夏期講習があさってから始まります。準備も大詰めです。
受験生に出した課題が土曜日あたりから提出され始めました。現在半分弱の生徒が出しています。期限は明日ですが、何人の生徒が期限前に出せるか楽しみです。
今回課題に出したのは、夏期講習テキストの確認問題がメインです。夏期講習を始める前に全体をさらっと俯瞰で見てもらうのが目的でした。自分がどの範囲が苦手なのか、それを発見し意識することで夏期講習の受け方も変わると思います。
また、受験勉強の助走期間でもありました。いきなり夏期講習で大量の課題と格闘するのは不可能です。その前の準備運動的な意味合いもありました。「これくらい受験生なら毎日やって当たり前だよ」というメッセージも込めています。これを機にスイッチが入ってくれるか。受験が成功するか否かはここにかかっています。
夏期講習ガイダンスを行ってから、中3生の自習参加率が100%になっていました、といってもまだ2日ですけれどね。部活動の大会等あってこれから欠席が増えることが予想されるので、遅れた人はその分頑張ってもらいたいと思います。
北辰テストの対策として「かこもんを解いて提出して下さい」と掲示をしています。
少しずつ提出もされてきているのですが、行うべき「回」を間違って提出してきている生徒が結構います。次に向けて「第3回」を行うよう伝えてあるのですが。
おそらく学力はこういうところにも表れていて、不注意な生徒はテストで点数をポロポロ落とします。文章をきちんと読めていないのが原因だと思っています。
ここで言う「きちんと読む」とは、読み解くというものではなく「端から端まで一字一句読む」ということです。これができない生徒は、「次の選択肢で内容と一致しないものを選べ」といった設問でよく間違えます。おそらく文章を読む経験が足りていないのだと思います。これには音読が効きます。
音読は、文字を一つ一つ見なくては正確にできません。急ごうとすると全体を見る前に発音が始まるので、つっかえてしまったり自分の知っている言葉に置き換わってしまったりします。ですから、音読で間違えたところを指摘して直させることで「文章を端から端まできちんと見る」習慣が付きます。本当なら小学校まででできるようにしておいて欲しい能力ではあります。しかし、中学生からでも矯正していけば、ミスを減らしていくことにつながります。夏期講習では、このトレーニングを徹底させます。
講義で知識を伝えていても、それを受け取り、実行する力がなくては効果は出ません。聞く力、読む力、書く力。夏期講習ではそういった「学習の周辺の力」にも良い効果が出るようなことをしていきます。学力の本質はこっちですからね。
夏は学校の授業が進まないので、学力を伸ばすチャンスです。受験生だけでなく、塾生全員に自習に来てもらいたいなと思っています。
夏期講習では暗記に力を入れていきます。社会などは、いくら説明をしてもやはり覚えていなくては偏差値は伸びません。ですから、用語暗記の教材を渡し、それの暗唱テストを毎回課していきます。
暗記の力は、暗記することでしか伸びません。普段からそれができている生徒とそうでない生徒には、明らかな学力の差があると感じています。ですから夏期講習では、「暗記力」自体を鍛えることもして、少なくとも「覚えられる」生徒になってもらわなくてはなりません。
今までなんとなくやっていた暗記作業を徹底的に。直前にサッと短期記憶だけで乗り越えたり乗り越えなかったりしていた暗記作業を、何度も何度も完璧にできるまで繰り返す。そうして暗記の力は少しずつ伸びていきます。しつこくいきます。
土曜日に中学3年生を対象に夏期講習のガイダンスを行いました。
今年の中学3年生はまだ受験勉強が始まっていない子も多く、例年に比べて線の細い印象です。中3夏期講習の内容やルールを説明しながら、受験生たちを鼓舞するものにしたいと思い、少し危機感を植え付ける内容にもしてみました。その甲斐あってか、生徒たちの間にピシッと緊張感が走る瞬間もありました。
しかし、これだけで生徒が勉強に邁進してくれれば楽なんですがそうもいかず、課題をやっていた生徒全員、夜の8時にはその手を止め、パーッと帰宅していきました(^_^;)
別に長くやれば偉いわけではないのですが、時間で切り上げる勉強ってどうなのかなと思います。(働き方改革の影響はここまできているんですね。)また、他の生徒が帰り始めたのを見て自分も帰り支度を始めるとか、まだ群れの中で安心したい心理や、勉強に対して義務よりも感情が勝ってしまっています。これを、面倒臭いという感情を排し勉強に没頭し熱狂できるようにならねば成績の爆発的上昇にはなりません。
今の努力が3ヵ月後の学力につながるとしたら、秋の学力を作るのは今この瞬間です。そういう意味では夏期講習はもう始まっています。まずは自分の学力に対して責任を持つことから始めていかねばなりません。守られているだけで安心しきっている羊の群れから外に出て、一人で戦える孤高の虎へ。そんな子供たちの冒険物語を期待していますし、そうしていかねばなりません。
選定をしたテキストの内容をもとにした授業の準備を行っています。
テキストの選定基準ですが、生徒が自分ひとりで取り組めるレベルのもの(夏期講習用テキスト)が1冊と、入試問題が範囲別に並べ替えられたものが1冊。その他は私が作った資料やプリント類を毎年微調整しながら出しています。
以前働いていた塾では夏期講習用のテキストのみが配布されていました。それ以外に必要なものは、講習を担当する講師が自分で判断して準備していました。今でも夏期講習用のテキストをメインに夏期講習を進めるのは変わりませんが、生徒に配布するものがそれだけだと、どのレベルのテキストにするか迷うところです。だいたい生徒が一人で取り組んで7~8割くらい自力で解けるくらいにしたいのですが、そうすると結構易し目のものを選ぶことになります。すると確認問題が多く集まった問題集になるのですが、今度は入試レベルへの接続が難しくなる。冬になり入試の過去問をやる前に、もう1冊何か問題集をかます必要が出てきます。夏期講習というものだけでみたらそれでもいいのかも知れませんが、その後、秋以降の生徒の自学のことを考えると、ここで入試まで伴走できる状況を作っておけば生徒も楽でいいなと思っています。実際以前働いていた塾では、秋以降に「何をしたらいいですか?」という質問が多く寄せられていました。生徒たちを露頭に迷わせないためにも「これだけあれば」という道具一式を持たせる意味も込めて入試問題集を夏に渡しています。
この入試問題集は夏休みにも少しだけ取り組みますが、それ以降もずっと使えるものを選んでいます。これを7周して欲しいと思っています。以前実際に7周した生徒は偏差値が10伸びました。最終奥義です。その奥義を手に入れるためにも、夏は基礎固め。そして勉強の「仕方」を教え込みます。そのための道具は最高のものを用意しました。
宿題は本当に気を付けて出さないと危険です。学力を高めるどころか、ズルして楽をすることを覚えさせてしまうこともあるからです。
問題演習を宿題として出すときには、解答をつけて渡さないと自学になりません。自分で丸を付け、間違えたら解説を読んで復習をすると。ですがその場合、答えを写して宿題を「終わらせる」子が必ず出てきます。解答を付ければそれを写し、付けなければ「分かりませんでした」とやってこない。今まで塾講師をやってきて、これは無くすことができませんでした。
どうしてそういう子が一定数(というか多数)いるのかを考えると、学校の宿題のありかたに興味が湧きます。学校では宿題が出され、小学校の場合はドリルのようなもの、中学校の場合は定期テスト前にワークの提出があると思います。公立の学校の場合、これらの宿題は学力を伸ばすという側面だけでなく、「学習態度」の評価をつけるためにも出されています。すると「提出がされる」ことが評価につながるので、子供は「終わらせること」に意識が傾いてしまいます。分からないものは答えを写してでも「終わらせる」。
きっと子供たちは、初めは分からない問題「だけ」を赤鉛筆などで写していたのでしょう。しかし、わざわざ赤鉛筆に持ち替えるよりも、鉛筆で答えを写してしまって、後でまとめて赤で丸付けしたほうが効率的であることを学び出します。どうせわからない問題だし、答えを写すことには変わらないわけです。それを繰り返し問題を解き終わる前に答えを見ることに抵抗が無くなると、次は分からない問題の隣の問題も答えを写したほうが「速く」終わることに気付きます。そうして、自分の頭を使うことをだんだんとやめていき、「効率良く」評価が取れるほうに舵を切っていきます。
塾に来た生徒で宿題を「ズル」している子の提出されたものを見ると、それはキレイに「解答通り」の答えが書いて丸付けがされています。見る方としてはすぐに分かります。しかし彼らに悪気があるわけではありません。それをズルしたかわからないように工夫して偽装する頭が無いかといえば当然そんなこともありません。ではなぜそうするのか。それは、提出することで評価を受けてきたからです。もう一度言いますが彼らに悪気は無いのです。
では、学校が悪いのかというとそうとも言えません。小学校中学校は教育の場です。純粋な学力のみで子供の評価を下すことはできません。多角的に評価をするために、学習の意欲や態度も見ます。その為の宿題提出があるだけなのです。きちんと宿題を提出した生徒は、約束を守ったという評価がされます。もちろん学校の先生も答えを写して出している生徒のことなんかお見通しです。ですが提出物を学力向上になるやり方をしているかどうかまで全て見ることは物理的に難しいので、そこの評価はテストの得点で判断するという仕方をしているのだと思います。
人は弱いので、楽な道があったらそちらに行きがちです。宿題を楽して終わらせて何も言われないのなら、そうするに決まっています。こういうわけで、塾の現場では宿題を「写して提出する」という現象が出てきているのではないかなと思います。大人ならば、それは意味が無いので写すくらいならば宿題自体をしないという判断もできますが、子供はまだできません。ですが出さないと叱られる、評価が下がる。その間を埋めるために「写してでも」出している。そう考えると少しいじましくすらありますね。
そういうわけで、私は基本的に宿題を出しません。そういう抜け道のあるシステムでは生徒の時間を奪うばかりで効果的ではないと考えてのことです。その代わりに、生徒にやってもらう授業外の課題は全て効果測定を行えるものにしています。宿題を出し、やってこなかったら叱る、答えを写してきたら疑って告白させ叱る、なんてするよりも建設的なんじゃないかなと思います。それよりも勉強は自習に来させてする、自習に来ないと授業が進まない仕組みがある、勉強したものはテストを課して確認できるようにするといった、生徒の心の弱さをシステムで支えてあげるほうが張り合いも出ていいなと思っています。