テスト前にテストの反省会が終わっている

私だけではないと思うのだけれど、塾講師の頭の中ではテスト1週間前くらいにはもうそのテスト(準備)の「反省会」が行われていたりする。

 

「あー、今回は○○君の自習時間を増やさせることができなかったな」

 

とか、

 

「問題演習は十分にできたけれど、暗記のチェックがイマイチだったな」

 

とか。なんならそこから次のテストのことまで考えていたりする。

 

もちろんテスト前日の業務終了時間ギリギリまで生徒には頑張ってほしいしそれを応援しているのだけれど、1週間前くらいには生徒の結果ってある程度見えてしまっているからね。それよりも前の段階で塾講師の勝負は行われているのだ。


テスト直しのお作法

中学生たちの中間テストが終わって1週間が経った。そろそろ答案が返却されている頃だと思うので、返却されたら塾に持って来てほしい。

 

ところで、定期テストはそれまでの授業の確認テストだ。なのでできなかったところは絶対に復習しておかなくてはならない。そうしないと積み残しが出てきてしまって学力が先細りしてしまうからね。

 

学校でも解説をしてくれる場合もあるけれど、それを聞くだけでは不十分なので自分でも作業をしよう。とは言っても無駄なやりかたをする時間もない。なのでテスト直しはこう考えてほしい。

 

「次に同じ問題を解いたら絶対に満点取れるようにする」

 

間違えた問題を解き直すのはもちろんのこと、忘れていた・身に付いていない知識は覚える。そのうえで教科書やワークで該当箇所を見て知識を広げておければ成績が伸びていく子のパターンだ。その際「人に説明する」つもりで。テスト直しで学力を伸ばせる子は強くなる。


自分の防具を忘れて戦場に来るヤツっている?

最近生徒の「教科書忘れ」が多い。

 

テストで必要だから持ってくるように伝えてあるのだけれど学校に忘れちゃうみたいなんだよね。学校行事が多い時期だからかな。そうだと思いたい。

 

それにしても、忘れる子はいつも決まったメンバーなのも気がかりだ。持ってくる子は必ず持ってくるのにね。もしかしたら、「忘れても塾で借りられる」って思っちゃってるのかな。忘れたことを言うときにあんまり悪びれた感じでもないんだよな、私が叱らないからかな。

 

塾の教科書を捨てようかと本気で考えている(でも私も使うんだよなあ)。道具は自分のものを使わないと、本当に学力伸びなくなっちゃうよ?


環境に合わせて変わっていける

人は環境に適応できるもんなんだなあ。

 

入塾してはじめの頃は、塾の小テストに不合格しまくっていた子が、少しずつ合格できるようになっていき、やがて合格するのが当たり前になってきた。はじめは大変だったろうけれど、だんだん慣れてついてこられるようになってきたんだね。

 

だからはじめから生徒に合わせてレベルを下げた指導なんかしちゃダメだよね。それじゃあ何も変わらない。生徒のほうから合わせていくような環境を用意してあげないとね。それが生徒を信じるってことでしょう。


体育祭期間

富士中はもう終わったけれど、次の日曜日が体育祭の中学校も多いみたいだね。今のところ天気は曇り。無事行われるといいね。

 

体育祭から組体操が無くなって久しいけれど、私の頃はまだあった。ピラミッドだって5段だった。私は一番下の土台役。上に乗る人たちの体重を受けながら校庭の砂利が膝に食い込むの痛かったなあ。でも「痛いのを我慢」になんだか妙な誇らしさを感じていたんだけれど、アレはなんだったんだろう。「男らしさ」への憧れみたいなものだったのかしら。ちょっと恥ずかしい思春期の話。

 

富士中の子たちの中には、体育祭の前後でちょっと体調を崩しちゃった子もいるので、是非体調管理に気を付けて良い思い出にしてほしい。


話、聞けてる?

説明でもアドバイスでも、生徒が「聞けているか」をよく見ている。

 

話をしていて、生徒が話を聞けているかどうかは生徒の表情や体の動きを見ていると結構分かるものだ。だから話を聞けているときはそのまま話を続けるし、聞けていないときは早目に切り上げる。ダラダラ意味のない話を続けても仕方がないからね。

 

勉強内容を説明しているときに「聞けていないぞ」となって話を切り上げた時は、とりあえず問題演習をさせてみる。それでできなくて質問に来たり、丸付けでバツを食らったりすると、そこで話を聞ける姿勢が整ったりするからね。アドバイスをしている時に「聞けてないぞ」となった時は...まあ仕方ないよね。タイミングじゃなかったってことで。


暗記ってさ

漢字や英単語などの暗記ができない生徒は、大きく2つのパターンに分けられる。

 

ひとつは能力的なもの。暗記作業への慣れや習熟度がまだ無い小学生くらいまでの子や、何か医学的な名前が付くような子。こういう子はやっていけばやがてできるようになるので特に問題ない。

 

問題なのがもうひとつのほうで、その能力があるのに暗記作業を避けようとする子。塾の指導の現場ではこちらのほうが大変で、何かと理由をつけてやらないほうへ誘導しようとする。それまでの人生はそれでなんとかなってきてしまっていたのだろうね。これをちゃんとやるようにしていくには、考え方を変えさせる必要があって、かなり根が深い問題だと思う。


小学生は社会科見学らしい

今日は小学校の社会科見学の日だったようだ。どこに行ったんだろう、あとで聞こうっと。

 

子供の頃は社会科見学で行った先にもあまり興味が持てなかったけれど、大人になると興味が湧いてくるから不思議だ。実はゴールデンウィーク中には、群馬のこんにゃくパークで工場見学をしていた。といっても、工場もゴールデンウィーク中だったみたいで稼働していなかったけれど。設備が動いているところを見たかった。

 

工場の「緑色の床」にテンションが上がってしまうのは、昔工場に勤務していた人間の性なのだと思う。


第1回北辰テストの結果で生徒と面談

中3の第1回北辰テストが返却されたので、その結果をもとに生徒と面談をしている。

 

成績表の結果から、復習が必要な科目・範囲を洗い出して、その具体的な勉強の指示を出す。だいたい塾で指導を受けていない科目なんだよね。受験は5科目勝負なので、塾での指導科目だけが良ければそれでいいってわけじゃない。みんなもうちょっと自学してくれよな!

 

今大事なのは、とにかく基礎を固めること。夏休みに入る前までに、ある程度の基礎力は身に付けておいてほしい。


受験で焦らないためには

受験が近づくと、「焦り出す」子が出てくる。いや受験生はみんな焦るものなのだけれど、変に焦ってばかりで浮足立ってしまうというか、焦ってしまってそのせいで上手くいかなくなってしまう生徒というのがいる。

 

この仕事をしていると思い出す生徒がいる。別の塾で塾長をしていたときに通っていた女の子。成績は真ん中くらいで、別に悪いわけじゃなかったんだけれど、志望校には1ランク分くらい通知表も偏差値も足りなかった。

 

それで夏が終わって秋が過ぎた頃から焦り出しちゃって、担当の先生とギクシャクし出してしまった。担当の先生が嫌いってわけじゃなかったんだろうけれど、その先生の勉強のアドバイスが「刺さらない」感じだったんだよね。私は直接指導していたわけじゃなかったけれど、見ていてもう少し具体的なサポートが欲しいのかなって感じだった。

 

それでどうなったかと言うと、11月頃になってお友達の通っている別の塾にも通い出した。塾の併用だ。そして結局、志望校を1ランク下げて受験し、合格した。

 

結果だけを見たら別の塾を併用する必要もなかっただろうし、親御さんにはお金をたくさん使わせることになってしまった。これは生徒の不安を解消できなかった我が塾の責任だと思う。私も担当の先生との関係を見ているだけでなく具体的に手を差し伸べるべきだったよね。なんだかいろいろ反省する点があって、今でも思い出すのだと思う。自分の指導の根幹をなす思い出のひとつ。勉強の不安は勉強でしか解決できないことを教えなくてはいけない。


「普通の計算はもうできる」って子には

春から初夏にかけて、この時期の数学は計算問題が中心になる。中学生は1年生が正負の数、2年生は文字式、3年生は式の展開・因数分解など。高校生も1年生は式の計算だよね。

 

だから塾での指導も普通に進めようとするとつい単調になりがちだ。もちろん計算は全ての土台だし、きちんと習熟するまで200問は類題を解いたほうがいいとは思うけれど、「もうできている」子に同じような基礎問を解かせていてもね、ってなる。

 

だからそんな子にはちょっと難し目の問題を出したりして変化をつけたりする。中学生には高校受験、特に私立高校の過去問から問題を引っ張ってきたりすると生徒の目の色が変わったりする。

 

そのあたりの見極めは気を付けて行わなければいけないのだけれど、できるだけ幅広いレベルの問題に触れておくことで、数学の思考力を養っていってもらいたいなと思う。


中2数学は

中2の数学は連立方程式に入った。

 

計算問題は順調のようだ。加減法も代入法もできている。この前に習う式の変形が土台になるので、その練習をしっかりやった成果だと思う。ことあるごとに途中式の重要性を問うことになっているけれど、基礎をバカにしてはいけない。学力のほころびはこういうところから起こるのだ。

 

期末テスト1ヵ月前には全範囲終えてしまって復習に入れるようにしていきたい。式の証明も今のところできているけれど、テストまでに30本は書きたいからね。さあ進んでいこう。


ちゃんとフィードバックがないとね

ある生徒。中間テストが終わった後、塾の小テストの準備が不十分でやってきた。そのことが発覚した話。

 

一見すると、ワークもやってあったし、「ちゃんとできてますよ」みたいな雰囲気だった。しかしワークの途中式が無かったりして、「おや?」とは思った。そこで、「これ、途中式がないけどどうやったん?」と聞いてみると、

 

「別の紙にやりました」

 

と。まあ別の紙にやって答えだけワークに写すなんて面倒なことするわけないので、答えを写したのはすぐに分かるんだけどね。そしてテストをして不合格。そこでもう一度聞いてみると「準備不足」を認めた。

 

やはり生徒の学力向上において、テストはかなり有効な手段だ。もしもテストがなくワークだけの課題だったら、本人は決して認めなかっただろう。「ちゃんと結果を出してあげる」っていうのは、本人が自分の行動を振り返ることにも役立つ。自分ではちゃんとやったつもりになったまま進んじゃってることって結構多いんじゃないかな。宿題だけでテストの無い塾って、どうやって成績伸ばしてるんだろうね。

 

今回は定期テスト直後で準備する時間も無かっただろうし、特に叱ったりする案件ではないので、

 

「挽回がんばりや~」

 

で終わったのだけれど、テストをすることで曖昧にさせないというのは大切なことだと改めて思った。


理系だろうが文系だろうが、全部「言葉」なんだよ

中学生(や高校生)を見ていて、「分数に対する練度が足りない」と感じることがある。いつくらいからそう感じることが多くなっただろう、学習指導要綱が変わって学習量が増えた頃かな?

 

分数は小学校で習うけれど、その演習の時間が十分に取れていないのと、やっぱり国語の力によるものが大きいのかな、と思っている。

 

分数の力が弱い子のパターンとして、「分子から書いてしまう」というのがある。「〇分の△」という読み方の通り、分母から書くべきなのだけれど。分子から書いていると、読み方と数字に結び付きがなくなって計算方法を忘れてしまったりする。だから見つけるたびに指摘して直させている。

 

数字だって「字」。ことばなんだよね。そこに対する意識が高い子のほうが数学の力も伸びやすい。


営業のDMが来る

この時期だから仕方ないのかも知れないけれど、相変わらず営業の連絡が多い。

 

電話は留守電にしてしまっているのだが、最近はこのサイトのメールフォームからの営業メールが本当に増えた。以前「DMお断り」という内容の記事を書いたけれどやっぱり全く効果はなかった。こういうことをしてくる業者は、ウチの記事なんて見てすらいないのだろう。「塾」とかで検索してヒットしたところに手あたり次第DMを送っているか、連絡先を集めている業者から名簿を買って連絡してきているのだろう。

 

そこで送ってこられたメールに対して、きちんとお断りのメールを返信するようにした。「こちらはちゃんと見てますよ」と。内容はコピペだけれど、見たうえで対応しているのだからちゃんと意を汲んでいただけるとありがたい。


期待させてよ

先程まで高校生と英単語の再テストを行っていた。できればもっと早く来て、営業時間内に受けてほしいのだけれど。

 

授業で毎回行う英単語帳のテスト。それに不合格だったので再テストと相成ったわけだけれど、先日久々にキレたんだよね。だって正答率半分にも満たなかったから。明らかに直前にちょっと見てきただけ。その、「いいやこれで」という姿勢に対して火がついてしまった。

 

たぶん今までずっとそうやってきたんだと思う。妥協して楽して、その結果「できない」というくくりに入れられてしまうことへの諦め。そりゃあ低い場所に居るのは楽なんだよ、そうすれば誰も期待をかけてこないから。今まで周りにいた他人の大人はみんなそう扱ってきたのだろう。

 

でもそのままでいいのか。「また今回もダメだったか...」と思われていいのか。そういう思いを込めてぶつかった。最近はこうされると辞めちゃう子も多いよ?でも、なあなあのままでお金をもらうためだけのご機嫌取りなんて嫌だからね。せいぜい私にできるのはこれくらいだし、私は全部出し切らないと諦めもつかない。

 

結果、今日合格していった。この生徒への期待はまだまだ続いちゃうよね。


第1回北辰テスト結果

中3の第1回北辰テストが返却された。今回からPDFファイルで来るようになったので便利だ。

 

今回は中2の第2回の結果とほとんど変わらなかった。塾の平均偏差値も、生徒の個人成績も。受けたメンバーもほぼ同じだったので、これが今の生徒たちの実力と見ることができるかな。

 

どの子に対しても言えることだけれど、塾で受講している科目は割と取れている。問題はそうじゃない科目。もっと勉強せい。大事なのは結果を受けた後の動きだ。これをもとに受験勉強をしていってもらいたい。


トカゲを見た!

先日群馬県に行った時に、「ニホントカゲ」を見かけた。妙義山にある妙義神社までの石段にいた。石段を登ってきて、石段と石段の間の隙間に入っていった。なんとか収めた写真がコレ。

 

関東平野の中に暮らしている人だと、ニホントカゲじゃなくて「ニホンカナヘビ」が最もなじみ深い爬虫類じゃないだろうか(あ。ミドリガメは除く、ね)。ここ越谷市でも初夏になるとよく見かける。両者の見た目の違いは、体と尻尾の比率。ニホントカゲは1:1くらいだけれど、ニホンカナヘビは1:2くらいで尻尾が長い。この尻尾の長さで「愛蛇」、カナヘビと名付けられたそうな。

 

他にも体表の鱗の光沢。ニホントカゲには光沢があるがニホンカナヘビはマットな仕上がりになる。またニホントカゲの幼体は尻尾のあたりがキレイな青色をしているんだよね。

 

どちらも日本の固有種だけれど、ニホントカゲはあまり立体的な移動が得意じゃないので、人間による開発がすすむと生息圏を広げられれない。なので野生のニホントカゲに出会ってちょっとだけ嬉しかった。


高校生の定期テストに向けた勉強について

高校生の中間テストまで残り1週間くらいだ。順調に勉強できてる子もいるなか、ちょっと戸惑っている子もいるみたいだね。

 

やることがハッキリしているほど人は動きやすい。「これをこうして...」と指示を出してもらえればそりゃあ楽だよね。でも社会に出ると、それを待っているだけの人は「指示待ち人間」なんて言われて、できない人扱いされちゃう。だからそうならないように、自ら考えて動くことができるようになっておいたほうがいい。

 

高校生になると、定期テストに向けた勉強がその練習だったりする。中学生の時のように「ワーク〇ページから〇ページまで」といった具体的な指示は出なかったりするからね。自分で考えて進めなくてはならない。はじめは不安かも知れないけれど、「困ったら『全部』やる」つもりで行動を起こしてほしいと思う。高校は義務教育じゃない。つまり自ら動かないといけないんだよ。


学校の学習範囲を超えて

英文法の学習を終えた中学生は、文法の復習をしつつ長文の精読に入っている。

 

それで各都道府県の入試問題なんかを読んでいるのだけれど、文章の中には結構複雑な文も含まれている。完了形と受動態がくっついている文とか高校の学習範囲だけれど普通に出てきている。埼玉県の入試問題だとあまり見ないけれど他の県だとけっこう見かけるね。

 

なので、そういう文が出てきたらそこの解説もついでにやっちゃう。折角だからね。今からこういう文もガシガシ読んでいれば、埼玉県の入試問題なんてラクラク読めちゃうだろうね。早目に長文読解指導に入れたアドバンテージを活かしていこう。


勉強はコンスタントに

いるよね。定期テストを受けただけで、「何かを成し遂げた」気持ちになっちゃう子。いるいる、というか結構な割合でそう。だからテストが終わった途端、ファ~って背中に羽が生えてどっかに飛んでっちゃうの。

 

トップ層の子でそんな子はまずいない。少しは休むかも知れないけど、すぐにピッとテストの解き直しとか、次に向けた勉強を始める。なんならテストが終わったその日に自習に来て勉強してる。そんな子が成績の上位者になって、やがて人の上に立つ人になっていくんだよね。

 

もくせい塾では、テストの為に授業を前倒したりテスト前に授業を詰めたりはしない。通っているみんなに上のような子になってほしいと思っているからね。テストをさも一大イベントかのように取り扱って、祭りのあとは余韻をのんびり楽しむ…なんてことはしない。いつでも規則的に、コツコツ勉強していってもらう。それができない子に上位争いはできない。


順を追って

小4の算数には「整理して表に表す」の問題がある。いくつかの図形が散らばって配置されていて、形ごとに数を数えて表を作るみたいな。

 

そのときに「『正』の字」を使って数え、そのあと算用数字で表す。しかし、生徒の解いている様子を見たら、正の字と算用数字の記入を同時にやっちゃっていた。頭の中でかぞえた数を覚えておいて、正の字に直してる。頭の中に数を置いておけるだけの力があるのはいいことなんだけれど、これだとまず正の字で表して算用数字に直す意味がないね。なので

 

「図形は先生が見つけるから正の字を書いてみてくれる?」

 

として役割分担をし、数える時に正の字を使うことを教えた。

 

手順を省略したり、同時に行おうとしたりするのは間違いのもと。計算問題などで途中式を端折って間違えるなんてまさにそれだね。階段を上るとき、一段飛ばしで登れそうでも登ったところでバランスを崩してしまうようなもの。まずは一段一段踏みながら登ってみて、重心がブレなくなってから1段飛ばしにチャレンジしていくべきだ。

 

急がば回れ。正確に手順を踏めることがスピードにつながっていく。


それ、ほんとに「できない」の?

「できない」と言うことで、楽に流れようとしてはいけない。

 

ここ数日、生徒の「できない」に対して思うことがある。できないことがあるのは当たり前だしそれを教えるのが仕事だからいいのだけれど、「やりたくない」を「できない」に変換していると感じることがある。

 

小テストの準備。能力的に不合格になっているのではなく、明らかにやってきていない。だって再テストをすると合格できるのだもの。なのに理由を聞くと「頑張っているけれどできない」的な言い方をしてくる。「頑張っている」をそんなに安く使ってはいけない。

 

作文や記述問題を空欄で済まそうとすることに関してもそうだ。テストの時は、分からないなりに途中点をもらおうと何かしら書くよね。なのに授業で出たものに対して全くの白紙で持ってくるのは、能力的なもの以外の何かが見える。

 

これはいわゆる「負け癖」というやつじゃないのだろうか。

 

「あーもういいや、『できない』で」

 

と言っているように感じるよ。


こういうのってすばらしいよね

兄妹で通っている小学生の生徒。

 

たまたま私が席を外していて、入室したときに顔を合わせなかった。私が戻って来たときに、お兄ちゃんのほうが挨拶をしてくれたので挨拶を返した。

 

そのあと兄妹で小さい声で何か話している。「ん?なんだろう」と思っていたら、

 

「せんせいこんにちはー!」

 

と、妹ちゃんのほうからも挨拶が。きっとお兄ちゃんが「挨拶するんだよ」と教えていたんだね。ほっこり。

 

勉強だって大切だけれど、それ以上に大切なものがしっかり身に付いているなと感じた。


1学期中間テスト

今日は近隣の中学校の中間テストだった。塾生のできはどうだったかな。

 

テスト前の生徒の様子を見ていたところ、しっかり準備をしているなという感じの子がほとんどだった。ゴールデンウィーク期間もきちんと勉強していたのだろう、頼もしいね。しっかりテストで力を発揮していてほしい。

 

定期テストは学力を測定する側面ももちろんあるけれど、「自己管理力」を測る指標でもあると思う。準備をきちんとした子はその結果が表れ、そうでない子はそれが表れる。丁寧に、コツコツ自分の課題を進められる子にはちゃんと成果が付いてくる。真面目であるとか、ひたむきである・一生懸命であることが評価される世界だと思う。


こんな勉強は早く卒業しよう「幕ノ内ノート」

もう春も終わり梅雨に入ろうかという時期だけれど、春先で新しい環境に身を置いた生徒も多い。もくせい塾にもそんな子たちがいるので、勉強の「いろは」みたいなのを少しずつ書いていければと思っている。

 

最近気になったことを含めて「これはやめたほうがいいよ」ということ。まずは、「幕ノ内ノート」。

 

1つのノートに数学や英語などの勉強が混在して書かれているノートのこと。お弁当ならばいろいろなおかずが入っているのは嬉しいけれど、勉強でこれはよろしくない。そもそもノートを科目ごとに分けないのは、「『その程度の重要度』という認識」だからだ。自分の中で、重要なことをやっているという意識が希薄な勉強は当然身に付かない。

 

また情報が整理されていないノートは検索性が低く、後で「使えない」。どこに何が書いてあるのかすぐに見つけられれるようにしておけば、もしも勉強内容を忘れてしまってもすぐに確認できる。ごちゃごちゃだとそれはできない。それだと結局自分の頭の中身だけで勉強してかなくてはならなくなる。

 

ノートは空間を残して使うことで、後で新たな事柄を書き足したりできる。成長させることができるのだ。たとえ自分で問題を解いて丸付けしただけのノートであっても、何を間違えたのか、どの知識が足りなかったのかを書き足すことで、自分専用の教科書にもなる。だから幕ノ内ノートな勉強を止め、ノート術を磨いて学力につなげてほしい。


テストという言葉の持つ緊張感を

テストについて、たくさんあったほうが修正がききやすいと書いた。

 

良いこととして他にも、テスト回数が多いほうが「勉強の濃淡が減らせる」ということもあるかも知れない。テスト前だけ勉強する子って多いものね。テストが増えれば常に勉強している状態に持って行けるかも。(または、全く勉強しない状態になるか)

 

しかしここまで考えてみて、「小テスト」の役割ってこれだよなぁと思った。定期テストのような大きなテストが頻発できないから、小テストで継続して勉強してもらうってのが目的のひとつかな。

 

もっと言えば、普段から問題を解く時に「テストのつもり」で解いている子は毎日、全ての問題がテストとしての勉強になるんじゃないかしら。問題演習を「練習」のつもりで解いている子と「テスト」のつもりで解いている子、成果が変わりそうだよね。まさに「練習は試合のように、試合は練習のように」の勉強版だ。

 

塾で「問題演習」という言葉を全部「テスト」という言葉に置き換えてみようかな。


1学期中間テスト

もうすぐ中学生の中間テストだ。

 

近隣の中学校では、1学期に中間テストがある所と無い所がある。

 

どちらにも理由があって一長一短だっと思うけれど、1学期中間テストのあるところは、当然テスト範囲がかなり狭くなる。まだ新学期が始まって1ヵ月ちょっとだからね。授業がまだほとんど進められていないせいで、「前学年の内容」がテスト範囲に含まれていたり、中1の場合は小学校の内容がテスト範囲に含まれていたりすることもある。これで成績が付くとなると、定期テストの「学習内容の確認」という意味合いは果たせているのかちょっと疑問だったりするよね。

 

一方中間テストの無いところは、1学期の定期テストが期末テストの1発勝負になる。当然範囲も広くなるし、成績が付くという面では1発勝負はちょっと酷な気もする。そのせいか1学期の成績はやや甘めについている気もするけどね。どちらのほうがいいとかは分からないけれど、私はテストは多いほうがいいと思う。自分の力を確認するという意味合いでは、こまめに分かるほうが修正もしやすいからね。「いつの間にか悪くなっていた」ということが防げるかも知れない。もちろん学校は勉強だけが全てというわけでは無いのでテストばかり増やすわけにはいかないんだろうけれど。


その行動、惜しい!

授業で行っている英語のテストの再テストを受けに来たであろう子が、受けずに帰ってしまった。残念だねぇ。

 

たぶんだけれど、その理由は「教科書を持ってくるのを忘れたから」だと思う。以前も忘れて、私に一度注意を受けているからね。もう一度忘れて何か言われるのが嫌だったのかも知れないと推測している。

 

明らかに再テストを受けにきた素振りはあった。でも40分くらいでさっさと帰ってしまった。私は早々に「教科書忘れたな」と勘付いたけれど、その子がどう振舞うかを見ていた。

 

「気付いたならなぜこちらから働きかけて助けないのか」と言う意見もあるとは思うが、ここで手を差し伸べてしまうことで奪ってしまうものもあると思ったのだ。おそらくその子は自分の忘れ物のせいで計画が崩れたことを悔やみ、次は教科書を持ってくるだろう。そちらの成長に賭けたい。

 

ただ今回の最善手は、「忘れたことを正直に言って塾の教科書でテストを受ける」だったかなとも思っている。怒られる(注意程度で別に怒らんけど)のを覚悟して来たら、自分の計画も進められたのにね。そういうなりふり構わないくらいのずうずうしさも時には必要なので、身に付ける練習を私を使ってやっていってほしいよね。

 


結果を焦ってはいけない

他人の力を借りて勉強ですぐに結果を出そうとするのは危険だ。代償無しにそれはできない。いやこれは結果を出せない塾講師の言い訳じゃなくてね。

 

例えば植物をイメージしてほしい。根で吸い上げた水分や無機養分が茎を伝い、葉に届いてそこで光合成に使われる。光合成で出来た有機養分は体を作ったり生命活動に使われることになる。そうしてやっと花が咲く。

 

それを「すぐに花を咲かせて下さい」ということになれば、まず根を切り離し自然界にはない高濃度の栄養分に茎を直接浸す。葉は余計な養分を使ってしまうので邪魔だ、全部切り落とす。温度や照度管理された部屋で一番早く花が咲くように昼と夜を疑似的に感じさせる。そうすれば自然界にあるよりも早く花が咲くかも知れない。

 

しかし、その植物はその後すぐに死ぬ。

 

これを子供の勉強に置き換えてみようか。まずは毎日授業しましょう。大丈夫、そこで手取り足取り必ずできるようにさせますって。授業の無い時間もずっと教室で課題をやっていて下さい。勉強以外のことをするとせっかく覚えたことが抜けちゃうので部活動は辞めましょうか。他の習い事なんて絶対にダメですよ、そんなの時間の無駄無駄。あ、もちろん学校が終わったら直で塾に来てくださいね。夕食はお母さんがお弁当を後で届けてください。夜は遅くなるのでできれば送り迎えもよろしくお願いしますね。そうそうテストの3日前くらいからはもう学校も行かなくていいですよ、テスト範囲は終わっているはずですし風邪でももらったらどうするんですか。大丈夫、中学受験の現場でもよくあることですって。では、定期テストに向けて今から指導を始めますね。

 

え?「今の生活を維持したまま」成績を上げてほしいって?それは自然の中で他の花より早く咲かせてほしいって言っているようなものでしょう。それだとせいぜいちょっといい肥料を撒くくらいしかできませんって。他の子よりも成績良くしたいんでしょう?言われた通りにしてください。

 

ね。お子さんをどこまで差し出せますか?その子の成長曲線を無視することなんてできないよね。


暗記の技術を習得せよ

暗記力、何かを覚える技術は、早目に身に付けておいたほうがいい。「覚えないと付いていけない!」となった時には、すでに大量の「覚えるべき事柄」を通り過ぎちゃっているはずだから。

 

もくせい塾で本格的に始めるのは中1になってからだけれど、これをきちんとやらないまま中学生をある程度過ごしちゃって後で困る子って結構いるんだろうなぁって思う。他所から転塾して来た子って、だいたいここが弱い。だから中学生になって困らないように、中1の関門をしっかり用意して壁を乗り越えてもらわないといけないって思っている。

 

「暗記に頼らない学力を育てる」みたいなのも、結局は暗記した知識が必要になる。耳障りの良い言葉に騙されてはいけない。必要最低限の用語は身に付いていないと、考えることすらできないからね。


「置き勉」って学力も置いてきちゃわない?

春、この時期は生徒の「忘れ物」との戦いでもある。

 

生徒が塾に必要なもので持ってくるのを忘れやすいものの中に、「教科書」がある。学校の教材は特に持ってくるのを忘れがちだ。学校と塾とで使うカバンが違うと、中身を入れ替えたりもあまりしないよね。気持ちは分かる、でも使うから持って来てね。

 

で、それは別にいいのだけれど、先日忘れた子に話を聞いたら、

 

「学校で『置き勉』をしていて持ってくるのを忘れた。」

 

ということを言っていた。確か「『重い』教材を毎日持ち帰ると健康に被害が出る」とかで、今は学校に置き勉ができることになったんだよね。私から言わせると、「なんじゃそりゃ。じゃあ置き勉不可だった時代のわしらは全員骨格が歪んどんのかい」と感じなくもないが、そういう時代なのだろう。それで思うのは

 

「置き勉によって学習に影響が出ることについては誰も言わないのね」

 

ということだ。実際に置き勉が原因で教科書忘れが発生してるんですけど。これは早いところ教科書を全部電子化してもらわないと、この過渡期の子供たちの学力に影を落とすことにもなりかねないよ。みんなお家でどうやって勉強してんの?それともしてないの?


三内丸山遺跡

ゴールデンウィークに三内丸山遺跡を見て来た。やっぱり知識だけで知っているよりも、実際に自分の目で見たほうが勉強になる。生徒にもできるだけ生の情報を伝えたいからね。

 

住居はとても小さくて、入り口は腰をかがめてやっと入れるくらい。中の広さも2畳くらいじゃないかしら。かなり狭い。窓なんて当然ないから室内は昼間でも真っ暗。気を付けないと天井の梁に頭をぶつける。なるほどねぇ。

 

その他お墓が密集しているエリアや高床式の建物が建てられていたと思われる場所などを巡る。建物と建物の間隔はまちまちで、密集しているところもあれば1軒だけポツンとしているところも。その間をつなぐ道を歩いていると、なんだか縄文人になって集落で暮らしているかのような気持ちになれた。


教室再開!

ゴールデンウィークが明けた。

 

今日から塾も再開だ。連休中とは異なり、今日はちょっと雨が降ってしまっているけれど、連休にしっかり休めたのでまた頑張っていこうと思う。