受験に「失敗」した生徒の親とは

面談で、

 

「上の子が受験に『失敗』したんで」

 

とおっしゃる保護者の方がたまにいらっしゃる。兄弟姉妹の受験を踏まえて次こそはという思いを持たれてウチの門戸を叩いてくれたのだろう。

 

しかし、「失敗とは何ぞや」と思う。第一希望の学校に合格できなかったら「失敗」なのだろうか。

 

もくせい塾では毎年のように

 

「それでも本人は『受けたい』と言っているので」

 

と、実力よりも上の学校に挑戦されるご家庭がある。私が面談で合格の可能性を示し、その可能性が低いことを伝え「受験校の変更をしませんか?」と問うた上での発言だ。

 

もちろんそれでも合格できることもあるけれど、そうじゃないことのほうが多い。だから併願の作戦を立てた上で臨むことになるが、こういう場合は受験が終わると第一志望に合格できなくても、保護者の方が「ありがとうございました」とわざわざ挨拶に来てくれる。さて、これは受験に「失敗」したのだろうか。

 

こういう保護者の方は「腹の据わり方」が違うように感じる。状況を理解した上で、それでも子供を応援してくれている。両者の違いはここにあるのではないだろうか。自分の子供の受験を「失敗」と評されることに対して違和感を感じるのはこの部分だ。おそらく上の子が通っていた塾とは違う塾に通わせようとするのもそうで、「失敗したんで」というのは前の塾に向けて言っているのではないだろうか。だが、それだと塾を変えてもまたきっと「失敗」することになる。

 

「上の子が受験に『失敗』」された保護者の方のお子さんは、本気で学力を伸ばそうとするとたいてい途中で退塾する。きっと塾選びに「失敗」されたのだろう。残念に思う。