな」と言うつもりは更々無い。(言葉が悪いな、「願うな」か)自分の子が世界一だと思わない親はいない。だけどズレが生じてしまったときに、その間のコミュニケーションの取り方がマズくて拗れしまっているのを見てきた。子が成長して子供時代を振り返って「辛かった」とならないかと、おせっかいにも思う。