「しつける」

先日立ち寄った道の駅で「猿回しショー」が行われていた。

 

こんなこと言ってはなんだが、私は動物ショーがちょっと苦手だ。イルカショーやサーカスもしかり。なんとなく「動物視点」になってしまう。

 

「今バク宙したのって、別に本人(動物)が『見せたいから』やったわけじゃないんだよなー」

 

みたいに思ってしまうのだ。

 

ペットに芸を仕込むのも同じで、「餌がもらえる」からお手やおすわりをするようになる。それを「よくできましたねー!」と見るのは人間側の解釈なわけで、「私の期待通りにできたね、すごーい!」とするのが苦手の原因だと思う。いやはや、めんどくさい性格してるなぁ。

 

別に動物愛護の精神とかそういうのは全くない。調査捕鯨にも反対はしていない(これらも人間側の視点という意味では同じだと思っている)。動物ショーを行っている人たちにも別に何も思わない。むしろそこまで芸として練り上げた努力を想像して敬意を抱く。ただ、なんとなく楽しみ方が分からない。「バク宙するおサルさんすごい」になれない。

 

そしてここからが本題。

 

「生徒が勉強をしない」ということに対しても、同じようなことでちょっと複雑な気持ちになったりすることがある。

 

「この子は『やりたくない』ということを行動で示してるんじゃないか」

 

って思ってしまうのだ。もちろんこれじゃあ商売にならないので、一生懸命本人を説得はする。生徒のやらない理由に「面倒臭い」が含まれているだけのことも多いからね。間違っていることに関しては正そうとはする。約束を破った場合は叱りもする。ただ、叱ってやるようになったりされると、

 

「それもなんだかなー」

 

なのだ。説得が通じたわけではなく、「怒られたくないから」やるってのは、なんだか猿回しをしているように感じてしまう。こんなこと言ったら誰かに怒られるかも知れないけれど。

 

結局、説得の段階できちんと意思表示をしてほしいんだな。やりたくないことならやりたくないで次善策を取るし、そもそも勉強をしたくないのならば塾を辞めてもらいたい。後々になって「やらされた」なんて言われでもしたら、一生懸命やってきたことにツバを吐きかけられたような気持ちになるのだよ。

 

とりあえずその場は取り繕って先延ばしにした挙句、「やりませんでした」となると、この「しつける」の段階に突入してしまう。できればそうなる前の段階で「やる・やらない問題」には決着しておきたい。