中2で習う不定詞は

中2の英語は不定詞の学習に突入した。

 

ここから英語の核の部分というか、語学の根幹に触れざるを得なくなる。昔の教科書では不定詞の学習に入ると、「名詞的用法」「副詞的用法」「形容詞的用法」なんて言葉が突然出てきていた。だから「なんやねん名詞って」となっちゃう子も多かったと思う。でも今はもう少し前から名詞だのなんだのって、品詞についても触れるようになった。以前よりも早めに学習を深くしようってことなんだろう。

 

でも、そのせいで余計にこんがらがってしまう中学生も続出している気がする。これはこれで難しいんだもの。しかし高校生になって英語のできない子って、だいたいこういう準動詞が扱えない。文構造とか、根幹の部分に触れないできちゃったからだろう。昔の教科書の時代にはそもそも指導内容に無かったし、現在の教科書になってからも講師の力量の問題や判断で、塾で教えてもらえない子も結構いるんじゃないかな。ある中学校の生徒を見ていると、そもそも学校でもやっていなさそうだし。

 

だから高校生になって英語の本格的な勉強が始まったときに付いていけなくなる。もくせい塾では「全部教えてしまえ」と結構ガチガチでやっている。「意外となんとななるもんだ」と思う反面、理解が難しい子にはその単元ごとに階段を作って登らせるような別のアプローチも行っている。不定詞の「〇〇用法」の意味が分かるだけでも英文法の本質に触れられるし、英語はずっと楽しくなる。


時間配分をうまくやるには「何もしない」時間を持つこと

明日は中3生の第1回北辰テストだ。いよいよ始まる受験レースの号砲だね。

 

北辰のかこもんを解いた子たちには、採点をして返却している。その中に明らかに時間が足りなかったと思われる、後半白紙の答案が混じっていることがある。これが一番成績を下げる答案だ。まずは「時間が足りない」ということを無くさなくてはいけない。

 

時間が足りなくなるのは、学校の定期テストと同じようにやろうとするからだ。学校のテストとは違って模試や入試で満点を目指してはいけない。そういうテストではない。大事なのは最後まで解き切る、「完走すること」だ。

 

そのためには、テストが始まってはじめの1分は「何もしない」こと。問題全体を見て、大問ごとに時間を配分する。ちゃんと見直しの時間も含めておくこと。隣の人が鉛筆を走らせていても焦らない。

 

そして解き始めたら、自分で決めた時間制限を絶対に守ること。深追いするから時間がなくなる。時間内にできなかった問題は他の人だってできていない。それよりもできる問題から解くようにしたほうが絶対に点は伸びる。きちんと時間配分されていれば、戻って来て考える時間は必ずある。

 

北辰テストはそういった失敗を学ぶ場でもあるけれど、失敗はしないように気をつけなきゃ繰り返す。かこもんで練習を積んだ子はきちんと「完走」してきてほしい。


タイヤの交換、変化の季節

今日は自動車のタイヤ交換をしてきた。冬休み前からここまでずっとスタッドレスタイヤを履いていたのだけれど、やっと通常タイヤに戻すことができた。

 

久々にカーディーラーに行ったのだけれど、担当の人が移動になったとかで、整備を待っている間に新しい担当の方が挨拶に来てくれた。4月ってそんな時期だよね。会社でも人の移動がある。部署を移動する人もいれば、会社に新たに入って来る人、会社を去る人もいるだろう。学生も学年が変わり、クラスが変わる。そう考えると、ずっと同じ場所に居続けるほうが珍しいのかも知れないよね。

 

塾講師として受験生を送り出す仕事をしていると、たまに自分だけが同じ場所に取り残されているような、不思議な気持ちになったりする。自分の明日は自分のものなので、取り残されるも何もないのだけれど。少し受験を経て大きく成長していく子供を見すぎているのかも知れない。


反復はつまらない?いやいや、つまらないのはそう思っちゃってる自分の考え方でしょ

反復を「つまらない」と感じるのは工夫が無いからだ。

 

成績アップの勉強法はズバリ「反復すること」だ。テスト範囲のワークを3周もすれば平均点は超えられる。7周すれば上位争いだってできる。だってそれすらやらない人ばっかりなのだから。

 

では、なぜやらないのかといったら「面倒臭い」からだろう。1回だけやって飽きちゃう。2周目以降は「同じことの繰り返しなんでしょ」と、達観したような気持ちになってやろうとしない。だけどちょっと待った。そういう人たちは「工夫がない」からそう感じてしまうのよ。

 

反復といっても、同じことをする必要は無い。むしろ違う刺激を与えるようにしたほうが身に付くはずだ。2周目は1周目のできなかったものを。3周目は全部の問題に答えられるかのテスト。4周目はワークの反対から進めていく。5周目以降はタイムトライアルだ。そうやってやり方を変えて取り組むことで、反復練習だってダイナミックな冒険になる。つまらなくしているのは「反復はつまらない」という自分の固定観念なのだ。プロのスポーツ選手が素振りを繰り返す時、職人が毎日同じものを作る時、きっと「つまらないなー」なんて思ってやってはいないはず。


男の子の休みが多い

ここ数日、生徒の体調不良が続いている。急に暑くなったり雨が降って寒くなったりしてコンディションを整えるのが難しい。

 

気付いたのだけど、休んでいるのはみんな男の子だ。ウチは生徒の男女比半々くらいなので「男の子の欠席が多い」って言っていいと思う。不思議だ、男の子が体調を崩しやすい時期なのかしら。

 

でも今までの塾運営を振り返ると、欠席は男子のほうが多かったような気がする。女子の方が休まない。小中高校生という年齢的なものもあるのかな。とにかく、体調管理には気を付けてください。


蛍光灯がチラつく

教室内の照明器具が不調だ。蛍光灯がチラつく。

 

はじめは蛍光灯の寿命かなと思っていたのだけれど、どうやら違うかも知れない。新しい蛍光灯に交換したけれど、チラつきが直らない。以前交換したのもまだ半年も経っていないので、これは照明器具のほうに何かあるんじゃないかな~と睨んでいる。

 

このフロアに教室を開く時に照明器具を増設した。以前は各机に電気スタンドがある形でやっていたのだけれど、広くなった分配線が見えると汚くなってしまう。だったら部屋自体を明るくしちゃえということで工事してもらった。

 

増設する照明器具の必要数は自分で算出した。天井から机までの高さを測って、1平米あたりの勉強に必要な光量を出すにはどれくらい必要かなんて、まさかこんなところで元設計士の技術が役に立った。何でも経験しとくもんだね。

 

しかしこの照明器具増設はその道のプロにおまかせした。私は電気工事士の資格を持っていないので法律上できない。今回の件も故障だとしたら、また任せなくてはならない。照明器具なんてホームセンターに売ってるので自分でもなんとかできそうだけれど、工事の段取り組んだりするのってちょっともどかしく思っちゃうんだよなぁ。


自学するなら問題集は易しめで

学校で配られる教材。中学生は教科書ど準拠のワークくらいだけれど、高校生になると学校によってさまざまな教材が配布される。

 

その中に「ちょっとレベルが合わないなぁ」と感じるものが混じっていることも少なくない。生徒の学力に対して難易度が高すぎるものだ。よく言われるのが数学の青チャートね。これはどの高校であっても、全員に配るのはどうかと思うんだ。あと英単語帳なんかでもレベルに合っていないものがよくある。

 

「もう少し易しめのものをきちんとやらせたほうが、絶対に学力は高くなるのにな」って思う。学校によっては、一部のハイレベルな生徒を一生懸命育てて、大学の合格実績を稼ぐためにあえてやってるんじゃないかなとすら邪推しちゃうよね。

 

私の思う問題集の適正レベルは、自力でできる問題とできない問題が「8:2」くらいのものだ。一般的には「7:3」とか言われるけれど、もっと易しくていいと思う。大事なのは自分で進められること。できない問題に挫けちゃうよりも、できる問題多めで自信を付けたほうが上手くいく。高校生の勉強は学校で全部賄うことはできない。習うことよりも自学のほうが比率は大きい。だから自分で進められるものを。「難しい教材を使っている」なんていう変なプライドなんか何の役にも立たない。


勉強における行動力を身に付けろ

「コミュ力」の話もそうだけれど、生徒には勉強における「行動力」を身に付けてほしい。これが学力を伸ばす。

 

例えば演習したものを丸付けするとき、間違えたものにはバツを付けて教えるけれど、全部は教えないようにしている。自分で考える余地を残さないと生徒は伸びない。解き直しをしてもらうのもそうだし、分からない問題の場合は質問をしたり調べたりもしてもらいたい。

 

丸付けを終えて間違えたものをすぐに修正しようと動き出す子はよく伸びる。だからその動き出しの微妙な空気を察知したら、すぐに私は手を引っ込めて生徒に操縦桿を握らせる。それが経験になるからね。反対にいつまでも動き出さずに待っている子に対しては促す。

 

「次、どうする?」

 

日ごろ授業をしていると、間違えた問題をついつい全部教えてしまいそういなるので気をつけなきゃいけない。正直全部教えてしまったほうが授業は滞りなく進んで楽なんだけれど、目的は「生徒に力をつけてもらう」だ。それは生徒に実際に動いてもらわなくては身に付かない。


ちょっと放牧気味のほうが上手くいく

入塾してから生徒の学力がどれくらい伸びるかは、「自ら動いた量」に比例する。

 

例えば自習。言われて来るのではなく、自ら来る子は当然伸びるよね。あとは問題演習でも、言われて直しをするのではなく自ら直しをしていく子のほうが伸びる。自学もそうで、言われているものだけをやっているよりも、自ら何かを見つけてやっている子のほうが伸びる。なんだこれ、メチャクチャ当たり前のことを言ってるな。

 

でも本当にそうで、言われちゃうとそれが「義務」みたいになって同じことをやっても効果が薄くなる気がする。自分で見つけて実践したほうが良い結果が出るんだよね。「本人次第」っていうのはこういうところにも出る。

 

だから指導も、「過干渉」になってしまうと失敗する。関心は持ちつつもちょっと距離があるくらいのほうが上手くいく。失敗することがあっても、本人に試行錯誤する余地があったほうが知恵が育つというか。子育てと同じだね。


高校時代の恩師の言葉

私が高校生だった時、テニス部に所属していた。

 

そのテニス部の副顧問の先生が年度替わりに他校へ赴任されるということで、最後の挨拶をされた時、

 

「何かに失敗しても『死ぬ』ってことはほとんどないんだから、どんどんやりなさい」

 

というようなことをおっしゃった。おそらく準備をされていないのに突然言葉を求められたのだろう、失礼ながらたどたどしくもそのようなことを話されていて、やけに心に残っている。

 

これは「失敗を恐れずにチャレンジしなさい」という意味で言われたのだと思うけれど、今の私には「君たちは『死ぬ』ほどのチャレンジをまだしていない」という叱咤にも思えている。私に関して言えば、確かに高校時代は宙ぶらりんな行動力しか持ち合わせていなかった。もっとあれもこれもやっておけばという思いはある。バランスを多少崩してでも大きく手を伸ばす。そういったチャレンジ姿勢のようなものはずっと持っておきたいと思う。


「コミュ力が無い」ってこういうこと

もくせい塾では、生徒を順番に呼んでひとりひとり指導していくスタイルだ。

 

最近増えたなぁと感じるのが、問題を解いた時に「空欄のまま持って来て『何も言わない』」という子。「分からない」というのは全然いいんだけれど、「何も言わない」というところが少しマズい。何か質問される・指示を出されるまで自らアクションを起こさないところに、まるでモニターを見つめているだけのような空虚なものを感じて少し気味が悪い。目の前には生身の人間がいるんだぜ。コミュニケーション取ろうぜ。

 

持ってくれば勝手にこちらが判断して、分からないところを教えてくれると思ってしまっているのかも知れない。もしかしたら、生活が便利になりすぎちゃってることの弊害なんじゃないかしら。お寿司もタブレットで注文したらベルトコンベアで運ばれてくる時代だものね。

 

だからこういう場合、何も言わずにバツだけつけて返却したりする。すると逆に、生徒のほうがビックリした顔でこちらを見ることもある。そうそうそういうことだよな。何も言わなくても「やってもらえる」なんてことは何もないんだよ。分からないことを質問できるようになるには、まずはこういったところからコミュ力を身に付けていこうな。


そんで、自分はどうなの?

「僕のお兄ちゃんは筑波大に通ってる」

 

みたいな子が昔いた。「だからスゴイんだぞ」と。ちょっと周りを見下すような態度を取ることもあった。

 

うん、確かにお兄ちゃんはすごいねぇ。んで、「僕」はどうなの?

 

その子自身はお世辞にも勉強ができるほうでは無かった。出された宿題もやってこない。身内やお友達を自慢する子がたまにいる。「おじいちゃんが学習院」「友達がお茶の水を受験する」みたいな。これもひとつの「ブランド志向」なのだと思う。身に着けることで自分もスゴくなれた気になれるやつ。

 

実際のブランド品ならば、そのもの自体の質の良さもあるだろうし、それを買うことのできる経済的余裕はある意味ステータスになるのかも知れない。でも、身内が高学歴というのは自分のステータスじゃ全くない。自分自身は中身空っぽのまんまなんだよね。だから自分に自信が持てなくてそういう自慢をしてしまうのかも知れない。

 

自分の中に何もないと、近くの何か、「大きな価値のありそうなもの」に縋ってしまう。学歴もそうだし、国家とか、ね。国籍とかで差別をしてしまうような子にはなってほしくない。やはり勉強って大事だよね。

 

上記の子は受験期になって勉強を逃げ回り、希望する高校へは行けなかった。


他人の意識は変えられないけれども

「生徒の意識を変えさせるにはどうするか」ということに興味がある。

 

生徒の(勉強に対する)意識がいわゆる「低い」状態を抜け出させ、良い循環を生むにはどんな働きかけが必要か。ポジティブな言葉掛けも必要だろうし、「褒めて伸ばす」ことも当然必要だろう。しかし、それだけで意識が変わるかというとなかなかそうもいかない気がする。

 

ひとつは環境だと思っていて、「そうせざるを得ない」環境に置かれるとやるようになるんじゃないか。これは自分の実体験だけれども。だいたい、勉強をサボる子は「それでも大丈夫」という安心感を持っているからやらないのだろう。「やらなくては死ぬ」とまではいかなくても、勉強をしなくてはいけない環境を作ってあげることは有効だと思う。

 


再テストに合格する高校生。1回目の反省を活かせているのならヨシ

その日の授業終了後、高校生に再テストを申し込まれた。

 

「おいおい。もっと早く来なさいよ」

 

早い時間帯ならば私の手も空いていた。自習に来るのが遅かったのでその注意も込めて言ってみたら、

 

「一旦、寝てから来ました」

 

との答えが。以前のテストで不合格した時は「眠くて準備ができなかった」と言っていた子だ。その反省も踏まえての行動だった。ちゃんと考えた結果ならば立派だね。その後再テストを受けて、合格していった。

 

生徒が勉強するか否かは「自己責任」だ。だから小テストを課して、準備不足でそれに不合格だったとしても私は責任を負えない。したがって再テストのチャンスを与える必要もないのかも知れない。「テストの準備を『しない』という選択」をしたのだから。

 

でもこうして生徒が失敗から学んで強くなっていくのならば、それを見たくなっちゃうんだよね。


英文法1周目終わり!次は実戦力を磨く

中学の英文法を一通り終えた中3生がいる。ここからは英文法の復習と応用問題への取り組みをしつつ、英文解釈へと移っていく。

 

英文の読解はすでにやってきていることだけれど、英文解釈ではさらに細かく英語の構造を理解してもらう。簡単な文ならばスラッシュリーディングで全く問題は無いのだけれど、複雑な文をどう読み解くか、そこを指導しておきたい。品詞の働き、文構造、主語と述語、修飾語などを丁寧に見ていくことで高校に入っても大学受験まで英語の学習がスムーズにできるようにしておくつもりだ。

 

先日さっそく短めの入試問題を読んだが、1文で40分くらい解説した。1題じゃなくて「1文」ね。前置詞と接続詞が1つずつ入った文だったのでそこから説明が広がった。ただ英文を読めるというだけではつまらない。そこからどこまで知識を広げていけるか。英語はまだまだやることがたくさんある。そういったことを楽しみながら身に付けていってほしい。


「辞書をひく」という習慣をつけさせるには

勉強していて知らない言葉が出たら、我々大人は

 

「辞書をひく」

 

という答えが分かり切っている。しかし、勉強を始めたばかりの子供はそうもいかない。分からないものを人に聞けるのならまだいいけれど、分からないことを隠してそのまま素通りしてしまうかも知れない。

 

はじめはそれでもまだなんとかなるかも知れないけれど、少しずつ分からないものが増えてくると、やがて学力に影響が出てきてしまう。中学生になってからかな、「語彙力」による学力差が露わになるのは。だから辞書をひく習慣はできるだけ早くに身に付けたほうがいい。できれば小学校低学年のうちには。

 

もちろんもくせい塾でも辞書をひくのは生徒に推奨していて、小学生と中学生全員に対して、

 

本棚に連れていく→辞書を手に取る→机に戻り、辞書をひく(やり方が分からない子には教える)→辞書を元の場所に戻す

 

という流れをひとりひとり一緒にやっている。たぶんここまできちんと指導している塾って他には無いんじゃないかな。「分からなければ辞書を引くんだよ」ではできるようにならないからね。小学生のうちにこれを経験した子はその後、自然に辞書を取りにいけるようになる。


次の日曜は第1回北辰テストの日

中3の第1回北辰テストが次の日曜日にある。今日北辰図書から会場の知らせが届いていた。今回も武蔵野星城高校と獨協埼玉高校だね。

 

中3生にとってはここから北辰テストがスタートする。このテストを受験勉強の号砲とできるか。生徒たちにはほくしんのかこもんを解くように伝えているが、まだ手を付けている子は少ないようだ。北辰テストは全8回しかない。なのでここで北辰テストの勉強でかこもんを解いて経験値を上げておくことを是非おすすめしたい。私は受験当日に緊張で頭が真っ白になったので、生徒たちには少しでも多く経験を積んでおいてそんな目に遭わないでほしいと思っている。私は中1からの北辰テストを全て受けたけれどなったんだよね。受験勉強をするのはもちろんのことだけれど、こういうのも受験対策だと思うな。


小テストには失敗はないからね

中1の小テストが良い感じだ。

 

「良い」と言っても結果が良いというわけではなく、試練としての「良い感じ」ね。英単語のテストは普通に不合格になったりしているし、数学のテストでも「自信ある」って感じで受けて80点くらいしか取れていなかったりして、悔しそうな顔をする。

 

なぜなら、中学生基準のテストだからだ。英単語は満点しか認めないし、数学でも符号ミスですぐに減点されちゃう。小学校のときとは様子が違うぞということを今知ってもらっている。

 

中学校に上がると、定期テストで思ったよりずっと成績が悪くてびっくりされる保護者の方が結構いる。それまでは順位なんて出なかったし、カラーテストは結構高得点(に見える)だったからね。でもそれだとダメで、「1点も落とさない」っていう意識をビキビキに尖らせて問題に臨めるようにしておかないといけない。親がびっくりするまで放っておいてはいけないのだ。それじゃあもう遅い。

 

だから今から思いっきり壁にぶち当たって、それで一度自分の基準を作り直す。そんな作業としての「小テスト」。良い感じだ。今のうちに

 

「はい、ダメ~!」

 

ってたくさん言われておきな。


神様だって発信したい時代

昨日は長瀞にある宝登山神社にお参り(というか観光)に行ってきた。

 

歴史を感じさせる良い雰囲気の場所だったのだけれど、

 

「Instagramやってます」

 

との立て看板が。今は神社も情報を発信する時代なのね。信心深い方からは怒られちゃうかも知れないけれど、行事とかはどんどん情報を発信して人を集めたほうがいいよね。祭事とか見ていると素人目にも結構面白い。


道具は自分のものを

道具は自分をものを使ったほうがいい。

 

勉強道具でいうと、シャーペンや消しゴムなどの筆記用具はもちろんのこと、教科書なども自分のものを使うべきだ。もくせい塾にも中学校の教科書は置いてあるけれどこれは生徒に貸し出す用ではなく講師用だ。忘れた場合は貸しているが、生徒には自分の教科書を持ってくるように伝えてある。

 

自分の勉強道具にこだわりがない子はそもそもその学習に関心がない。関心がないので成績の伸びにもつながらない。過去の生徒でも、忘れ物をよくする子ほど成績が伸びなかった。毎回教科書を借りようとする生徒もいたが言わずもがな。そもそも自分の教科書でなくては書き込みができないではないか。学習効果だって半減してしまうのだ。

 

塾に来る前に持ち物をきちんとそろえて確認する習慣が身に付けば、それは学習の計画性にもつながる。忘れちゃったら借りればいいやと軽く考えてはいけない。それは自分の成長を阻害する。勉強と真摯に向き合っている子はそもそも忘れないし、忘れたら家まで取りに戻っている。


勉強は自分との戦い

勉強って、徹頭徹尾「自分との戦い」だと思う。

 

勉強する理由ができると、まずは勉強以外の誘惑に打ち勝たなくてはいけない。スマホ・ゲーム・漫画などの娯楽もそうだし、時には友達との遊びの約束を断る必要も出てくる。純粋な遊びの誘いならばまだしも、「一緒に勉強しよう」などと巧妙に言葉を変えて誘われたりもする。こういう誘いが来ると自分の決意も一瞬グラつく。そこをグッと我慢できるか、自分との戦いだ。

 

勉強の習慣がついてからも自分との戦いは続く。例えば成績が上がらない時。自分では頑張っているつもりでも成績に反映されないこともよくある。この場合、自分の中に原因はあるので、自分の弱いところを見つめ直さなくてはいけない。どこが悪いのか、そもそも勉強量はこれで足りているのか。自分の弱みをこれでもかと突きつけられる辛い時期かも知れない。

 

受験が近づいてくると、今度は周りの声が気になりだす。親や先生は「勉強勉強」とボリュームが大きくなるし、友達の勉強の様子も気になる。そこで揺さぶられずに目の前の勉強に向き合えるか。それまでに蓄積した自分との向き合い方が試される時期だ。

 

だから学生時代に勉強をしっかりやったと言える子は、自分自身を向き合っていける強さが身に付くのだと思う。


ミスを減らす方法は、「何も考えないこと」!?

「何も考えなくても手が動く」状態が本当に身に付いた状態だが、問題演習をするときにこの「手によるオートメーション化」ができていると良いことがある。問題を解く時に使う頭の容量を別の作業に回せるのだ。

 

例えば応用問題に取り組む時。応用問題は基礎の組み合わせでできているけれど、その基礎を処理する部分に頭を回してしまっていると全体を把握したり見直して間違いを発見するほうに意識を向けられない。

 

イメージは家のブレーカーだ。電力をたくさん消費するエアコンや冷蔵庫などを使っていると容量オーバーでブレーカーが上がってしまう。そのエアコンや冷蔵庫を消費電力の少ないものに替えれば、容量に余裕が出て他の家電も同時に動かすことができる。手によるオートメーション化は、意識しなくても手が動く状態なので消費する頭の容量が少なくなっている。そうすれば他の作業に頭のリソースを割く余裕がでる。応用問題を解いたり、間違いを減らしたりすることにつながる。

 

計算間違いなどの「ケアレスミス」と呼ばれるものの中には、ここに原因があるものも多いんじゃないかな。問題を処理する時に、頭の容量がいっぱいいっぱいになってしまっていてエラーを起こす。たくさんのアプリが同時に動いているパソコンの処理落ちみたいな感じに。大人でも仕事に追われてバタバタしている時に限って何かミスするものだしね。手によるオートメーション化をさせていく。それがミスを減らすはずだ。


自分の名前はスラスラ書ける。「定着する」ってどういうこと?

生徒の勉強を見ていて、

 

「本当に『身に付く』前に終わっちゃってるな」

 

と感じることがある。いわゆる定着不足。だからその場ではなんとかできているけれどすぐに忘れてしまう、時間が経つとできなくなってしまう。

 

例えば自転車に乗ることを想像してみてほしい。

 

「右のペダルを踏んで下げると同時に左のペダルが上がってくるから...」

「重心が右に傾いたら右に曲がっちゃうからハンドルを少し左に切って...」

 

などと、いちいち考えながら乗っている人はいないと思う。自転車に乗れる人は、何も考えずに操作しているはずだ。じゃないとすぐに転んじゃうよね。勉強も同じで、「何も考えなくても手が動く」状態になることが「身に付いた」ということだ。問題を見た時に、

 

「これは例のパターンだから、アノ公式を当てはめて...」

 

と考えているうちは、問題が解けてもまだまだ定着不足なのだ。ここまでじゃなくても、少しでも解き方に迷う、一瞬でも手が止まってしまったら

 

「わし、まだまだや...」

 

と思ったほうがいい。たぶんそのうち忘れてしまう。何も考えず、他の人と会話しながらでも解けるくらいが理想かな。(そんな勉強姿勢はダメだけど)

 

本当の理想は、「自分の名前を書く」くらいで問題が解けるようになること。自分の名前が定着していない人は...いないよね?


音読できる塾ってあんまりないんじゃないかな

もくせい塾には音読ブースがある。

 

「ブース」とは言っても机に防音材を張り付けた衝立があるだけなんだけれども。ちなみにちゃんとした個室(電話ボックスみたいなやつ)も見たんだけど、ウン十万円もするので諦めた。自習室からドアを隔てた向こうにあり音読している音は聞こえないので用途は果たしていると思う。それと手元を照らすライトとストップウォッチね。音読の必需品。

 

「家でできて、塾の自習室でできないものはなんだ?」と考えた時に音読があった。今はリスニングもできるし、調べものや勉強の「教材」すらも全て塾内で用意できる。あとは音読の環境だけだった。これで完全に教室内で勉強の全てが賄えるので、堂々と「自習に来なさい」と言えるよね。テストの準備以外ではあんまり言わないけれど。

 

私が中学生の時に通っていた塾には自習室は無かった。だから定期テスト前は自宅で勉強するしかなかった。家族が見ているテレビの音にイライラしたり、本棚の漫画の誘惑に負けてしまったり、そもそも人の目が無いから気持ちが入らなかったりとあまり良い環境では無かったと思う。今なら図書館なり勉強できる所へ行くと思うけれど、中学生の時はその行動力も無かった。その塾には感謝しかないけれど、自分が通っている塾で自習できるってなっていたらどうだったんだろうなとも思う。


それとこれ、違う競技だからね

今は子供の英語学習に力を入れられているご家庭も多い。

 

しかし、生徒が中学校に入ってからたびたび聞くのが

 

「早くからやってきたのに英語の成績がイマイチだ」

 

という嘆きの言葉だ。これ、私からすると「そりゃそうだ」なんだよね。

 

なぜか。まず、やってきたの英語は英語でも「英会話」の場合がほとんどで、「それは中学校の英語とは違う」からだ。学校の英語はなんだかんだ言って今でも文法と英文読解がメインだ。英会話で「聞ける・話せる」になっていたとしても、それだけでは学校の成績にはつながらないのよね。(つけ足すと、英会話をいくらやっても本当の「話せる」にはならないと思う)

 

「陸上で短距離走を一生懸命やってきたのに、サッカー部でレギュラーになれません」

 

と言ってるのと同じ。確かにどっちも走るけどさ。

 

結局、餅は餅屋。学校の成績を取りたいのならその専門機関に任せるべきだ。とはいえ、塾でも小学生の英語は英会話まがいのことをやっているところもあるから目的が違うならば注意したほうがいいだろう。もちろん私は英会話教室を否定しているわけじゃなくて、「競技が違う」ということをご理解いただきたいのだ。同じ英語を扱っても最終的に伸びる力は違う、と。


中学生へのイニシエーション

英語の小テストが始まった中1の生徒。さっそく洗礼を浴びる。

 

もくせい塾の中学英語では教科書の読み訳のテストを行っている。しかしこの中1の子は訳ができずに第1回目のテストで撃沈した。教科書の読みと訳だけなら「簡単だ」って思ったでしょ?そんなに甘くはないのさ。

 

なので、初回ボーナスとして「再テストの権利」をあげることにした。

 

「今すぐもう一度確認してきて再テスト受けていいよ」

 

と伝え、動画ルームに送り出す。そして2、3分くらいで戻ってきたので再テスト。結果、2度目の撃沈。まだまだ甘い。そこで

 

「先生はテスト前とか、30回は繰り返し読んでたなぁ。そうして本文を覚えちゃうのよ」

 

と、指針を示してもう一度動画ルームに送り出す。すると今度は30分くらい戻ってこない。何度も何度も音読しているのが聞こえる。いいね。生徒の学習が、小学生基準から中学生基準へと変わっていく瞬間だ。私はそれを待ちながら内心でほくそ笑む。むろんその後合格できたことは言うまでもない。


ウサギとカメ、どっちが優秀?

春休みには中学生たちに、学校から課題が出ていたようだ。そして休み明けにその確認テストのあったところもあるようだね。生徒から「社会満点でした!」などと報告を受けると嬉しい。

 

ところで私は、生徒たちの春休みの課題の進め方を注目して見ていた。生徒の中には、課題を出されると同時にバーッと終わらせる「ウサギタイプ」と、春休み一杯を使って悠々進める「カメタイプ」がいた。ウサギタイプのほうが作業スピードや瞬発力に優れている分、学力的には上かなと思われるけれど、正直言って差はほとんどない。ウサギタイプは課題が終わると勉強も終わりにしてしまっていた。自習にもパタリと来なくなった。したがって学習頻度にムラが出る。結局勉強は積み上げた量だなって結論に落ち着くね。

 

だからウサギとカメのハイブリッド、「ウサカメタイプ」になれば最強なんだけれどなぁって思った。


意味のないことをしないように

 

塾に来て自習室で座席に座っているだけならば、それは勉強をしているとは言わない。全く無益な時間だ。どうせ無駄な時間を過ごすのだったら、早く帰ってスマホでもいじっているほうがまだマシだろう。少なくとも本人の娯楽にはなっているのだから。

 

勉強はイスに座って机に向かうことではない。何かひとつでも新しいことを身に付けることだ。単語や漢字を覚えるでも、問題集に取り組んで問題が解けるでもいい。勉強に関する何かが少しでも前進すれば、それは立派な勉強だ。

 

だからポーズだけの勉強には全く興味がない。どれだけ塾に来ていても小テストに合格しなければ再テストを申し付けるし「もっと勉強をしなさい」という。きっと生徒からすると「??」だろう。自分ではやっている気にはなっているだろうから。

 

会社員時代によく「意味のない会議」という言葉を聞いた。会議をしているだけで、具体的なことは何も進んでいない。会議をすること自体が目的になってしまっている状態のことを指すのだろう。それと同じで、「意味のない自習」も存在する。上記のように、ただいるだけなのがそれだ。時間をつかうのなら、ちゃんと効果を出さなくてはいけない。


ちゃんと準備して来いよ

授業中に課している小テストの準備をやってこない生徒がいる。理由を聞くと、

 

「やったけど間に合わなかった」

 

「眠くて勉強に取り組めなかった」

 

というようなことを言う。なるほど。

 

「無理をしない」

 

というのは、良いことに思えるかも知れない。が、それではまかり通らないことも多いことを知っておかなくてはいけない。例えば会社。複数の人と協力しあってひとつの仕事にあたるとき、自分の都合で全てが決まることはまずない。

 

「頑張ったんですけど、納期に間に合いませんでした」

 

では済まない。今は何でもハラスメントになっちゃうので、会社でも「やれよオラァ!」というふうに新入社員にやらすわけにもいかない。しかし、やらないことが許される世の中ではないよね。たぶんそこをはき違えている人はそれなりの評価を受けているはずだ。

 

今回は勉強の話なので、生徒がやらなくても全体の進捗に影響が出て他の誰かが困ることはない。困るのは自分自身だ。ここで無理をしないということを選択し続けることがどういう結末につながっているのか。無茶はダメだけど、無理すべき時はあるよねと思う。どう考えても決してできないことをやらせているわけではないし、準備する時間は十分にあるんだからさ。


質問はね、しようと思わなくてはできないものなのだ。

「質問する」は能力だ。質問ができる子はその力ががあって、できない子はその力がまだない。もちろん質問するほうが学力が高くなる傾向があるので質問はできたほうがいい。

 

昔働いていた塾で

 

「質問ができないので子供が分からなそうな時は聞いてあげてほしい」

 

と、保護者の方に言われたことがあった。

 

私はそれも「サービス」だと思い、生徒の質問を吸い上げる仕組みを作っていった。自習室に手の空いている講師を巡回し、講師から生徒に話しかけるようにさせた。私自身も同様に生徒の質問や分からないところを吸い上げ、時にはその場で講義を展開し、生徒が帰るときには分からないところが完全になくなるようにしていった。

 

結果、中学生・高校生の成績の伸び、および受験結果は現在のもくせい塾のほうが圧倒的に高い。

 

これは講師や生徒の質うんぬんということではないだろう。おそらく私がやっていたのは、

 

「生徒ができないことを、『代わりに』やってあげる」

 

ということだったのだ。それこそ、箸が使えない子に食べ物を口元まで運んで食べさせてあげるように。

 

本当に罪深いと思う。子供の伸びるチャンスを奪い、「黙っていてもやってくれる」と勘違いさせてしまうような、生徒をバカにした行為だった。質問するというのは能力だ。その力が無い子は自分の成長を加速させられない。質問力を身に付けるチャンスを奪ってはいけない。

 

よって、今は上のように言われても

 

「じゃあ質問を吸い上げるようにいたします」

 

とは言わない。その環境はすでにある。「先生が忙しそうで質問ができない」と言われたこともあるが、それは生徒の「個人の感想」だ。質問に来ている子は実際にいるし、「忙しくない先生」なんてのはこの世にはいない。まずはそんな理由で講師のせいにするのをやめるところから質問力を身に付けてもらいたい。


辞書を片手に。勉強で伸びるコツは

英語の指導が始まった小学生や中学1年生には、とにかく

 

「辞書をひく」

 

ということを奨励してどんどんやってもらっている。

 

勉強では、「調べる」という作業をしているかしていないかでその後の伸びが大きく変わる。英語はそのコマンドを身に付けるのにちょうど良い科目だ。知らない単語とかいっぱい出てくるからね。

 

自分のことを振り返ってみると、小学校卒業時に卒業祝いで学校からいただいた英語辞書が大きかった。ほぼ毎日開いていたと思う。そのおかげで「単語が分からなくて英語が読めない」というのは高校生までは無かった(高校ではサボって英文が読めなくなったが)。英語嫌いは「単語が分からない」から始まるので、この習慣は身に付けておかなくてはいけない。

 

分からないことがあったら「調べる」というコマンドを自然に選択できるようにしておくことが、学力向上の秘訣だと思う。英語でできるように練習したら、他の科目にもどんどん広げていけば、すぐに学力上位層の仲間入りだ。


花粉症は勉強にも影響を及ぼす

花粉症の方には大変申し訳ないが、私はほとんど花粉を感じたことがない。したがって花粉症の辛さを分かってあげることができない。ごくごくたまーに

 

「なんか目がかゆいな」

 

くらに思うことがあるが、これもちょっと顔を洗えばすぐに霧散してしまうし、そもそもこれが花粉によるものなのかすら分かっていない。それくらい鈍感なので、ちょっと不謹慎かも知れないけれどちょっと繊細っぽい花粉症に憧れているフシすらある。花粉症の方が聞いたら立腹されるかも知れない。

 

今は子供の花粉症も非常に多い。ちょうどこの時期、教室内でも鼻をズビズビ言わせている子が結構いる。アレルギーもひどくなると熱が出たりもするんだってね。当然集中力も削がれて、問題を解いていても普段よりスピードが遅かったり、ミスが多発したりする。

 

辛さは分かってあげられないけれど想像はしておきたいと思うので、掃除機をいつもより念入りにかけたり、エアコンのフィルターの掃除をしたりしている。もうしばらく頑張って。


中1が間違える意外な落とし穴とその原因

中1の生徒に解かせている数学の問題で、学力に関係なく間違えやすいものを見つけた。こんなの。

 

大問1 次の数について以下の問いに答えよ

-0.5 , +3 , -4/3 , 0 , -2.5

 

(1)小さい順に並べよ

(2)絶対値が2以下の『整数』を全て答えよ

 

こういった問題構成の場合、(2)の問題の答えを

 

「-2 , -1 , 0 , +1 , +2」

 

って書いちゃう間違いが結構ある。これは正負の数が理解できていないのではなく、「問題の構造」が分かっていないパターンね。(2)は「大問1」のひと続きの問題だから上の数の中から選ぶのだけれど、それ自体が独立していると勘違いしてしまうのだろう。

 

問題文をよく見ていれば防げるミスだけれど、小学校の時にこうした大問形式の問題演習をあまりしてこなかったのも一因だろう。1問1答形式しか見てこなければこう考えちゃうよね。

 

確かに私自身も中学生の時に、問題文のどの部分まで次の問題に引き継いで使っていい情報なのか悩んだことがあったような気がする。段組みの構造が分かっていなかったというか。もしかしたらこれは、公立小学校出身者あるあるかも知れない。


中1の数学小テストは

中1の数学の小テストの結果が良い感じだ。

 

現在早い子で3つ目のテストを消化したが、80点以上は取れている。ちゃんと勉強している証拠だね。

 

このテストの結果で学校の定期テストの点数も予測できる。90点を切らなければ学校のテストでも90点は取れる。100点を毎回取れるようになると、学校のテストでも100点が狙え、トップ争いに入れるだろう。内容はごく基礎的なものなので、100点を狙うのは難しくない。しかし100点を取るには「つまらない間違えをしない」ことが求められる。これこそが学校の定期テストでも満点を狙うために必要な能力だ。

 

この前の小テストで98点だった子がいる。1問間違い、それも本人の勘違いだ。これを悔しがってくれれば、学校でも学力上位層に入れる。問題が解けること以上に、こうした姿勢とかメンタルの部分をまず身に付けていってもらいたい。頑張ってほしいね。


結局はどういうことなのか、数学で考えよう

高校数学の積分の指導。グラフによる図形の面積を求める問題。これをある子が一つのグラフによる図形の面積、x軸よりも下にできる図形の面積、2つのグラフに挟まれた部分の面積と学習していた。

 

どうやら学校ではそれぞれの「解き方」を教わっているようだ。でもね、これ全部同じことなのよ。

 

「グラフよりも下の図形は、式に『マイナス』を付けて積分」

 

じゃないのよ。なぜか教科書にそう書いてあるが、これは全く本質じゃない。そういった論理の抜けを補いながら説明する。数学は抽象化の学問だ。学習を進めていくうちに

 

「これもこれも結局同じことじゃん」

 

ということが分かってくる。そうすると余計な公式などは必要なくなるし、いろいろなものごとを「それで結局どういうこと?」という観点で見る目を養うことにつながる。


あれよあれよと中間テストが近づいている

学校が始まって1週間あまり。そうこうしているうちに中間テストまで1ヵ月を切っている。この前中1の生徒にその話をしたら、

 

「はい、知ってます」

 

と、さも当たり前のように言っていた。気持ちの面ではちゃんと準備できているようだ、良き哉良き哉。

 

とはいえ、まだ学校の授業も始まったばかりで範囲も何も分からない状態かも知れない。中間テストまでの期間を考えると、中1は小学校の復習、中2、中3は前学年の内容の復習も出るかもしれないので、復習は意識して勉強をしておこう。ゴールデンウィークが明けたらテストはすぐだ。

 

高校生も同じ時期だろうけれど、高校の授業は速いので復習ではなくその内容になっていくだろう。はじめのテストが自分の学力での位置付けをする大切なものなので、しっかり準備をしていこう。


学力崩壊のヒビは「面倒臭がった」瞬間に入る

小学校高学年の生徒を見ていて感じるのは、

 

「計算で『暗算』しがち」

 

ということ。ウチは4年生から受け入れをしているけれど、その頃にはもう暗算のクセが付いちゃっている子が多い。

 

私は暗算反対派だ。いやできるならやってもいいんだけれど、暗算してる子に限ってちゃんとできてないのよね。学校でも暗算の指導があると思うけれど、それだけではなかなか身に付かないみたいだよね。

 

それで結局、途中式を書くのを「面倒臭がる」子が暗算して間違えるっていう、「面倒臭がりさんホイホイ」みたいになってる。きちんとできるようになってくれれば文句も無いのだけれどね。生半可な技術では学力を下げるだけだ。だから途中式を書くことをうるさく言う。それ以前にやることがあるでしょう、と。


できなくて悔しい?ならね

久々に、できなくて悔しそうにしている子の顔を見た。いいね。最近の子は妙に老成しているというか、「怒り」や「悔しさ」の感情をあまり見せない子も多いからね。

 

勉強に感情が伴う子は伸びる。感動した体験は印象が強くなるからだ。もちろん「楽しい」「面白い」という思いとともに記憶に残るのが理想なんだろうけれど、「悔しい」とか「むかつく」みたいな思いもエネルギーに変えることができる。昔、分からないことがあると悔しくて泣いちゃう子がいたけれど成績が良かった。負けず嫌いもここまでいくと立派な才能だと思う。

 

さて上記の子。

 

できなくて悔しい?ならね、まずやることがある。「『なんでできないのか』と向き合う」ことだ。今までは持ち前の才能で「ふふふん」と鼻歌交じりにできていたかも知れないけれど、そのせいで努力量が足りていなかった。今回できていないのは明らかに以前の内容を忘れているからだ。まずは以前の内容をきちんと身に付ける。その術を学んでほしい。

 

やっと壁にぶつかった。これを乗り越えられればもっと大きくなれる。がんばれ。


道化の誓い

営業に関することで思い出したコト。

 

もくせい塾を立ち上げた当初、このウェブページを作って少しした頃に電話で営業を受けた。

 

「私○○と言う雑誌社の者です。是非貴塾の特集を組ませてください」

 

え、特集?ウチの塾が!?

 

よく考えたらそんなことあるはずないのに、「特集を組む」なんて言われてちょっと舞い上がってしまった。もしかして有名人になっちゃう?やっぱり分かる人には分かるんだなぁ。私の頭の中に、スガシカオの「progress」が流れる。

 

「『プロフェッショナル』とは、妥協しないこと、ですかね...」

 

もう脳内ではインタビューに答えちゃってる。もう一度言うが当時はもくせい塾を立ち上げたばっかり。まだ生徒も3人。今思えば「そんなお前が何を語るって言うんじゃばか」だ。恥ずかしい。爆発しろ自分。

 

それで知り合いの人にこのことを相談したら、

 

「あー、『インタビュー商法』ね」

 

と、あっさり私の妄想は打ち砕かれた。インタビュー商法って言って、ちゃんと雑誌は作るんだって。それでインタビューは載るんだけど、記事を載せるのに逆にお金を取られるんだってさ。冷静になってみれば、その雑誌の名前聞いても本屋にあるの見たことなかったよ、ハハ。

 

そんなわけで純情を踏みにじられた私は、営業に対しての身持ちは固くなったと思う。


営業のメール多いっすよほんとに

春だからか、いろいろな営業がやってくる。ウチは学習塾なので、「集客」に関する商品の宣伝が多いかな。あとは教材関係とか、フランチャイズのお誘いなんてのもある。

 

チラシが入っていたり郵便で資料が届いたりもするけれど、一番多いのは電話勧誘。これはちょっと困る。特に授業中は電話が鳴って中断するのも嫌だし、無駄な時間を取られてイラっとして授業に戻るのも生徒に申し訳ないので電話はずっと留守電にさせてもらっている。私、電話には出んわ。(留守電のメッセージはちゃんとお返ししています)

 

あと最近増えて来たのがこのウェブページのフォームからメールが来るパターンね。「でぃーえむ」ってやつ?ダイレクトメッセージの略だよね、知ってる知ってる。なんだかめちゃくちゃ長いメールが送られてくるけれど、DMだと分かった途端に削除するから内容は全く見ていない。大事なメールもあるのだからそんなのにうちのメールフォーム使わないでよって思っちゃう。

 

だからこれを見た業者のみなさま、絶対にDMから商品を買うことは無いのでよろしくお願いいたします。


英文法の学習終了!

中学生の英文法が一通り終わった中3生が出てきた。これは結構早いんじゃないかな。

 

受動態の後、修飾のところで結構苦戦して時間を使ったけれど分詞・関係詞・その他の修飾表現について行い、仮定法、不定詞の構文・原形不定詞とやってきた。いやー頑張った。

 

もちろんこれで「完成」とはならない。更にもう1周して理解を深め、入試対策演習に入っていく。おそらく今の段階でも十分入試には対応できるだろう。でももう一押しして、受験期には授業を受けているだけで受験勉強はOKな状態にしていく。そうすれば他の科目に勉強時間を回せるからね。


振る舞いを見て原因を探る

転塾して来た子の振る舞いは、元の塾での様子を伝えてくれる。

 

一番顕著なのが「スマホの扱い」だ。自習中に普通にスマホを机の上に出したり、それで音楽を聴こうとしたりする子もいる。学校では禁止されているはずなので、前の塾では「OK」だったんだろうね。初めて塾に通う子の場合はほどんどない。

 

ちなみにもくせい塾では、やむを得ない事情を除いてスマホを出すことを禁止にさせてもらっている。

 

「今時スマホ禁止なんて!」

 

と思われてしまうかも知れないが、やはりどうしてもスマホが無いほうが集中できるんだよね。だから塾にいる間だけでもデジタルデトックスってことで。(教室内はデジタルデバイスだらけだけど遊びで使うことはないのでご安心を)

 

これは私の経験なのだけれど、机の上にスマホを出しちゃう子って成績が良くない。やっぱりあったら絶対に見ちゃうし、通知や着信があればそれを我慢できないものなんだよね。そして見たら集中が途切れ、再び集中するのにまた15分くらいかかる。テレビ見ながら、友達とおしゃべりしながら勉強なんてできないのと同じ。そして転塾してきた理由もおそらくそこにある。だから禁止、ね。


「どうしても」じゃなければ、勉強をやれる余力は残しておいたほうがいい

 

第1回北辰テストも今月末にあることだし、高校受験生はそろそろ高校について意識していく時期だ。

 

学校選びで知っておいてほしいことがある。

 

「通学距離と部活動選びは結構重要」

 

ということだ。やりたいことがあって、その為に選んだ高校が自宅から遠かったのなら仕方がない。でも、通学時間って学校の成績に結構影響するのよ。往復1時間の子と2時間の子、それだけでも月に20時間以上自由な時間が変わってくる。年間200時間以上ね。

 

「通学中の電車の中で勉強すればいい」

 

と軽く言うが、状況によっては結構難しい。ちゃんとイスに座って机に向かったときと同じことはできないし。

 

部活動選びも同様で、入った部活によって成績が結構変わる。忙しい部活動に入ってしまうと毎日の予習復習もままならないなんてこともよくある。

 

「でも、どんなに忙しくてもやってる子はやってるし」

 

と軽く言うが、これもまた「そういう人もいるけれど」だよ?全員がそうじゃないことくらい、中学校で標本調査の勉強をしていればすぐに分かる。自分が「その他大勢」にならない保証なんてない。

 

もちろん勉強が高校生活の全てではないので、これはあくまで勉強・進学という観点でのお話だけれどね。過去に「勉強も頑張りたい」けど、そういった選択をミスっちゃってる子を見てきたので老婆心ながら。


原因を探る

「勉強の『できない』」

 

にも、いろいろ理由がある。塾ではそれをひとりひとり見て、改善のための良い方法を考えていく。例えば、

 

「三角形の合同の証明ができない」

 

という場合、それをすぐに解説して見せるのではなくて、「どこが」できないのかを生徒と生徒の解いたものを見て考える。合同条件を覚えられていないのか、書き方の流れが分からないのか。はたまた基本的な問題はできているが少しひねられるとできなくなるのか。

 

できていない所をある程度見つけられたら、そのあとに「どうして」できないのかも判断する。解説が必要なのか、演習量が足りていないのか。こうやって原因を探っていくと、本当にひとりひとり違うところで躓いているのが分かる。そこまで調べていくと対策も見つけやすい。生徒が「分からない」と言ったからといって、いきなり解き方を見せるだけじゃあ問題集の答えを見るのと一緒だからね。


越境の大変さ

越境で少し遠い中学校に通い始めた中1の子に、

 

「学校どう?」

 

と聞いたら、

 

「遠い所だから知ってる人がいない...」

 

 

と。Oh...。

 

越境をすると通学時間が長くなってそれだけ勉強時間が取りにくくなるとか、大変なことも多くなる。でも確かにそんなハンディキャップもあるよね。たくましく友達作りに励みつつ、勉強も運動も頑張ってほしい。


板書を写す速さはここに差が出る

授業の小テストの準備が間に合わない子がいる。

 

単にサボっているだけならば話は早いのだけれど、きちんと自習にも来ていて、準備もしている。それでも「間に合わない」となる。それはなぜか。

 

どうやら、板書をノートに写すのに時間がかかってしまっているようだ。結構いるんだよね、板書を写すのに時間がかかっちゃう子。最近は学校の授業でも板書を写すってことが減っているみたいだからね。丁寧に書いてくれるのはありがたのだけれど、それで勉強のスピードが遅くなっちゃうのは本末転倒。

 

板書を写す時の速さを上げるコツは、

 

「一度に写す量を増やしていく」

 

ことだ。1文字1文字ちまちま顔を上げては見て写している子がいるが、これは遅いし身に付かないしで最悪。内容を頭に入れて、ノートに吐き出す。この量を1度に多くできるようにしていく。内容を頭に入れようとすると、ちゃんと解釈するようになるのでただ見たままを写すのと違って脳を使うことになる。そうすればスピードも上がるし理解も深まるので頭も良くなる。

 

文字を書く速さは人によってそれほど差は無いはず。差が出るのはこういうところだと思う。


「友達との勉強」について

勉強は集中しなくてはできない。一度その問題を見たら、解き終わるまでは目を離すことはできないし、もし途中で別の作業が入ってきてしまったら、戻ってくるときにまた集中し直さなくてはいけなくなる。結果、学習効率は下がる。

 

だから「友達と一緒に勉強する」なんてことはできない。友達がいても勉強しているときは一人だし、そうなると今度は近くに友達がいて話し掛けてくるのが「邪魔」になる。「友達と一緒に勉強する」は、なんとなく寂しさを紛らわせるための行為に過ぎない。勉強は孤独なもんだからね。

 

昔、受験が近くなってから「友達と勉強」を始めてしまった生徒がいた。受験の2カ月くらい前からその生徒はだんだん自習に来なくなり、その理由を聞くと

 

「図書館で友達と勉強をしていました」

 

と言うようになった。なんとか食い止めたかったが、説得も虚しくそのまま受験当日を迎えてしまった。成績は十分合格ラインにあったのだが、結果その生徒は不合格になった。

 

その時一緒に図書館で勉強していた「お友達」は、その子の不合格をどう思っただろうか。今でもその子と友達をやっているのだろうか。責任をなすりつけるつもりは更々無いけれど、私はその時のことを忘れることはない。私がその子の「本当の友達」になれなかったことを今でも悔やんでいる。だから「友達との勉強」は今も全力で否定する。


話題を振るとね

新年度が始まってまだ1週間ほどだけれど、

 

「どう?新しいクラスは」

 

と、2・3年生に聞いたりしている。返事の内容はまちまちで、

 

「結構いいです」

 

って子もいれば

 

「ちょっと悪いです」

 

って子もいる。いい・悪いの内容も担任の先生に対するものもあれば、クラスメイトに関するものもある。今は「全員友達!」みたいなことを強要する空気もさすがにないだろうけれど、それでも集団生活はいろいろ気を遣うよね。のびのび過ごしてほしい。

 

ところで、私のこうした質問というか、雑談の話題を振っているのは、もちろん生徒のことを聞きたいからなんだけれど、ここでパッパと話題やエピソードが出てくる子は、その話題を咀嚼して言語化しているというのが分かる。一方そうでなくて

 

「…まぁ」

 

みたいな子もいる。思春期だし自分のことをあまり話したくないというのもあるだろうけれど、まだ言語化でいないんだろうなというのもある。国語力に直結している部分だと思うので、イエス・ノー以外の会話もどんどんしてほしいと思う。私との会話を「トレーニング」だと思われちゃうのもなんだか寂しいけれども。


良いスタートの学年と…

授業で行っている数学の小テスト、中1、中2はなかなか良い滑り出しだ。どの学年もはじめは計算問題からなのだけれど、ちょっとした計算間違いはあるにせよ、みんな高得点で合格している。中2の子なんて満点だった。いいね。

 

一方3年生、おやおやどうした?って感じのスタート。式の展開の問題なのだけれど、乗法公式が出てきているのがネックのようだ。計算ミスが多く、不合格者も結構いる。まだ公式がしっかり身に付いていないままテストに臨んじゃってる感じだね。

 

しかたがないので出来が悪かった子には授業で公式の確認をもう一度行っているけれど、春休みの時間のあるうちにもう少し練習してきてほしかったなぁ。計算を舐めてかかっちゃいけんぜよ。


メモ取ってる?

「メモを取る」

 

この習慣は、「メモを取らなくてはいけない」と思わせない限り身に付かない。

 

もちろん「メモを取れ」と言い続ければいつかはできるようになるかも知れない。でも、メモを取ることの本来の目的は「大切なことを記憶に留めること」なので、形だけのメモを取る習慣に意味はないだろう。

 

だからこの習慣のない子には、前回やったことを確認して「あら覚えてないの?」と言うジェスチャーをしまくることになる。メモを取らない子はやはりどこか授業に参加しきれておらず観客になっちゃってるんだよね。教室の前にある「メモを取ろう」の張り紙に早く気付いてほしいものだ。

 

一方メモを取る習慣のある子はメキメキ力がついている。今日も説明の途中に、

 

「あ、それこの前書いたな…」

 

と、私の板書を写したノートを開いて見始める中1の生徒。こうしてメモに取ったことを覚えているだけで学習効果は何倍も違うはずだ。伸びしろを感じるよね。


どんどん宣言しなされ

「有言実行」ならぬ「有言不実行」な子がいる。

 

目標を宣言はするけれど、全くそれを履行しない。言った後すぐはやるけれど、だんだんやらなくなるというのならまだ分かる。継続するのも能力だからね。でも、言った「直後」から全く1ミリもその通りにしない子ってのがたまにいるんだよねぇ。

 

私が「こうしなさい」と言って、それをやらないとかも全然理解できる。それは強制への反発だろう。そうじゃなくて「自ら宣言」し、そしてやらないのよ。これは理解が難しい。なんとなくそう言うように「仕向ける」ってあるじゃない?そう言わないと解放してもらえない空気を作るとか。そういうのも全くしていない。むしろ

 

「へぇそうなんだ。ムリしないでね」

 

くらいの姿勢で聞いているんだけれど、自ら言い放ってやらないのよ。逆にちょっと面白い。

 

「先生を喜ばせたい」

 

みたいな心理が働いているのかしら。こう言えば喜ぶだろう、みたいな。でもそれだけ人の心理を慮れるならば、その後やらなくてかえってガッカリさせちゃうみたいなところまで分かるはずだよね。全くもって不思議。自分で気持ち悪くないのだろうかとちょっと心配になる。

 

私は行動でしか生徒の評価はしないので、そう言われても特に何もないのだけれど、この心理は紐解いてみたいなとは思う。


「まねっこ力」を鍛えよう

勉強は習ったことの再現だ。真似するのが上手な子ほど早く伸びる。授業では解き方を見せることも多い。解き方の真似をしてもらいたいからだ。

 

しかし、生徒の中にはこの真似するのが苦手な子も結構いて、そういう子ほど教えてもすぐに抜けてしまう。そういう子は「真似をする」という意識が希薄で、すぐに自己流に走ってしまう。

 

だからそんな時は

 

「オリジナルに走っちゃダメ」

 

と言ってお手本の真似をやり直させる。自分のオリジナリティを出すのは基礎が固まってからだ。

 

一方学力の高い子は、真似をするのがとても上手だ。まずは「同じやり方」をコピーして、そこから自分のやりやすいやり方を模索していく。ちゃんとお手本を通っていくのが学力向上のポイントのようだ。だから全員「まねっこ力」を磨いていってもらいたい。


他の子の邪魔になるのでおしゃべりしてはいけないよ

自習している子たちがしゃべっていたので注意した。

 

自習の子を注意するのは超久々だ。たぶん2年以上してなかったんじゃないかな。そもそもウチで自習室がうるさくなるなんてあり得ない。2年前も、居眠りをしていた子の注意だったと思う。

 

今回も別にうるさく感じたわけじゃないけれど、

 

「自習室は自習をする場であって、おしゃべりをする場ではない」

 

と教えたかったのでソフトな注意だけだ。そう考えると「自習室がうるさいな」というのももう10年以上感じていないわけだ。もくせい塾になってからは1度も無いからね。

 

自習室は勉強する子たちにとっての「聖域」。そんな塾でありたいよね。


スケジュールは自分管理で

新学期になって学年が1つ上がったことだし、生徒には是非意識してほしいことがある。

 

「自分の予定を自分で管理する」

 

ということだ。2年生や3年生はもちろんだけれど、中1・高1の新1年生には環境が変わるのでその中でやっていくためにも特に意識してもらいたい。

 

学力で大きな比重を占めていることのひとつに、「計画力」がある。勉強の計画を立てて進める力。その為にはテストなどのゴールから逆算して、今自分が何をどれくらいやる必要があるのかを把握している必要がある。これが無いと、無計画に進めて「間に合いませんでした」ということになったりする。

 

この計画力を身に付け、伸ばしていくためには日ごろから先の予定を理解しておくことが求められる。つまり、自分のことは自分でやる意識を持っていなくてはならない。明日の授業科目は何だったか、持ち物は何が必要かを確認するところからはじめて、授業に向けてやっておくべき予習はあるか、テストはいつ実施されるのか。そしてそのテストまでにどんなイベントがあってその両立を図らなくてはいけないのか。そういったことを一度時間をとって考えてみよう。

 

中学生ならまだ許されるかも知れないけれど、高校生にもなってお母さんに

 

「中間テスト前に体育祭があるから、今のうちに勉強は進めておきなさいね」

 

なんて言われているようではいかんのだよ。もちろん中学生も、この「スケジュールは親管理」の状態を早く抜け出せた子ほど成績も高くなる傾向がある。


勉強は結局「積んだ量」だから

中学生に上がったばかりの新中学1年生。さっそく自習に来てる。来まくってる。なんて書いていたら、今日も来た。

 

例えば1日1時間でも毎日自習で勉強するとする。塾は日曜休みなので月25時間くらいか。年間で300時間近く勉強することになるね。3年で900時間か。これはすごいよね。もちろん自習に来た子で1時間で帰っちゃう子はほとんどいない。たぶん3年間で2000時間とか余裕でいくと思う。

 

大学受験で上位大学を目指す場合、自分で行わなくてはいけない学習時間は2000時間くらい(学力にもよるけど)。それを中学生の時から習慣づけていければどうなるか。楽しみだよね。まずは目先の定期テスト、の前の塾の小テストにしっかり合格して、着実にステップアップしていってもらいたい。


情報量が少ない学習をしちゃダメ

中学生の勉強を見ていて、最近また気になり出しているのが

 

「用語を『ひらがな』で書く」

 

子が増えているということだ。

 

習ったものならば用語は絶対に漢字を使うべきだ。漢字には1文字の中に込められた情報量が平仮名よりもずっと多い。社会の用語などは特に、漢字で覚えておけばその周辺の用語とも紐づけしやすくなり、記憶が定着しやすくなる。

 

なぜ漢字を使わない子が増えてきているのか。ひとつは子供が文字に触れる経験が少なくなってきていること。これはもう明白だと思うけれど、もうひとつが「『漢字を使わなくてはいけない』という指導を受けていないからなのではないだろうか。模試などでも、漢字が分からないときに平仮名で書けば丸になる。反対に「漢字で書け」と言う指示のある問題すらあるくらいだ。

 

これは結構マズいんじゃないかなと思う。そうやって目先の丸だけを追い求めて漢字を使わないでいると、用語を「音」で覚えるしかなくなってしまう。現に生徒の間違いに用語が読めていない・正しい名称で覚えられていないといった「読み方の間違い」も多い。多分「音」でしか認識できていないんだろうね。意味が理解できないものを覚えておくことは難しいし、それ以上の広がりも無い。現に平仮名解答をする子の知識は薄っぺらい。

 

これは塾の中だけでも漢字の使用を強制しなくてはいけないのだろう。早いところ「つまらない学習」を抜け出させなくては。


英語はまたはじめから

中1の生徒の英語の授業が始まった。内容は、アルファベットの書き方、英文の形だ。

 

実はもくせい塾の中1の子は、小学生のうちに中1の内容がほとんど終わっている。教科書もガンガン読めるしね。英文だって書ける。

 

ではなぜまた最初に、というかアルファベットにまで戻ってやり直しているのかというと、それば「盤石の基礎力」を築くためだ。もしかしたらアルファベットは中学校ではもうやらないかも知れない。小学校の英語指導が始まったからね。だからきちんとアルファベットを意識して書くチャンスはこの時期くらいだ。

 

英文の構造の説明も同様。中1の英語教科書は、初っ端から「いろいろな文」としてbe動詞と一般動詞の文が同時に出てくる。「be動詞の文はね」という形で勉強できるのは今くらいなのだ。(ここに今の中学生の英語嫌いを大量生産している原因があるのだけれど)

 

だから、はじめを楽しみ、完全に理解して進んでいけるようにもう一度スタート地点に戻って来た。ここで「強くてニューゲーム」を体感してもらう。

 


乗法公式の学習

中3は式の展開を進めている。

 

ここで乗法公式を習うことになるのだが、これを軽んじてしまうとこの後酷い目に遭う。授業で小テストを行う時に生徒たちに伝える

 

「乗法公式を使う問題は『分配法則』で解いたらバツにするからね」

 

すると、急に顔色がサッと青ざめる子が出てくる。公式を身に付けずにテストに臨もうとしていたのだろう。ここの解説では、乗法公式をしっかり教えている。「楽をしよう」という態度で臨むとこうなる。

 

式がきちんと展開できれば答えに辿り着くことができるので、確かに乗法公式は一見「不要」に思えるかも知れない。しかしこの後因数分解を学ぶと乗法公式が身に付いていないと解けない問題も出てくるのだ。乗法公式は「計算を3秒早くするだけの公式」ではないのだよ。

 

後で必要に迫られる頃には、更に身に付けなくてはいけないことが出てくる。そこでやろうとすると苦労するので、今のうちに完璧にしておいたほうがいい。後悔先に立たず、乗法公式「あとで」じゃ間に合わず。


新しい道具・新しい気持ち

新学期が始まったことだし、生徒たちには気持ちも新たに勉強に取り組んでいってもらいたいことだ。

 

新学期ということで、新しい道具を購入した子も結構いるみたいだね。文房具、リュック、自転車などを新調したという話を聞いた。新しい道具は気分もアガる。

 

勉強へのモチベーションを上げていきたいという子は文房具を買うのがおススメだ。筆記用具にはこだわりを持ってもらいたい。あんまりにも使いにくいものを使っていると学力にも悪い影響が出ちゃうので、そこそこ使いやすく、自分の気に入るものを見つけよう。

 

私が中学生の時は、シャーペンは振ると芯が出るタイプのものが出始めでそれを使っていた。持つ部分がラバーになっているちょっと太めの、先の方に重心があるやつ。

 

実はこれ、気に入って使っているわけではなかった。なんたってデザインはラバーの部分が白で本体が青の、いかにも「事務用品です」といった感じで全然オシャレじゃなかった。ではなぜ使っていたかというと、「それじゃないと英語の授業についていけない」という理由からだった。芯を出すのにわざわざ持ち直してカチカチなんてしていると黒板を消されてしまう。振るだけで芯が出るので、同じ態勢で文字を書き続けるにはうってつけだった。今思うと、友達もみんな同じタイプのシャーペンを使ってたなぁ。

 

今はカチカチしなくても芯が少しずつ出続けるものとかもあってうらやましい。ずっと書き続けられるようになったんだね。


北辰テストの申込み

北辰テストの申込締め切り日になったので、申込者を取りまとめて申込をしてきた。テストの1週間前くらいになると受験票が届くことになる。

 

新中学3年生の第1回は受験勉強のスタートを切るのにとても大切なイベントだと思う。これを機に勉強をスタートさせる子もいるからね。是非「中学3年生」ではなく、「高校受験生」としての行動に期待したい。

 

北辰テストの申込についてなんだけれど申込は郵送だ。毎回切手を貼って北辰図書宛てに送ることになる。

 

「本当に送ったんでしょうね?」

 

と、昔保護者の方に疑われたことがあったのだが、そんなに信用無いのかとちょっとショックだった。大丈夫。ちゃんと送ってますよ。

 

そうそう。昔働いていた塾で、全教室の北辰テストの取りまとめをしていた人が申込をしていなくて大変なことになったことがあった。数百人の生徒に受験票が届かなかった。そうならないように気を付けている。


入学式・新学期

今日は入学式・始業式だった。ご入学された方はおめでとうございます。

 

ちょうどこの辺りも桜が満開のようで、外を歩いていてとても良かった。もう散ってしまったと思っていたのだけれど、まだ咲く前だったみたいだ。雨や強風の日が結構あったけれど、自然のたくましさを感じる。数日間はこの華やかな風景を楽しめそうで嬉しい。入学式・新学期を祝福してくれているようだ。


男の子に「できないこと」を指摘しても

男の子のお子さんを持つ保護者の方に言いたい。

 

「男の子は『できないこと』を指摘しても、できるようにはならない」

 

男の子は小さくても男なので、プライドがある。それがたとえ傍から見て小さくつまらないものだったとしてもね。

 

だから「できないこと」を指摘されるとそのプライドが傷つく。そして発奮してやるようになればいいのだけれど、たいていの男の子はナイーブなので、そこでいじけるのだ。

 

「うるさいなぁもう!」

 

「ほっといてくれよ!」

 

そこで親子バトルが勃発する。攻撃的な言葉は、自分の小さく、ちっぽけなプライドを守るための防衛本能なのだ。男の子はできないことを指摘してもできるようにはならない。

 

もし、「できるようになってほしい」と思ってそうしているのなら、その作戦はすぐに変更したほうがいいだろう。ナイーブなくせにプライドばかり高い「元」男の子の意見でした。


効果的なノートまとめの方法

以前の投稿に「習熟は知識をコンパクトにする作業だ」的なことを書いたのだけれど、そういう意味では「ノートまとめ」にも効果的な方法がある。

 

「ノートまとめ」というと、テスト前に生徒がやる無駄な作業のひとつのような扱いを受けているけれど、これもやりようだと思う。もちろんただ教科書を開いて重要用語をノートに抜き出しているだけみたいなのは無駄な作業なのでやめたほうがいい。

 

効果的なノートまとめは、「出力の練習」という考え方が大切だ。はじめは教科書を見てもいいのでまとめノートを作る。そうしたらそれを自分で何も見ないで再現できるようにしていくのだ。再現しては確認をするを繰り返す。その際教科書などで新しい知識をつけ足していく。そのうち完全に身に付いたと思えるものや省略できるものは省いて「コンパクト」にしていく。そうすればスピードも上がる。繰り返しノートまとめを行うことによって知識を体系立てて身に付けることができる。

 

「自分が勉強した気」になるだけのノートまとめとは根本的に違うので、これをノートまとめと言っていいのかは分からないけれど、私の中学生の時にやっていた勉強のひとつだ。時間はかかるのでテスト前にやるのはおススメしないけれど、それなりに効果はあるので書くのが好きな子は試してみてほしい。


「ウチの子に合った勉強法」

「うちの子に合った勉強法」

 

をお探しの保護者のみなさま。残念ですが、おそらくそれは見つかりません...。

 

勉強とは知識や技術を身に付けるためのトレーニングだ。つまり、「負荷をかけて力を伸ばす」ことに他ならない。「うちの子に合った」の内訳に、「負荷がかかることをさせる」という前提は含まれているだろうか。

 

筋トレに関して、「正しい」トレーニング法はあっても、「自分に合った」トレーニング法はないのと同じだ。ジムを使う時間帯やメニューを自分の都合に合わせてにカスタムすることはあっても、「今の自分の能力よりちょっとだけ上の負荷をかける」という筋トレの内容は変わらないはずだ。

 

勉強を「やっているのに効果が上がらない」というのは、負荷のかかる勉強ができていない、つまり正しい筋トレができていないのね。それなのに別のジムに行ってもおそらく何も変わらない。まずは正しいフォームを学び継続すること。その上で、そのトレーニングに楽しみを見出すことが大切だと思う。

 

だからはじめから「子供に合った」を探そうとしても、それはおそらく見つからない。


全開でいける?

来週から学校が始まる。みんな準備はできてるかな。

 

どんなものでもそうだけど、「ちゃんと構える」ことって大切だ。ちゃんと構えていないと見逃す、取り逃す。1学期は初めてのことだらけでみんなもフワフワとしている。そのフワフワに流されてしまっていると、大事なことを見逃してしまう。地に足を着けて、ちゃんと構えていること。特に3年生は1学期の成績が受験にとても重要なものになってくる。浮かれ気分で過ごしていると、それが自分の受験での実力になってしまう。

 

だからちゃんと構えていること。飛んで来た球はすぐに打ち返す。相手の隙が見えたらすぐに竹刀を打ち込む。相手の虚をついてスペースに走り込む。チャンスをつかむ人ってのはそうやっているはずだ。勉強でも同じ。他の人がまだエンジンかかっていないうちにトップスピードで自分の地位を確立してしまおう。


家庭科の課題を手伝ったよ

高校生の春休みの課題の中に、家庭科から出ているものがあった。ざっくりとした内容は、家庭科に関するニュース記事を取り上げて自分の感想を書くというもの。

 

これ、なかなかいい課題だなぁ。学校の先生がどんなことを考えて出されたのかは私には知る由もないけれど、「自分の感想を書く」というのはクリティカルシンキングを鍛えるのにはいいトレーニングだ。ものごとを批判的に捉えてその問題解決について深く考える力は必要だものね。

 

生徒が、私に質問をしてきたので一緒に考えて課題を作成してもらった。自分の考えを述べた後に、理由を添えること、改善点を挙げてその方法を考えて書くことなどを指導した。家庭科というと受験科目ではないけれども、こうして生徒の力を伸ばす手助けになる課題はありがたいよね。

 

ちなみに家庭科でいうと、私は小学生の時のエプロン作りで先生に褒められたことがある。それが私の家庭科への成功体験。そこから伸びることは無かったけれども。


ちゃんと武装してから来い

他の塾からもくせい塾に転塾してきた子に、塾のシステムである「小テスト」に挑んでもらうと、たいてい不合格からはじまる。転塾の理由で多いのは成績不振だけれど、ここに全てが集約されていると言っても過言ではない。

 

「テストの準備はこのくらいで大丈夫だろう」

 

と生徒が思ってやってきたことは、たいがい「全然足りていない」のだ。これじゃあ学校のテストでも振るわないよね、ってレベル。

 

ちゃんとシステムとして用意している小テストでもそうだし、生徒個人と約束して決める個別のチェックなども準備不足から始まるのが通例だ。そんなとき私は生徒によくこう言っている。

 

「よくそんな丸腰で来られたね。ここは戦場だけれどそんな素っ裸で出てきて戦えるとでも思ったの?」

 

ふざけた言葉で包んでいるけれど、ちょっと厳しいかも知れない。これでハッと目が覚めた子は本気になる。ぬるま湯に浸っていた自分を恥じて自分のできる最善を尽くしてくれる。そういう子は目覚ましく変化していく。


習熟とはコンパクトにすることだ

テストで点が取れるようになるには知識がちゃんと身に付いていることが必要だ。

 

では、知識がちゃんと身に付いているってどういうことかなと考えると、「小さくたたんでしまってある状態」のことだと思う。

 

初めて習ったことは自分にとってまだまだ「大きな」知識だ。全部そのまま頭に入れようとしても大きすぎて入らない。入り切れてないから途中でこぼれて抜けていく。だから問題練習をしたり暗記したりして「すぐに使える」状態にしていく。これが知識を「小さくたたんでしまって」いく作業だ。問題を解いていくうちに、

 

「あ、ここはこう端折れるのね」

 

とか

 

「こういう構造なのか」

 

といったことが分かってくる。そうするとその知識をどういう風に折っていけるかが分かる。そうして小さく小さく圧縮して頭の中に収めることができれば、テストの時などにすぐに出して広げることができる。ならったばかりのものはたいてい自分の引き出しには「大きすぎる」。だから小さく折りたたむ作業が必要なのだ。


終わってないプリントを持ち帰るのは禁止です

授業では演習用にプリントを配布する。これをやらずに持ち帰ってしまう子がいる。

 

授業で出すプリントは授業用であって、別に宿題になるわけでは無い。授業内で終わらなかったものは、次の授業や自習時にやってもらうようにしている。それで採点・直しも含めて全部終わったら「持ち帰っていいよ」、というルール。

 

だから、終わる前に持ち帰られてしまうとちょっと困る。まだ終わっていないのに、そのプリントは「終わったこと」にされてしまうからだ。ひとりひとり状況を見てどんな問題が適切かを考えて出しているので、中途半端に先に進まれてしまうと意味がない。結構いるんだよね、終わってないのに持ち帰っちゃう子。そしてこれ、同じ子が繰り返す。何度かお願いしているんだけどね。家でやって持って来てくれるのならばいいのだけれど、そういう子に限って「なかったこと」になっちゃうのよ。

 

プリントは、全部解き終わるまでは私の指導下なのでまだ「私のもの」。全部終わったらはじめて「君のもの」。プリントはちゃんと終わらせてから持ち帰りましょうという話。


スタート!でもあせらずじっくり

新入塾生の授業をした。

 

もくせい塾の授業時間は中高生の場合2時間だ(1時間コースもあるけれど)。学校の2倍以上、おそらく他の塾よりも長い。だからはじめのうちは大変だと思う。入塾してしばらくは、どんなに「勉強してます」って子も最後まで集中が続かない。しかし続けていくと、これが「短く」感じるようになるんだなぁ。勉強体力が付くってことだね。

 

授業では、少しだけ教えて問題演習と解説。常に走っている状態だけれど、あまりあれもこれも詰め込み過ぎないように気を付ける。一度に全部はできるようにはならないからね。

 

昔、先輩塾長が「1日1個何かやれば、1年で360個のことができる」とおっしゃっていた。生徒指導の現場に長く身を置いている方の意見だなぁと思う。一朝一夕にできる勉強なんてない。コツコツ、じっくりやっていくことが大切なのだ。


自習室に人が増えてきた

自習室に来て勉強する子が増えてきた。良いね。

 

塾を立ち上げた当初、もくせい塾に自習室は無かった。その頃の私の中で自習室とは、

 

「使う人の少ないデッドスペース」

 

でしかないと思っていたからだ。

 

それまでに働いてきた塾は、自習室は無いか、あっても受験生以外は来ることのないものだった(受験生は来るのが当たり前だと思ってた)。講師が協力して生徒に呼びかけ、ちょぼちょぼ来る子が出てくるくらいのものだった。(それも呼び込みをやめるとすぐになくなっちゃう)だからもくせい塾では、「授業だけで成績を伸ばそう」と思っていた。今考えると無謀なことをしようとしていたよね。

 

じゃあなぜ自習室を作るようになったのか、それは「生徒に望まれたから」だ。はじめにもくせい塾に集まってくれた子たちが

 

「先生、塾で自習させてください」

 

と言ってきたのがはじまりだった。そこで自習室が生まれた。自習室と言っても、授業で使っていない座席はそのまま残って使っていてもいいよくらいの簡単なものだったけれど。

 

その時はまさか、その後もくせい塾が教室内で自習スペースの最も広い、「自習ありき」の塾になるなんて思いもしなかった。たしかに今でも自習に来ない子は来ない。でも有効に使ってくれる子もかなりいるんだなということは、自習室を作らなければ分からなかっただろう。何がキッカケになるか分かったものではないのがこれまた面白い。

 


散歩がてら

今週の日曜あたりが花見シーズンなのかな。この辺りもちょうど桜が満開の時期だそうで、私も少し散歩がてら桜を見てきた。

 

生憎の曇り空だったのと、先日雨が降ってしまったのでだいぶ散ってしまっていたけれど、まだ綺麗に咲いていた。春だなぁ。


漢字を学ぼう

新中学1年生の国語は、漢字の学習から始めている。

 

漢字の部首名や画数、熟語の構成などの復習問題から一緒に解いているけれど、忘れてしまっている子が多いね。忘れてしまっているというよりは、漢字に対する経験値の低さかも知れない。きっと小学校でもあまり時間が取れないところだったのだろう。

 

中学生になると漢字は定期テストにも出題されるので覚えていかねばならないのだが、これをただの「暗記モノ」として扱うと面白みがない。やはり部首や熟語の構成などを知ることによって、ひとつの文字に含まれる情報量の多さに触れ、その面白さに気付けるはずだ。

 

例えば今、自分で「オリジナルの漢字」を作ってみるとする。例えば「あなかんむり」に「機械」の「機」で「ドローン」とか。多くの人がいくつか意味のあるものを組み合わせたりして何かを表現しようとするのではないだろうか。「魚」に「弱い」で「鰯」のように、部首そのものにも意味があるし、それに更に説明が加わってできている漢字は多い。他にも自然物の形を文字にしたものや、何かを示す記号が文字になったものもある。

 

 

このように漢字の成り立ちには意味がある。今の人がやろうとするように、昔の人も漢字を作るときにその中に膨大な意味を込めた。そんな、たった一文字の中に詰まった情報を紐解こうとすると、漢字の学習はずっと楽しくなる。


ミスが減った。これはいい兆候だ

新中2の子が数学の小テストで満点を取った。

 

幸先のよいスタートだ。素晴らしい!計算問題中心の内容構成だけれど、ミスせず全部解き切るのは簡単ではない。この子はケアレスなミスが多く、「なんでやねん!」とツッコミをいれたくなる場面もよくある。

 

しかし、今回は準備もしっかりしてノーミスクリア。難しいことができるようになるのもレベルアップだけれど、ミスが減るのもレベルアップだ。これは新学期が始まってからの期待が高まっちゃうよね。


どんなに恵まれていても、ね。

さきほどの話で思うのは、

 

「大学付属校に行っても勉強はしといたほうがいい」

 

ということだよね。もちろん付属に行くってのは、受験勉強の負担を減らして他の活動に時間を割けるメリットを受けるためってのもあるだろうけれど、それで全く勉強をしなくなっちゃうとさっきの話みたいなことも起こり得る。もちろん件の生徒は高校生になっても塾に通って勉強していたので難を逃れたけれど、付属校のパイプを完全にアテにしてしまっていた子もきっといただろうなと思う。

 

不測の事態に対応するには、自分の力が無ければできないものね。これは「指定校推薦枠」に期待して私立高校に入学する場合にも当てはまる。

 


「こんなこともあるのねぇ」というような昔話

昔、ある私立大学の付属高校に通っている生徒を見ていたときのこと。

 

3年生になりいよいよ進学を考える時期になった時に、保護者会で「系列大学の推薦は無くなった」と話があったと、保護者の方から聞いた。いや「付属」の意味とは一体。

 

なんでも付属高校の生徒の学力レベルが低すぎて、系列大学への推薦制度自体が無しになってしまったということらしい。へぇ、そんなこともあるんだね。これはもう、高校側の責任問題だと思うのだけれど、よく暴動が起きなかったよね。私立高校に通うのだってお金とか大変なのにね。

 

確かに話に聞く限り学校の授業は、それほどレベルの高いものでは無かったんだよね。それでも系列大学に上がれるのなら良いのかなと思っていた。実際はそんな道自体が無かったのだけれど。

 

かわいそうなのはその生徒自身だ。思い描いていた自分の進路が急に白紙になってしまった。結局そこから一生懸命勉強して他大学へ進学して行った。


人の変化ってすごいよね

元塾生と話をしていて、海外留学の話になった。

 

私に海外留学の経験は無いので話を聞いていくと、ポンポン話題が出てくる。寮なのにしばらく1人部屋になってしまい、せっかく来たのに話すチャンスが無いのは嫌だったから3人部屋に変えてもらったとか。海外から帰って来たら、少し自分の気持ちに余裕ができたとか。

 

「あー、なんか電車で席とか譲っちゃうよね」

 

と私が言うと、「そうですそうです」と帰ってくる。私はたかが海外「旅行」に行った後の気持ちを話しただけなのだが、それにも同意してくれる。

 

人間的にかなりタフになったなと感じる。生徒だったときの頼りなさはもうない。時間の流れなのか、経験値なのか。すごいなと思う。


リスニングだって怖くない

春休みに入り、早い時間から勉強しに来る中学生が出て来た。部活動の合間に来てるんだね。立派だ。

 

これから3年生になる子はリスニングの勉強を始めている。自分の苦手なところを北辰テストの結果から判断して補っていこうとしている。しっかり受験勉強のスタートを切れてるね。

 

リスニングは耳を慣らすことと単語の力を身に付けることからはじめると良い。英語のイントネーションを聞き取れるようになったら、その内容が分かるようにするのだ。単語が分からないと内容も分からない。それができたらシャドーイングで後に続いて読む練習をしていけばどんどん聞けるようになる。

 

もくせい塾にはリスニング用の教材もバッチリ準備されている。授業ではなかなかリスニングの指導ってできないものだけれど、自習ではいくらでもできるのでどんどん活用してほしい。


どんな動機であれ、前向きなほうが楽しいよね

大人になってちょっと後悔しているのは、

 

「なぜ高校のテストを頑張らなかったのだろう」

 

ということ。はじめこそ良かったけれど、すぐにそのレースから降りちゃった。

 

これは、「もっと勉強しておけば云々」というお説教話ではない。あんなに均質な学力の生徒が集まった中で勝負できることって、もうないよなという後悔だ。別に成績とか進路とかは関係なく、もっとゲームとして楽しめば良かった。

 

同じ部活動に学年トップ層の子がいたのだけれど、思えばその子はそんな感じだった。「あ、今回は2位だったよ」みたいな。自分の成績をゲームのランキングみたいに話してたっけ。

 

せっかく自分に関わることなんだし、自分の行動でいろいろ変化のあることなんだから、そういう楽しみ方もできたよな。学生の内は1日の半分が勉強する環境にいるのだから、授業をただやり過ごすのは時間の無駄だと今なら思う。せっかくなら勉強で思いっきり「遊んで」おけば良かった。動機はどうであれ、前向きに取り組んだほうがネガティブな時間を過ごすよりも自分にとっては得だよね。


4月。もう「あつい」

4月だ。

 

まだ春休み中だけれど、ここからまた1年が始まると思うと気が引き締まる。新学年に向けて生徒の入れ替わりや授業日程の変更等があり、すこし落ち着かない時期だけれど学びは止まらない。

 

春休みはまだ1週間ある。ダラダラせず目標を持って過ごしてもらいたい。中3のある子はもう明確に受験を意識した勉強をはじめている。考えを変えれば行動が変わる。思いはエネルギーになる。もう熱を放ち始めたね。


埼玉県立高校入試の実施状況。学校選択問題採用校にチャレンジしたい子は

今年の埼玉県立高校入試の入学者選抜実施状況が出ている。

 

今回の入試の平均点は以下の通り。(が今年、右が去年のもの)

 

【学力検査問題】

国語 57.1 62.9

社会 64.1 52.9

数学 55.8 48.0

理科 58.2 52.5

英語 45.8 52.6

 

【学校選択問題】

数学 50.5 42.6

英語 56.7 58.3

 

学校選択問題の数学は去年と比べると簡単になったようだ。平均点が8点近く上がっているね。それでも平均が50点くらいだということに注目してほしい。

 

学校選択問題採用校22校はいわゆる上位校だ。受験生の学力も偏差値60台の子がほとんど。その子たちが受けた結果で平均点が50.5点の難易度ということだ。学校選択問題採用校を受験したいと思っている生徒は、それを踏まえて受験勉強していく必要がある。