「友達との勉強」について

勉強は集中しなくてはできない。一度その問題を見たら、解き終わるまでは目を離すことはできないし、もし途中で別の作業が入ってきてしまったら、戻ってくるときにまた集中し直さなくてはいけなくなる。結果、学習効率は下がる。

 

だから「友達と一緒に勉強する」なんてことはできない。友達がいても勉強しているときは一人だし、そうなると今度は近くに友達がいて話し掛けてくるのが「邪魔」になる。「友達と一緒に勉強する」は、なんとなく寂しさを紛らわせるための行為に過ぎない。勉強は孤独なもんだからね。

 

昔、受験が近くなってから「友達と勉強」を始めてしまった生徒がいた。受験の2カ月くらい前からその生徒はだんだん自習に来なくなり、その理由を聞くと

 

「図書館で友達と勉強をしていました」

 

と言うようになった。なんとか食い止めたかったが、説得も虚しくそのまま受験当日を迎えてしまった。成績は十分合格ラインにあったのだが、結果その生徒は不合格になった。

 

その時一緒に図書館で勉強していた「お友達」は、その子の不合格をどう思っただろうか。今でもその子と友達をやっているのだろうか。責任をなすりつけるつもりは更々無いけれど、私はその時のことを忘れることはない。私がその子の「本当の友達」になれなかったことを今でも悔やんでいる。だから「友達との勉強」は今も全力で否定する。


話題を振るとね

新年度が始まってまだ1週間ほどだけれど、

 

「どう?新しいクラスは」

 

と、2・3年生に聞いたりしている。返事の内容はまちまちで、

 

「結構いいです」

 

って子もいれば

 

「ちょっと悪いです」

 

って子もいる。いい・悪いの内容も担任の先生に対するものもあれば、クラスメイトに関するものもある。今は「全員友達!」みたいなことを強要する空気もさすがにないだろうけれど、それでも集団生活はいろいろ気を遣うよね。のびのび過ごしてほしい。

 

ところで、私のこうした質問というか、雑談の話題を振っているのは、もちろん生徒のことを聞きたいからなんだけれど、ここでパッパと話題やエピソードが出てくる子は、その話題を咀嚼して言語化しているというのが分かる。一方そうでなくて

 

「…まぁ」

 

みたいな子もいる。思春期だし自分のことをあまり話したくないというのもあるだろうけれど、まだ言語化でいないんだろうなというのもある。国語力に直結している部分だと思うので、イエス・ノー以外の会話もどんどんしてほしいと思う。私との会話を「トレーニング」だと思われちゃうのもなんだか寂しいけれども。


良いスタートの学年と…

授業で行っている数学の小テスト、中1、中2はなかなか良い滑り出しだ。どの学年もはじめは計算問題からなのだけれど、ちょっとした計算間違いはあるにせよ、みんな高得点で合格している。中2の子なんて満点だった。いいね。

 

一方3年生、おやおやどうした?って感じのスタート。式の展開の問題なのだけれど、乗法公式が出てきているのがネックのようだ。計算ミスが多く、不合格者も結構いる。まだ公式がしっかり身に付いていないままテストに臨んじゃってる感じだね。

 

しかたがないので出来が悪かった子には授業で公式の確認をもう一度行っているけれど、春休みの時間のあるうちにもう少し練習してきてほしかったなぁ。計算を舐めてかかっちゃいけんぜよ。


メモ取ってる?

「メモを取る」

 

この習慣は、「メモを取らなくてはいけない」と思わせない限り身に付かない。

 

もちろん「メモを取れ」と言い続ければいつかはできるようになるかも知れない。でも、メモを取ることの本来の目的は「大切なことを記憶に留めること」なので、形だけのメモを取る習慣に意味はないだろう。

 

だからこの習慣のない子には、前回やったことを確認して「あら覚えてないの?」と言うジェスチャーをしまくることになる。メモを取らない子はやはりどこか授業に参加しきれておらず観客になっちゃってるんだよね。教室の前にある「メモを取ろう」の張り紙に早く気付いてほしいものだ。

 

一方メモを取る習慣のある子はメキメキ力がついている。今日も説明の途中に、

 

「あ、それこの前書いたな…」

 

と、私の板書を写したノートを開いて見始める中1の生徒。こうしてメモに取ったことを覚えているだけで学習効果は何倍も違うはずだ。伸びしろを感じるよね。


どんどん宣言しなされ

「有言実行」ならぬ「有言不実行」な子がいる。

 

目標を宣言はするけれど、全くそれを履行しない。言った後すぐはやるけれど、だんだんやらなくなるというのならまだ分かる。継続するのも能力だからね。でも、言った「直後」から全く1ミリもその通りにしない子ってのがたまにいるんだよねぇ。

 

私が「こうしなさい」と言って、それをやらないとかも全然理解できる。それは強制への反発だろう。そうじゃなくて「自ら宣言」し、そしてやらないのよ。これは理解が難しい。なんとなくそう言うように「仕向ける」ってあるじゃない?そう言わないと解放してもらえない空気を作るとか。そういうのも全くしていない。むしろ

 

「へぇそうなんだ。ムリしないでね」

 

くらいの姿勢で聞いているんだけれど、自ら言い放ってやらないのよ。逆にちょっと面白い。

 

「先生を喜ばせたい」

 

みたいな心理が働いているのかしら。こう言えば喜ぶだろう、みたいな。でもそれだけ人の心理を慮れるならば、その後やらなくてかえってガッカリさせちゃうみたいなところまで分かるはずだよね。全くもって不思議。自分で気持ち悪くないのだろうかとちょっと心配になる。

 

私は行動でしか生徒の評価はしないので、そう言われても特に何もないのだけれど、この心理は紐解いてみたいなとは思う。


「まねっこ力」を鍛えよう

勉強は習ったことの再現だ。真似するのが上手な子ほど早く伸びる。授業では解き方を見せることも多い。解き方の真似をしてもらいたいからだ。

 

しかし、生徒の中にはこの真似するのが苦手な子も結構いて、そういう子ほど教えてもすぐに抜けてしまう。そういう子は「真似をする」という意識が希薄で、すぐに自己流に走ってしまう。

 

だからそんな時は

 

「オリジナルに走っちゃダメ」

 

と言ってお手本の真似をやり直させる。自分のオリジナリティを出すのは基礎が固まってからだ。

 

一方学力の高い子は、真似をするのがとても上手だ。まずは「同じやり方」をコピーして、そこから自分のやりやすいやり方を模索していく。ちゃんとお手本を通っていくのが学力向上のポイントのようだ。だから全員「まねっこ力」を磨いていってもらいたい。


他の子の邪魔になるのでおしゃべりしてはいけないよ

自習している子たちがしゃべっていたので注意した。

 

自習の子を注意するのは超久々だ。たぶん2年以上してなかったんじゃないかな。そもそもウチで自習室がうるさくなるなんてあり得ない。2年前も、居眠りをしていた子の注意だったと思う。

 

今回も別にうるさく感じたわけじゃないけれど、

 

「自習室は自習をする場であって、おしゃべりをする場ではない」

 

と教えたかったのでソフトな注意だけだ。そう考えると「自習室がうるさいな」というのももう10年以上感じていないわけだ。もくせい塾になってからは1度も無いからね。

 

自習室は勉強する子たちにとっての「聖域」。そんな塾でありたいよね。


スケジュールは自分管理で

新学期になって学年が1つ上がったことだし、生徒には是非意識してほしいことがある。

 

「自分の予定を自分で管理する」

 

ということだ。2年生や3年生はもちろんだけれど、中1・高1の新1年生には環境が変わるのでその中でやっていくためにも特に意識してもらいたい。

 

学力で大きな比重を占めていることのひとつに、「計画力」がある。勉強の計画を立てて進める力。その為にはテストなどのゴールから逆算して、今自分が何をどれくらいやる必要があるのかを把握している必要がある。これが無いと、無計画に進めて「間に合いませんでした」ということになったりする。

 

この計画力を身に付け、伸ばしていくためには日ごろから先の予定を理解しておくことが求められる。つまり、自分のことは自分でやる意識を持っていなくてはならない。明日の授業科目は何だったか、持ち物は何が必要かを確認するところからはじめて、授業に向けてやっておくべき予習はあるか、テストはいつ実施されるのか。そしてそのテストまでにどんなイベントがあってその両立を図らなくてはいけないのか。そういったことを一度時間をとって考えてみよう。

 

中学生ならまだ許されるかも知れないけれど、高校生にもなってお母さんに

 

「中間テスト前に体育祭があるから、今のうちに勉強は進めておきなさいね」

 

なんて言われているようではいかんのだよ。もちろん中学生も、この「スケジュールは親管理」の状態を早く抜け出せた子ほど成績も高くなる傾向がある。


勉強は結局「積んだ量」だから

中学生に上がったばかりの新中学1年生。さっそく自習に来てる。来まくってる。なんて書いていたら、今日も来た。

 

例えば1日1時間でも毎日自習で勉強するとする。塾は日曜休みなので月25時間くらいか。年間で300時間近く勉強することになるね。3年で900時間か。これはすごいよね。もちろん自習に来た子で1時間で帰っちゃう子はほとんどいない。たぶん3年間で2000時間とか余裕でいくと思う。

 

大学受験で上位大学を目指す場合、自分で行わなくてはいけない学習時間は2000時間くらい(学力にもよるけど)。それを中学生の時から習慣づけていければどうなるか。楽しみだよね。まずは目先の定期テスト、の前の塾の小テストにしっかり合格して、着実にステップアップしていってもらいたい。


情報量が少ない学習をしちゃダメ

中学生の勉強を見ていて、最近また気になり出しているのが

 

「用語を『ひらがな』で書く」

 

子が増えているということだ。

 

習ったものならば用語は絶対に漢字を使うべきだ。漢字には1文字の中に込められた情報量が平仮名よりもずっと多い。社会の用語などは特に、漢字で覚えておけばその周辺の用語とも紐づけしやすくなり、記憶が定着しやすくなる。

 

なぜ漢字を使わない子が増えてきているのか。ひとつは子供が文字に触れる経験が少なくなってきていること。これはもう明白だと思うけれど、もうひとつが「『漢字を使わなくてはいけない』という指導を受けていないからなのではないだろうか。模試などでも、漢字が分からないときに平仮名で書けば丸になる。反対に「漢字で書け」と言う指示のある問題すらあるくらいだ。

 

これは結構マズいんじゃないかなと思う。そうやって目先の丸だけを追い求めて漢字を使わないでいると、用語を「音」で覚えるしかなくなってしまう。現に生徒の間違いに用語が読めていない・正しい名称で覚えられていないといった「読み方の間違い」も多い。多分「音」でしか認識できていないんだろうね。意味が理解できないものを覚えておくことは難しいし、それ以上の広がりも無い。現に平仮名解答をする子の知識は薄っぺらい。

 

これは塾の中だけでも漢字の使用を強制しなくてはいけないのだろう。早いところ「つまらない学習」を抜け出させなくては。


英語はまたはじめから

中1の生徒の英語の授業が始まった。内容は、アルファベットの書き方、英文の形だ。

 

実はもくせい塾の中1の子は、小学生のうちに中1の内容がほとんど終わっている。教科書もガンガン読めるしね。英文だって書ける。

 

ではなぜまた最初に、というかアルファベットにまで戻ってやり直しているのかというと、それば「盤石の基礎力」を築くためだ。もしかしたらアルファベットは中学校ではもうやらないかも知れない。小学校の英語指導が始まったからね。だからきちんとアルファベットを意識して書くチャンスはこの時期くらいだ。

 

英文の構造の説明も同様。中1の英語教科書は、初っ端から「いろいろな文」としてbe動詞と一般動詞の文が同時に出てくる。「be動詞の文はね」という形で勉強できるのは今くらいなのだ。(ここに今の中学生の英語嫌いを大量生産している原因があるのだけれど)

 

だから、はじめを楽しみ、完全に理解して進んでいけるようにもう一度スタート地点に戻って来た。ここで「強くてニューゲーム」を体感してもらう。

 


乗法公式の学習

中3は式の展開を進めている。

 

ここで乗法公式を習うことになるのだが、これを軽んじてしまうとこの後酷い目に遭う。授業で小テストを行う時に生徒たちに伝える

 

「乗法公式を使う問題は『分配法則』で解いたらバツにするからね」

 

すると、急に顔色がサッと青ざめる子が出てくる。公式を身に付けずにテストに臨もうとしていたのだろう。ここの解説では、乗法公式をしっかり教えている。「楽をしよう」という態度で臨むとこうなる。

 

式がきちんと展開できれば答えに辿り着くことができるので、確かに乗法公式は一見「不要」に思えるかも知れない。しかしこの後因数分解を学ぶと乗法公式が身に付いていないと解けない問題も出てくるのだ。乗法公式は「計算を3秒早くするだけの公式」ではないのだよ。

 

後で必要に迫られる頃には、更に身に付けなくてはいけないことが出てくる。そこでやろうとすると苦労するので、今のうちに完璧にしておいたほうがいい。後悔先に立たず、乗法公式「あとで」じゃ間に合わず。


新しい道具・新しい気持ち

新学期が始まったことだし、生徒たちには気持ちも新たに勉強に取り組んでいってもらいたいことだ。

 

新学期ということで、新しい道具を購入した子も結構いるみたいだね。文房具、リュック、自転車などを新調したという話を聞いた。新しい道具は気分もアガる。

 

勉強へのモチベーションを上げていきたいという子は文房具を買うのがおススメだ。筆記用具にはこだわりを持ってもらいたい。あんまりにも使いにくいものを使っていると学力にも悪い影響が出ちゃうので、そこそこ使いやすく、自分の気に入るものを見つけよう。

 

私が中学生の時は、シャーペンは振ると芯が出るタイプのものが出始めでそれを使っていた。持つ部分がラバーになっているちょっと太めの、先の方に重心があるやつ。

 

実はこれ、気に入って使っているわけではなかった。なんたってデザインはラバーの部分が白で本体が青の、いかにも「事務用品です」といった感じで全然オシャレじゃなかった。ではなぜ使っていたかというと、「それじゃないと英語の授業についていけない」という理由からだった。芯を出すのにわざわざ持ち直してカチカチなんてしていると黒板を消されてしまう。振るだけで芯が出るので、同じ態勢で文字を書き続けるにはうってつけだった。今思うと、友達もみんな同じタイプのシャーペンを使ってたなぁ。

 

今はカチカチしなくても芯が少しずつ出続けるものとかもあってうらやましい。ずっと書き続けられるようになったんだね。


北辰テストの申込み

北辰テストの申込締め切り日になったので、申込者を取りまとめて申込をしてきた。テストの1週間前くらいになると受験票が届くことになる。

 

新中学3年生の第1回は受験勉強のスタートを切るのにとても大切なイベントだと思う。これを機に勉強をスタートさせる子もいるからね。是非「中学3年生」ではなく、「高校受験生」としての行動に期待したい。

 

北辰テストの申込についてなんだけれど申込は郵送だ。毎回切手を貼って北辰図書宛てに送ることになる。

 

「本当に送ったんでしょうね?」

 

と、昔保護者の方に疑われたことがあったのだが、そんなに信用無いのかとちょっとショックだった。大丈夫。ちゃんと送ってますよ。

 

そうそう。昔働いていた塾で、全教室の北辰テストの取りまとめをしていた人が申込をしていなくて大変なことになったことがあった。数百人の生徒に受験票が届かなかった。そうならないように気を付けている。


入学式・新学期

今日は入学式・始業式だった。ご入学された方はおめでとうございます。

 

ちょうどこの辺りも桜が満開のようで、外を歩いていてとても良かった。もう散ってしまったと思っていたのだけれど、まだ咲く前だったみたいだ。雨や強風の日が結構あったけれど、自然のたくましさを感じる。数日間はこの華やかな風景を楽しめそうで嬉しい。入学式・新学期を祝福してくれているようだ。


男の子に「できないこと」を指摘しても

男の子のお子さんを持つ保護者の方に言いたい。

 

「男の子は『できないこと』を指摘しても、できるようにはならない」

 

男の子は小さくても男なので、プライドがある。それがたとえ傍から見て小さくつまらないものだったとしてもね。

 

だから「できないこと」を指摘されるとそのプライドが傷つく。そして発奮してやるようになればいいのだけれど、たいていの男の子はナイーブなので、そこでいじけるのだ。

 

「うるさいなぁもう!」

 

「ほっといてくれよ!」

 

そこで親子バトルが勃発する。攻撃的な言葉は、自分の小さく、ちっぽけなプライドを守るための防衛本能なのだ。男の子はできないことを指摘してもできるようにはならない。

 

もし、「できるようになってほしい」と思ってそうしているのなら、その作戦はすぐに変更したほうがいいだろう。ナイーブなくせにプライドばかり高い「元」男の子の意見でした。


効果的なノートまとめの方法

以前の投稿に「習熟は知識をコンパクトにする作業だ」的なことを書いたのだけれど、そういう意味では「ノートまとめ」にも効果的な方法がある。

 

「ノートまとめ」というと、テスト前に生徒がやる無駄な作業のひとつのような扱いを受けているけれど、これもやりようだと思う。もちろんただ教科書を開いて重要用語をノートに抜き出しているだけみたいなのは無駄な作業なのでやめたほうがいい。

 

効果的なノートまとめは、「出力の練習」という考え方が大切だ。はじめは教科書を見てもいいのでまとめノートを作る。そうしたらそれを自分で何も見ないで再現できるようにしていくのだ。再現しては確認をするを繰り返す。その際教科書などで新しい知識をつけ足していく。そのうち完全に身に付いたと思えるものや省略できるものは省いて「コンパクト」にしていく。そうすればスピードも上がる。繰り返しノートまとめを行うことによって知識を体系立てて身に付けることができる。

 

「自分が勉強した気」になるだけのノートまとめとは根本的に違うので、これをノートまとめと言っていいのかは分からないけれど、私の中学生の時にやっていた勉強のひとつだ。時間はかかるのでテスト前にやるのはおススメしないけれど、それなりに効果はあるので書くのが好きな子は試してみてほしい。


「ウチの子に合った勉強法」

「うちの子に合った勉強法」

 

をお探しの保護者のみなさま。残念ですが、おそらくそれは見つかりません...。

 

勉強とは知識や技術を身に付けるためのトレーニングだ。つまり、「負荷をかけて力を伸ばす」ことに他ならない。「うちの子に合った」の内訳に、「負荷がかかることをさせる」という前提は含まれているだろうか。

 

筋トレに関して、「正しい」トレーニング法はあっても、「自分に合った」トレーニング法はないのと同じだ。ジムを使う時間帯やメニューを自分の都合に合わせてにカスタムすることはあっても、「今の自分の能力よりちょっとだけ上の負荷をかける」という筋トレの内容は変わらないはずだ。

 

勉強を「やっているのに効果が上がらない」というのは、負荷のかかる勉強ができていない、つまり正しい筋トレができていないのね。それなのに別のジムに行ってもおそらく何も変わらない。まずは正しいフォームを学び継続すること。その上で、そのトレーニングに楽しみを見出すことが大切だと思う。

 

だからはじめから「子供に合った」を探そうとしても、それはおそらく見つからない。


全開でいける?

来週から学校が始まる。みんな準備はできてるかな。

 

どんなものでもそうだけど、「ちゃんと構える」ことって大切だ。ちゃんと構えていないと見逃す、取り逃す。1学期は初めてのことだらけでみんなもフワフワとしている。そのフワフワに流されてしまっていると、大事なことを見逃してしまう。地に足を着けて、ちゃんと構えていること。特に3年生は1学期の成績が受験にとても重要なものになってくる。浮かれ気分で過ごしていると、それが自分の受験での実力になってしまう。

 

だからちゃんと構えていること。飛んで来た球はすぐに打ち返す。相手の隙が見えたらすぐに竹刀を打ち込む。相手の虚をついてスペースに走り込む。チャンスをつかむ人ってのはそうやっているはずだ。勉強でも同じ。他の人がまだエンジンかかっていないうちにトップスピードで自分の地位を確立してしまおう。


家庭科の課題を手伝ったよ

高校生の春休みの課題の中に、家庭科から出ているものがあった。ざっくりとした内容は、家庭科に関するニュース記事を取り上げて自分の感想を書くというもの。

 

これ、なかなかいい課題だなぁ。学校の先生がどんなことを考えて出されたのかは私には知る由もないけれど、「自分の感想を書く」というのはクリティカルシンキングを鍛えるのにはいいトレーニングだ。ものごとを批判的に捉えてその問題解決について深く考える力は必要だものね。

 

生徒が、私に質問をしてきたので一緒に考えて課題を作成してもらった。自分の考えを述べた後に、理由を添えること、改善点を挙げてその方法を考えて書くことなどを指導した。家庭科というと受験科目ではないけれども、こうして生徒の力を伸ばす手助けになる課題はありがたいよね。

 

ちなみに家庭科でいうと、私は小学生の時のエプロン作りで先生に褒められたことがある。それが私の家庭科への成功体験。そこから伸びることは無かったけれども。


ちゃんと武装してから来い

他の塾からもくせい塾に転塾してきた子に、塾のシステムである「小テスト」に挑んでもらうと、たいてい不合格からはじまる。転塾の理由で多いのは成績不振だけれど、ここに全てが集約されていると言っても過言ではない。

 

「テストの準備はこのくらいで大丈夫だろう」

 

と生徒が思ってやってきたことは、たいがい「全然足りていない」のだ。これじゃあ学校のテストでも振るわないよね、ってレベル。

 

ちゃんとシステムとして用意している小テストでもそうだし、生徒個人と約束して決める個別のチェックなども準備不足から始まるのが通例だ。そんなとき私は生徒によくこう言っている。

 

「よくそんな丸腰で来られたね。ここは戦場だけれどそんな素っ裸で出てきて戦えるとでも思ったの?」

 

ふざけた言葉で包んでいるけれど、ちょっと厳しいかも知れない。これでハッと目が覚めた子は本気になる。ぬるま湯に浸っていた自分を恥じて自分のできる最善を尽くしてくれる。そういう子は目覚ましく変化していく。


習熟とはコンパクトにすることだ

テストで点が取れるようになるには知識がちゃんと身に付いていることが必要だ。

 

では、知識がちゃんと身に付いているってどういうことかなと考えると、「小さくたたんでしまってある状態」のことだと思う。

 

初めて習ったことは自分にとってまだまだ「大きな」知識だ。全部そのまま頭に入れようとしても大きすぎて入らない。入り切れてないから途中でこぼれて抜けていく。だから問題練習をしたり暗記したりして「すぐに使える」状態にしていく。これが知識を「小さくたたんでしまって」いく作業だ。問題を解いていくうちに、

 

「あ、ここはこう端折れるのね」

 

とか

 

「こういう構造なのか」

 

といったことが分かってくる。そうするとその知識をどういう風に折っていけるかが分かる。そうして小さく小さく圧縮して頭の中に収めることができれば、テストの時などにすぐに出して広げることができる。ならったばかりのものはたいてい自分の引き出しには「大きすぎる」。だから小さく折りたたむ作業が必要なのだ。


終わってないプリントを持ち帰るのは禁止です

授業では演習用にプリントを配布する。これをやらずに持ち帰ってしまう子がいる。

 

授業で出すプリントは授業用であって、別に宿題になるわけでは無い。授業内で終わらなかったものは、次の授業や自習時にやってもらうようにしている。それで採点・直しも含めて全部終わったら「持ち帰っていいよ」、というルール。

 

だから、終わる前に持ち帰られてしまうとちょっと困る。まだ終わっていないのに、そのプリントは「終わったこと」にされてしまうからだ。ひとりひとり状況を見てどんな問題が適切かを考えて出しているので、中途半端に先に進まれてしまうと意味がない。結構いるんだよね、終わってないのに持ち帰っちゃう子。そしてこれ、同じ子が繰り返す。何度かお願いしているんだけどね。家でやって持って来てくれるのならばいいのだけれど、そういう子に限って「なかったこと」になっちゃうのよ。

 

プリントは、全部解き終わるまでは私の指導下なのでまだ「私のもの」。全部終わったらはじめて「君のもの」。プリントはちゃんと終わらせてから持ち帰りましょうという話。


スタート!でもあせらずじっくり

新入塾生の授業をした。

 

もくせい塾の授業時間は中高生の場合2時間だ(1時間コースもあるけれど)。学校の2倍以上、おそらく他の塾よりも長い。だからはじめのうちは大変だと思う。入塾してしばらくは、どんなに「勉強してます」って子も最後まで集中が続かない。しかし続けていくと、これが「短く」感じるようになるんだなぁ。勉強体力が付くってことだね。

 

授業では、少しだけ教えて問題演習と解説。常に走っている状態だけれど、あまりあれもこれも詰め込み過ぎないように気を付ける。一度に全部はできるようにはならないからね。

 

昔、先輩塾長が「1日1個何かやれば、1年で360個のことができる」とおっしゃっていた。生徒指導の現場に長く身を置いている方の意見だなぁと思う。一朝一夕にできる勉強なんてない。コツコツ、じっくりやっていくことが大切なのだ。


自習室に人が増えてきた

自習室に来て勉強する子が増えてきた。良いね。

 

塾を立ち上げた当初、もくせい塾に自習室は無かった。その頃の私の中で自習室とは、

 

「使う人の少ないデッドスペース」

 

でしかないと思っていたからだ。

 

それまでに働いてきた塾は、自習室は無いか、あっても受験生以外は来ることのないものだった(受験生は来るのが当たり前だと思ってた)。講師が協力して生徒に呼びかけ、ちょぼちょぼ来る子が出てくるくらいのものだった。(それも呼び込みをやめるとすぐになくなっちゃう)だからもくせい塾では、「授業だけで成績を伸ばそう」と思っていた。今考えると無謀なことをしようとしていたよね。

 

じゃあなぜ自習室を作るようになったのか、それは「生徒に望まれたから」だ。はじめにもくせい塾に集まってくれた子たちが

 

「先生、塾で自習させてください」

 

と言ってきたのがはじまりだった。そこで自習室が生まれた。自習室と言っても、授業で使っていない座席はそのまま残って使っていてもいいよくらいの簡単なものだったけれど。

 

その時はまさか、その後もくせい塾が教室内で自習スペースの最も広い、「自習ありき」の塾になるなんて思いもしなかった。たしかに今でも自習に来ない子は来ない。でも有効に使ってくれる子もかなりいるんだなということは、自習室を作らなければ分からなかっただろう。何がキッカケになるか分かったものではないのがこれまた面白い。

 


散歩がてら

今週の日曜あたりが花見シーズンなのかな。この辺りもちょうど桜が満開の時期だそうで、私も少し散歩がてら桜を見てきた。

 

生憎の曇り空だったのと、先日雨が降ってしまったのでだいぶ散ってしまっていたけれど、まだ綺麗に咲いていた。春だなぁ。


漢字を学ぼう

新中学1年生の国語は、漢字の学習から始めている。

 

漢字の部首名や画数、熟語の構成などの復習問題から一緒に解いているけれど、忘れてしまっている子が多いね。忘れてしまっているというよりは、漢字に対する経験値の低さかも知れない。きっと小学校でもあまり時間が取れないところだったのだろう。

 

中学生になると漢字は定期テストにも出題されるので覚えていかねばならないのだが、これをただの「暗記モノ」として扱うと面白みがない。やはり部首や熟語の構成などを知ることによって、ひとつの文字に含まれる情報量の多さに触れ、その面白さに気付けるはずだ。

 

例えば今、自分で「オリジナルの漢字」を作ってみるとする。例えば「あなかんむり」に「機械」の「機」で「ドローン」とか。多くの人がいくつか意味のあるものを組み合わせたりして何かを表現しようとするのではないだろうか。「魚」に「弱い」で「鰯」のように、部首そのものにも意味があるし、それに更に説明が加わってできている漢字は多い。他にも自然物の形を文字にしたものや、何かを示す記号が文字になったものもある。

 

 

このように漢字の成り立ちには意味がある。今の人がやろうとするように、昔の人も漢字を作るときにその中に膨大な意味を込めた。そんな、たった一文字の中に詰まった情報を紐解こうとすると、漢字の学習はずっと楽しくなる。


ミスが減った。これはいい兆候だ

新中2の子が数学の小テストで満点を取った。

 

幸先のよいスタートだ。素晴らしい!計算問題中心の内容構成だけれど、ミスせず全部解き切るのは簡単ではない。この子はケアレスなミスが多く、「なんでやねん!」とツッコミをいれたくなる場面もよくある。

 

しかし、今回は準備もしっかりしてノーミスクリア。難しいことができるようになるのもレベルアップだけれど、ミスが減るのもレベルアップだ。これは新学期が始まってからの期待が高まっちゃうよね。


どんなに恵まれていても、ね。

さきほどの話で思うのは、

 

「大学付属校に行っても勉強はしといたほうがいい」

 

ということだよね。もちろん付属に行くってのは、受験勉強の負担を減らして他の活動に時間を割けるメリットを受けるためってのもあるだろうけれど、それで全く勉強をしなくなっちゃうとさっきの話みたいなことも起こり得る。もちろん件の生徒は高校生になっても塾に通って勉強していたので難を逃れたけれど、付属校のパイプを完全にアテにしてしまっていた子もきっといただろうなと思う。

 

不測の事態に対応するには、自分の力が無ければできないものね。これは「指定校推薦枠」に期待して私立高校に入学する場合にも当てはまる。

 


「こんなこともあるのねぇ」というような昔話

昔、ある私立大学の付属高校に通っている生徒を見ていたときのこと。

 

3年生になりいよいよ進学を考える時期になった時に、保護者会で「系列大学の推薦は無くなった」と話があったと、保護者の方から聞いた。いや「付属」の意味とは一体。

 

なんでも付属高校の生徒の学力レベルが低すぎて、系列大学への推薦制度自体が無しになってしまったということらしい。へぇ、そんなこともあるんだね。これはもう、高校側の責任問題だと思うのだけれど、よく暴動が起きなかったよね。私立高校に通うのだってお金とか大変なのにね。

 

確かに話に聞く限り学校の授業は、それほどレベルの高いものでは無かったんだよね。それでも系列大学に上がれるのなら良いのかなと思っていた。実際はそんな道自体が無かったのだけれど。

 

かわいそうなのはその生徒自身だ。思い描いていた自分の進路が急に白紙になってしまった。結局そこから一生懸命勉強して他大学へ進学して行った。


人の変化ってすごいよね

元塾生と話をしていて、海外留学の話になった。

 

私に海外留学の経験は無いので話を聞いていくと、ポンポン話題が出てくる。寮なのにしばらく1人部屋になってしまい、せっかく来たのに話すチャンスが無いのは嫌だったから3人部屋に変えてもらったとか。海外から帰って来たら、少し自分の気持ちに余裕ができたとか。

 

「あー、なんか電車で席とか譲っちゃうよね」

 

と私が言うと、「そうですそうです」と帰ってくる。私はたかが海外「旅行」に行った後の気持ちを話しただけなのだが、それにも同意してくれる。

 

人間的にかなりタフになったなと感じる。生徒だったときの頼りなさはもうない。時間の流れなのか、経験値なのか。すごいなと思う。


リスニングだって怖くない

春休みに入り、早い時間から勉強しに来る中学生が出て来た。部活動の合間に来てるんだね。立派だ。

 

これから3年生になる子はリスニングの勉強を始めている。自分の苦手なところを北辰テストの結果から判断して補っていこうとしている。しっかり受験勉強のスタートを切れてるね。

 

リスニングは耳を慣らすことと単語の力を身に付けることからはじめると良い。英語のイントネーションを聞き取れるようになったら、その内容が分かるようにするのだ。単語が分からないと内容も分からない。それができたらシャドーイングで後に続いて読む練習をしていけばどんどん聞けるようになる。

 

もくせい塾にはリスニング用の教材もバッチリ準備されている。授業ではなかなかリスニングの指導ってできないものだけれど、自習ではいくらでもできるのでどんどん活用してほしい。


どんな動機であれ、前向きなほうが楽しいよね

大人になってちょっと後悔しているのは、

 

「なぜ高校のテストを頑張らなかったのだろう」

 

ということ。はじめこそ良かったけれど、すぐにそのレースから降りちゃった。

 

これは、「もっと勉強しておけば云々」というお説教話ではない。あんなに均質な学力の生徒が集まった中で勝負できることって、もうないよなという後悔だ。別に成績とか進路とかは関係なく、もっとゲームとして楽しめば良かった。

 

同じ部活動に学年トップ層の子がいたのだけれど、思えばその子はそんな感じだった。「あ、今回は2位だったよ」みたいな。自分の成績をゲームのランキングみたいに話してたっけ。

 

せっかく自分に関わることなんだし、自分の行動でいろいろ変化のあることなんだから、そういう楽しみ方もできたよな。学生の内は1日の半分が勉強する環境にいるのだから、授業をただやり過ごすのは時間の無駄だと今なら思う。せっかくなら勉強で思いっきり「遊んで」おけば良かった。動機はどうであれ、前向きに取り組んだほうがネガティブな時間を過ごすよりも自分にとっては得だよね。


4月。もう「あつい」

4月だ。

 

まだ春休み中だけれど、ここからまた1年が始まると思うと気が引き締まる。新学年に向けて生徒の入れ替わりや授業日程の変更等があり、すこし落ち着かない時期だけれど学びは止まらない。

 

春休みはまだ1週間ある。ダラダラせず目標を持って過ごしてもらいたい。中3のある子はもう明確に受験を意識した勉強をはじめている。考えを変えれば行動が変わる。思いはエネルギーになる。もう熱を放ち始めたね。