習慣の力

職人の技術に感動するのに似ている。

いつでもやっている


勉強ができる子は、とにかく波が少ない。「いつでもやっている」からできるんだなぁと見ていて感じる。習慣の力は絶大だ。

 

できる子は「テスト」を節目に感じてない素振りすらある。多くの子たちは「テスト前」だから勉強し、テストが終わると「終わり」になる。テストが一大イベントなんだね。まるで夏の花火大会のように、終わると「あー終わったぁ」と余韻を感じながら、「また来年!」と手を振って土手から去っていく。

 

一方波の無い子は、一つ打ち上がったら即座に次の「仕込み」が始まっている。その間隔に切れ間がない。しかし猛勉強をしているという感じでもない。淡々としている。まるで靴紐を結ぶかのような当たり前の動作で次に向かっている。きっと、「次」という概念も希薄なのだろう。毎日やるものだからやる、それだけ。

 

塾講師をしていると、この淡々とした波のすごさを感じることが多々ある。いつも通りの時間に「こんちはー」と入って来て勉強している高校生。聞くと、「今日持久走大会があったんですよ」とサラリと言ってのける。それを聞いて私はのけぞる。人って20キロ走った後に集中して勉強できるっけ。

 

こういうブレの少ない生徒は、他の生徒が休憩している間もずっと「走って」いる。しかもその状態が日常なのだ。だから誰も追いつけない場所にいる。