「意訳」の訳が渡されることについて

単語をひとつひとつ拾う。

意訳は怖い

「意訳」について思うこと。

 

中学生に英語教科書の読みと訳のテストを行っている。そこで私の行った訳ではなく、学校の授業で習った訳し方で訳を披露する子がいる。その訳は、日本語的に正しく綺麗に整えられた「意訳」だ。

 

一方私の行う訳は「直訳」で単語も教科書に載っている意味で訳しているのでいびつだ。だから確かに学校で習ったもののほうがカッコいい。しかし、果たしてその訳は英語の力になっているのだろうか。

 

学校の訳を持ち出してくる子は文法がちゃんと身に付いていないことが多い。それどころか、単語の意味もあやふやだったりする。つまり、「日本語訳そのもの」を暗記して唱えているだけになっている。単語の意味がどうで、文の構造がどうだからとか、そういう思考のもとに組み立てられたものではないのだ。

 

これを「英文の訳だよ」と言って初学者に与え続けるとどうなるか。文法や構文の重要性を実感できないまま進んでいくことになるかもしれない。(訳はもらえるので分かった「気」にはなれる)そして、やがて出会う初見の英文に太刀打ちできず、知っている単語の意味だけを拾って意味を推測するしかなくなってしまうのではないだろうか。

 

早期英語教育とか言って小さいときに英会話に通っていた子や、こういうことをしている子が中学高校でイマイチ英語の成績がパッとしないのって、ここに原因があるんじゃないか。いやね、英語を英語のまま理解するとかそういうコンセプトは分かるんだけどね。なんとなく生徒たちを見ていてそんな危惧をしている。