小中学生はどんどん見習ってほしいよね。
高校生たちは立派だなぁ。振る舞いに風格があるね。
塾の授業では、それぞれに課題が設定されている。英単語帳や古文単語帳を暗記している子もいれば、歴史の1問1答をやっている子や読解問題集をやっている子もいる。
だいたい毎回「これくらい」という量の設定もあるんだけれど、定期テスト期間などはテスト勉強の状況なども見て、一旦停止したりもする。でもその遅れた分を定期テスト終了後の授業などで取り戻してくる子が結構いる。その分多くやってくるのだ。
こういうことができるというのは、きちんと計画立てて進められている証拠だね。ちゃんと小学校や中学校の頃から、自分の勉強を自分で管理する練習を積んでいると、高校でしっかり結果を出せる子になっていく。私の目から見ても、ほんとスーパーマンたちだ。
「暗記が下手っぴ~」って言う子もいるんだよね。
生徒に暗唱をさせるときに言ったことがある。
「何度も繰り返し唱えるのは、『スラスラ言えるように練習する』ためだよ」
暗唱や暗記をするときは何度もその語句を繰り返し唱えたり書いたりするけれど、それが効果的にはたらいていない子というのがいる。繰り返すこと自体が目的になってしまっているような状態だ。
意識が「ポワワ~ン」と飽和していて、1回1回が疎かになっている。まるで工場での単純作業のように無意識に手(口)だけを動かしている。その子の集中力の問題なのかも知れないが、暗記作業としては効果的ではない。
だから「繰り返すのは覚えた『後』の作業で、反復している時はもう覚えている状態じゃなくちゃダメなんだよ」と伝えた。この感覚、伝わるかなー。暗記したらその後にチェックをするのだけれど、チェックをしてはじめて自分が「覚えられていない」と気づくのは間違っている。正しく暗記作業をしていれば、「ちゃんと覚えられている」という実感があるはずだからね。
時間を上手に使えてるね。
今週は学総週間なんだけれど、雨の影響を受けている部活もあるみたいだ。延期が続いていると生徒から聞いた。次はちゃんと開催されるといいね。
ところで延期がある部活動がある中、学校の授業は3時間授業は変わらない。それを上手に使っている子もいる。早く学校が終わった分早く塾に来て勉強している。こういう風に臨機応変に対応できる子は強い。たぶん大会が延期になった日を休みにしてしまう子も結構いるんじゃないか。
そんな中、塾でコツコツと学校のワークを進めている生徒がいる。こういう所で差が開いていく。こういう子を文武両道というのだろう。
返答にもっと気を付けないと。
最近、「失敗したなぁ」と思ったこと。
小テストで不合格し、再テストを受けることになった生徒からこう聞かれた。
「再テストと予習の為に今週は『2日間』自習に来なくちゃいけませんか」
私はこう答えてしまった。
「1日でできればそれでも別にかまわないよ」
あー失敗。こう答えておけば良かった。
「自習なんだから来なくちゃいけない日にちは特に決まってないよ。だからもっとたくさん勉強しにおいでよ」
当然学力は勉強の量をこなすほどに伸びる。ましてやその子は小テストで不合格だった。もっとやってしかるべきなのだ。そもそも勉強は罰やノルマじゃないのに、上の答え方ではその印象を与えかねない。生徒の質問の内容からそれを感じ取って合わせてしまった。
「勉強はどのくらいやればいいのですか」
という質問には
「好きなだけやっていいんだよ。まずは自分の限界までやってごらん」
と答えていいのだ。
ここは意識。
勉強において「スピード」は武器だ。作業の早い子はそれだけで他の子よりも抜きん出ることができる。
テストは時間制限がある。それを時間を余らせて終わる子は見直しにも時間が割けるし、普段の勉強でも同じ時間で他の子よりも多くの作業をこなすことができる。極端な話、普通の人の1.5倍早ければ、他の人が1日を24時間としている中、36時間分動けるわけだ。
逆に、スピードが遅いというのは大変不利だということも言える。他の子の半分のスピードならば、1日が12時間になってしまう(極端な話ね)。ゆえに同じ時間勉強しても身に付く量は少なくなるし、テスト時間内に解き切れなければその分失点する。
スピードにもいろいろあると思うけれど、問題を解く速さや字を書く速さは能力の部分なのですぐには伸びにくい。だから「作業に取り掛かるまでの早さ」をまずは早くするべきだ。これは能力ではなく意識の部分なので気を付ければすぐできる。
スピードの遅い子はだいたい、作業の取り掛かるまでに時間をたっぷりと使う。授業で私が「これ解いてね」と渡したプリントを自分の座席に持ち帰るまでに10秒くらいかかる。それからゆっくりと着席し、なぜか机の上の消しゴムカスをまとめ始める。そして使わなくなった荷物をカバンにしまい、シャーペンを持ったらカチカチと芯を何度か出したり引っ込めたりし、やっと自分のお気に入りの長さに芯を調節できたようで、いよいよ始めるかなと思ったら虚空を見つめだす…。
この間に速い子ならばプリント1枚くらいは終わっている。この差なのだ。
先手必勝!
中学生の期末テスト1ヵ月前を切った。まだテスト範囲表は出されていないけれど、生徒たちにはそろそろ学校のワークを進めていくように伝えている。今までに進んだところは確実にテスト範囲になるからね。
早い子はもう予想範囲まで5科目のワーク1周目が終わりそうだ。かなりいいペースだと思う。塾の授業で予想されるテスト範囲まで終わっている子たちは、ロケットスタートをかましてくれている。いいカンジ。
計画的な勉強は後手に回ると苦しくなる。とりあえず終わらせないといけない作業に時間を取られたりして、テストの点数を伸ばす勉強に手が回らなくなる。だから作業系はできるだけ早目に片付けておくべきだ。そこからどうやって点数を伸ばすのか、じっくり試行錯誤していける。
テスト勉強がスタートしている子もまだの子も、これからどんどん自習に来る回数を増やしていってほしい。教室に張り紙もあるけれど、テスト2週間前からは毎日来よう。それが本気の姿勢ってもんだぜ。
今週は学校の授業は進まない。この期間に復習をしよう。
今週は学総があるので、中学校は3時間授業のようだ。朝、どこかの会場に向かう運動部っぽい集団とすれ違った。お昼くらいに文化部の子たちかな、帰宅中の中学生の集団の声も聞こえていた。
中学生にとって、部活動はかなり大きな位置を占めるものだと思う。ましてや大会ともなると、ずっと思い出にも残るだろう。実力とか結果とか、そういうのは関係なくね。どうせやるなら、一生懸命やったほうが楽しい。だから悔いの残らないように頑張ってほしいなと思う。
簡素なのが好き。
昔勤めていた塾の教室は、入り口から入って職員室の奥に生徒の自習室があった。
生徒が自習するには、休憩している講師たちの合間を縫って奥に行かなくてはならない。生徒としてはちょっと使いづらいし、講師も気が休まらないかも知れなかった。
そんなわけでもくせい塾では教室のレイアウトをするときに導線を結構考えた。テーマは
「全てのスペースが稼働していること」
そもそも狭い教室なのでデッドスペースなんてもったいないことはできないのだけれどね。自習スペースから本棚や動画ブースまでに障壁が無いように物をあまり置かない。自由に行き来できるようにしておきたい。例えるならば、生徒が血液で教室が体内だ。隅々まで生徒が行き来できないと学力という健康状態は良くならない。一度着席したらそのまま固まってしまう子よりも、途中で調べものの為に本棚まで歩いたりする子のほうが成績は高いのだ。
おかげで生徒が本棚を利用する頻度はそこそこ高く保てている。勉強において、「分からないこと」をそのままにするのは危険だ。すぐに調べられる環境は大切にしたい。小学生でも辞書をガンガン使う。今のところこのレイアウトを変える必要性はないようだ。
ただ、最近増設した空気清浄機が自習用の席近くに鎮座してしまったので、そこが微妙に狭く感じる。最近その座席を使う子がいない、どうするかなぁ。こうしてデッドスペース潰しの試行錯誤は続く。
これも個性ってやつかな。
生徒と話していてびっくりすること。
中2の国語は今、学校で「枕草子」をやっている。近々冒頭部分の暗唱テストがあるそうだ。それで私が
「春夏秋冬全部言える?」
と聞くと、
「いや、春は絶対できないといけないんですけど、夏秋冬は言える人だけでいいって」
と返ってきた。だから春の部分だけを練習してあとはやらないつもりだったとのこと。春の部分はきちんと言える。
他の生徒と話していて、
「学校の授業で発言とかしてる?」
と聞くと、
「さされても、全部『わかりません』って言います。分かるものは答えますけど」
とのこと。
全員がこうじゃないのは分かってはいるのだが、なんというか「欲が無い」感じがする。「もっとできるようになって『人から認められたい』って思う欲」のようなものが見えない。承認欲求のようなものは感じられるんだけど、そのためにあがきはしないというか、あっさりしている。自分の時はどうだったっけと思うと、もっと背伸びしたり欲望むき出しだった気がする。それを見せないようにするのが上手なだけなのか。欲望むき出しっていうとなんか下品っぽいし、自分もバブル時代の「金!!」みたいなものには少し忌避感があるからそういうことなのかな。
「だからイカン!」とか言う話ではなくて、どういう風にして自分を満たしているのか不思議に感じることがある。
活気があるのは楽しい。
昨日は上野~秋葉原あたりをブラブラしてきだ。このあたりも久々。
歩いているときにお神輿とすれ違った。上野公園に法被をきた人が集まっていて「天神祭」の文字が見えたけれど、天神祭は10月だ。それに関連した行事だったのかな。活気を感じられて良かった。
その後秋葉原のほうまで歩いたけれど、秋葉原の駅前は人でごったがえしていた。昔のちょっと裏びれた雰囲気はもうほとんど無かったなぁ。駅前にバスケットコートがあって、ラジオデパートのコンデンサがずらっと並んでいるお店とかね。今でも探せばあるんだろうけれど、今は食べ物屋さんが増えたような気がする。海外から来たであろう人も多かった。
考えを言葉で言えるかな。
よく「言語化できると悩みは消える」と言われる。確かに言葉で説明できるようなことは解決策も明らかになるしね。言語化のできていない、何となくモヤモヤっとしたものを抱えている状態は苦しい。
勉強も似たようなもので、自分が今何をするべきかを言葉で表せる子はどんどん進む。成績も上がりやすい。入塾したてでまだ勉強のペースが掴めていない子に
「成績を上げるにはどうしたらいいと思う?」
と質問することがある。多くの子は「勉強する」とだけ答えるのだが、中には「ワークを3周解く」や「単語を覚えてー、ワークの問題を解いたらー…」と、具体的な勉強内容を答えられる子もいる。そういう子は割と早目に成績が伸びていく。
自分の考えを言葉で表現できるようになるには、自分で考える時間が必要だ。指導の場でもその時間をできるだけ多く作っていきたい。
鉢の植え替えをしていて思ったこと。
植物の鉢の植え替えをしていて、んとなく指導に通ずるものがあると思った。
鉢の植え替えは植物の為には必要な作業だ。そのままにしておくとやがて土の養分を吸い尽くしてしまったり、窮屈で根腐れを起こしてしまったりで枯れてしまう。しかし今は順調に育っているように見えるので、それをわざわざ掘り起こして別の鉢に移動させるのは、失敗する心配もつきまとう。
生徒を指導するときに、「どこまで踏み込むか」で躊躇することがある。勉強で明らかに間違ったやり方をしていたら訂正するけれど、「悪くはないんだけどなー」「ちょっと効率的じゃないなー」というくらいの微妙な方法をとっていたりする時だ。その時にそこまで訂正させるかどうか迷う。
塾講師がよく言う「ゼロから教えるほうがラク」というのはたぶんこの部分で、変な癖がついていないぶん自分の知っている最良の方法を仕込めるからだろう。我流を崩すのは骨の折れることだ。私も経験が浅いうちはそこまで踏み込むことができなかった。生徒のやり方を否定し自分を押し付けることになるので反発も怖い。「まあできているし、いっか」となあなあにしてしまうこともあった。
でも自分の知っている最良を満たしていないならば、それは訂正するべきなのだと今は思う。それをせずに付き合っていた子の多くは学力の伸びも限定的で、その原因として考えられることには、私の「まいっか」な部分があった。言葉は悪いけれど、鉢を植え替えずに育てようとした子たちは根腐れを起こしてしまったのだ。
塾講師として気付いた、生徒の学習の違和感は「植え替え」のサインだ。「大丈夫、必ず根付かせてみせる」という思いで掘り起こす。
うまくいくといいなー。
教室内にある観葉植物の鉢の植え替えをした。もういい加減窮屈になっていたからね。
植物は好きなのだが、こういう作業をちゃんとやったのは実は初めてだ。今までもなんとなく「やらなきゃなー」と思いつつそのままにしてしまっていた。「失敗して枯らせたらどうしよう」と心配だったのだ。何もしなくても、結局枯らせてしまうのだけれども。
今回はガジュマルの植え替えと、多肉植物の鉢分けも行った。これもなかなかに勇気のいる作業だった。「葉をむしったり茎を切ったりして大丈夫?」と。
ひととおり作業を終えて、後はきちんと根付くのを待つだけだ。これがうまくいったら植物を増やしていきたい。
天気がもって良かった。
明日は近隣の小学校の運動会が行われる。生徒たちに何の種目に出るのかを聞いたらいろいろな答えが返ってきて面白かった。今の小学校では「踊り」ではなく「ダンス」なんだね。組体操はもう完全にないのは少し寂しいというか、時代だなぁ。
そういえば今日、遠足に行っている高校生もいる。ディズニーランドに行くそうだ。なんとなく気になって「遠足」を調べてみたら「学校で郊外に出かける日帰り旅行」のことで「体を動かしたり、普段できない体験をすることが目的」だそうだ。ディズニーなら敷地も広いので歩き回り体も動かすだろう。また「特別な体験をする」場所ということも満たしているしここから舞浜までの距離感もちょうどいいのかもね。
どちらにも言えることだけれど、生徒の安全面に十分配慮したイベントになっているのがよく分かる。学校の先生も苦慮されているのだろう。生徒たちは梅雨前の屋外で良い思い出を作ってほしいと思う。
早い方がいいけれど、早すぎてもダメ。
期末テストまでもう少しで1ヵ月前だ。
そろそろ学校の先生から、期末テストの範囲になる場所がなんとなく知らされたりしているようだ。聞くところでは、だいたい終わっている子が多いので、1ヵ月前を切ったらすぐに対策に入っていけそうだね。
「習った直後はできるんだけど、テストの点数に結び付かない」
という子の親御さんがたまに相談にくる。そういう子は「テストと日常学習が結び付いていない」ことが原因だ。
習ったことをテストで発揮する。これを頭に入れて勉強している子は強い。テストまで知識を抱えていこうとするからだ。しかし上記のような子は習った後、それこそ塾の帰りにはもうその知識を「置いて帰って」しまう。だからテストの時には頭の中に残っていない。日常学習がテストと結びついていないというのはこういうことだ。
「忘れないように復習しなさい」というのは正しい勉強法だけれど、この意識が無い限り復習してもすぐに抜けてしまう。もくせい塾の生徒でも結構いる。だから早目にテスト範囲までの指導を終わらせて、テスト1ヵ月前には「1から」勉強をし直す。ここで「あれ?思ったよりできていない」ということをはじめて実感する子もいるだろう。そういう子でも十分に対策できる時間、それがテスト1ヵ月前スタートなのだ。
自習について思うこと。
自習というものは、読んで字のごとく「自分」で「習う」だ。しかし、
「自分の裁量・判断で勉強すること」
という捉え方をしてしまうと、
「やらない、ゼロ」
という選択肢もできてしまう。と、いうよりそんな子って結構多いと思う。当然これでは学力は伸びない。だからもくせい塾では自習でやらなくてはいけないことを与え、自習してもらうことを面談でお願いする。言葉はあまりよくないけれど、まあ強制だね。
そう考えると、授業と自習「室」は提供しますよという塾に比べて生徒の負担は大きい。もしかしたら「宿題が多い」なんていうのよりもずっとキツイかも知れない。宿題は自分の裁量でできてしまう。「スマホをいじりながら」など、まだまだ逃げ道があるのだ。その点自習室に来ての自習には逃げ道がない。慣れるまでは大変だろう。
でも考えてみてほしい。もし自分の子が、時間は十分にあるのに家で寝っ転がってスマホをいじっているだけだったらとしたら。たまに動いたかと思えば、テレビをつけて眺めている。そしてまたスマホ。それでいて、
「ごはんまだー?魚は嫌なんだけどー」
なんて言ってきたり。私が食事の準備をするお母さんだったら発狂する。きっと小骨だらけの魚を毎日出す。
「塾に来て勉強しなさい」はそういう無為な時間を少しでも有効に活用できるようなシステムであり、「子供のダラダラを見続ける」という苦行をなさっている保護者様への福音だと思うのだが。
いろいろな子の話を聞きたいのだ。
もくせい塾の所在地は越谷駅と新越谷駅の中間地点。とはいっても駅からは少し距離がある。最寄りの学校は富士中なので、富士中生が多く通っている。
しかし最近は西中生も増えてきた。前は武蔵野中や中央中の生徒もいた。小学生は南越谷小と出羽小と宮本小、高校生はいろいろな学校の子がいる。私立中の子や学校に通っていない子もいた。
いろいろな子がいるのは嬉しい。ひとつの学校の生徒に絞って「〇〇専門塾」というのもいいけれど、生徒の多様性があると指導の幅も広がるね。「この生徒にはこれをやってみよう」とひとりひとり考えるのが楽しい。
手を動かす。
もくせい塾では「暗算」は指導していない。小学生でも間違えた問題は途中式を一緒に書かせて解き直しをするし、中学生には明確に「暗算禁止」と伝えている。
「もしそれでも暗算がしたいのならば、先生に計算勝負を挑んで勝ってくれたらいいよ」
と。過去に勝負を挑んでいないのに暗算をしていた(闇暗算カジノに入り浸っていた)子たちは、ことごとく私に「ボコボコ」にされている。今の私程度に暗算で負けるようなら、まだ暗算はしてはいけない。
高校生はある程度暗算ができないとテストなどの時間内に間に合わないので特に禁止はしていないが、高校生でも小中の頃からきちんと計算練習をしていない子はミスが頻発する。暗算の力は暗算をすることで伸びるわけではなく、きちんと途中の流れを理解していないとできない。小中学生の頃にきちんと途中式を書いて計算練習をすることは後の暗算力の為にも大切なのだ。
小中学生までで暗算をしたがる子は「途中式を書くことを面倒くさがっている」と捉えている。そしてそういう子に数学ができる子はいない。数学は論を追う科目だからだ。計算の途中式は論理の展開だ。そこを面倒臭がっている子は「数学」をしていない。
Wikipediaより。ツツジは「躑躅」と書く。「躑」も「躅」も、「立ち止まる・たたずむ」という意味で、「見る人が立ち止まるほど美しい」という意味からその名が付いたそうだ。
昨日の帰りにふと見たら、沿道の植え込みのツツジが満開だった。ツツジの花ってこの時期か。花と言えば桜やヒマワリなどに目が行きがちだけど、赤い花がブワッっと咲いていて壮観だった。
ツツジの思い出。私は小学生の時に友達と2人で「いろいろな植物を食べてみる」ことにハマっていた。ちょっとした度胸試しのようなものでもあったし、「どんな味がするんだろう」という知的好奇心もあった。今考えると完全にバカだ。不衛生だし、体に良くないものもあっただろうに。
狩猟採集民族のご先祖様の血がそうさせたのだろう。いろいろなものを口にした。タンポポの茎から出る白い汁は苦かったし、パチンコ玉くらいの謎の赤い実は渋かった。「美味い!」となるものはほとんど無かった。そりゃそうだよね、美味しいものならばもうとっくにスーパーに並んでいる。
そんななか、「ツツジの花の蜜」は別格だった。花を摘んで、根本の方から吸うと甘い蜜が出てくる。美味い。なんだこれは。私は春の蝶々のようにその味の虜になった。夢中で花をむしっては蜜を吸う。甘い。美味い。
気が付くと、植え込みの花は全て無くなっていた。沿道のひと区画全部いっていた。先ほどまで綺麗に咲き誇っていたツツジの植え込みは、一瞬にしてその満開の時期を人為的に終えた。私は蝶々なんかではなく、「サバクトビバッタ」だったのだ。私の通った後には何も残らなかった。それに気づいてはじめて「自分はなんてことをしてしまったんだ!」と思った。私は事の重大さに恐ろしくなり、その場から走って逃げた。
後で知ったことだが、ツツジの花の蜜にはグラヤノトキシンとう毒が含まれている。症状は嘔吐、痙攣、下痢など。児童が中毒を起こすこともあるそうだ。私は何ともなかった。それまでに食べていたいろいろな植物が体を丈夫にしていたのかも知れない。が、ツツジの蜜がスーパーに並ばない理由は分かった。
結局その後何事もなく過ごしてきたが、その時の懺悔の気持ちだけは残った。毎年ツツジを見ると、今でもその気持ちが心に刺さったトゲのようにチクリとする。ツツジの毒は私にもちゃんと効いている。
中2のS君が中間テストで学年5位。すごいですね~。
自己最高記録を更新し、今ノリに乗ってるね。よく頑張った!
何かを習慣化するのも技術だ。
学生にとって勉強は本分、やらなくてはならないものだ。でも、それは分かっていてもなかなか実行に移せないという人は多い。私もそうだった。
そんな人は「まず何をやるか」と考えるより先に勉強をしてしまうことをおススメする。
「勉強しなくちゃなー」
と、常日頃思ってはいるけれど行動できない人は、そうやってウダウダと考えることで、勉強そのものを先延ばしにしようとしているのだ。だから、考えるよりも先に動くことを習慣に取り入れてしまえばいい。
具体的には、机の上に教科書やノートを「開いたまま」置いておくこと。「やる」となった時にすぐに着手できるようにしておく。そして「朝起きたら」「学校から帰ってきたら」「夕食の前に」など、自分がどのタイミングで机に座るのかを決めておく。これは絶対に守る必要がある。ただし、やる内容は軽めのものにしておく。「ちゃんと効果の出るもの」をやろうとするのはまだ早い。普段勉強ができていない人にとってのそれは「ベンチプレス160kg」のようなものでまだ重い。教科書の音読5分間のような「鉄アレイ2kg」くらいのものからにしておくべきだ。
やることを決めたらあとは21日間、必ず毎日続ける。21日間続くと習慣になるらしい。ポイントは、勉強のタイミングをできるだけ1日の早い時間に入れること。人が1日に活動できる量には限界がある。勉強を後回しにしてやりたいことを優先していると、それだけでエネルギー切れを起こし「今日はいいかな…」になってしまう。「今日はいいかな」と考えてしまった段階で負けだ。考える前に動け。
これができるようになってくると、今やっていることだけでは物足りなくなってくる。こうなれば自分に習慣化する力が備わったもの。あとはその力に身を任せていけばいい。
今日は来る途中に、学校帰りの高校生とすれ違った。もう衣替えも終えて、男の子たちは学ランやブレザーを着ていなかったけれど、今日は着ていてもいいくらい寒いよね。
中間テスト期間中だから、高校生の帰宅時間も早い。中学生よりも帰宅が早くなる。中学生はテスト期間でもなぜか集会などがあったりするが、高校生はテストだけだからね。
教室を開けるなり、テスト中の高校生たちが自習に来てさっそく勉強している。こうして、やるべき時にやるべきことをきちんとできる子が結果を残す。
自分の時はどうだったろうと思い出してみると、何かと理由を付けて先延ばしをしていた。「少し休憩」とか、「まだ時間あるし」とか。そうして早く帰れる日でも、勉強を始めるのは夜になってからだった。当然結果も残せていない。恥ずかしい限りだ。
ちゃんとやるべき時にやれる準備が日ごろからできていること。これが勉強で上位に入れる子の正体だ。この時間を有意義に使って更に差を広げていってほしい。
考え方ひとつ。
実は去年、8カ月くらいかかったけれど体重を20kgほど落としている。マスクしているからか、生徒に気付かれることは無かった(何人かの保護者の方には気づかれた)。
それはいいのだが、この時に一番変わったと自分で感じたのが「考え方」だった。
それまでの自分の思考回路が全部、体を太らせる方向へとつながるものだったと気づいた。「全ての道はデブへと通じる」だ。例えば食事。自分が好んで食べていた料理は「よりカロリーの高いもの」であった。また食事の量も「常にお腹が空かないように」と考えていたことに気付いた。そして普段の生活も「できるだけカロリーを消費しないように」だった。まるで狩猟に頼って暮らしていた原始時代の人類だ。
そう思ってからは簡単だった。このように、自分の思考回路を知っていくだけで体重が落ちて、持っている全ての服がオーバーサイズになった。減量期間中に辛いと感じることも全く無かった。
ここで、ダイエットと勉強には通ずるものがあると考える。どちらも習慣化しないと上手くいかないことや、そのためには「考え方」を変えることが必要だということだ。
日本では学歴が無くても暮らしていける。それだけ社会が発達しているからだ。だから「勉強しないと困る」という実感はなかなか持てないかも知れない。しかし無勉強でいるのは「原始時代の人と同じ」なのだ。そう思うことで文明人として「進化したい」と考えられれば、勉強にも取り組む意義が生まれるかも知れない。
ちなみに誤解があるといけないので言っておくが、私は太っている人にも勉強ができない人にも特に侮蔑の感情があるわけではない。自分もそうだという自覚はあるからね。あくまで私が自分自身に向けた考え方であるとして聞いてもらいたい。
どっちを選ぶ?
夜の7時くらいにゲリラ豪雨のような大雨になった。とりあえず生徒たちが帰る時間帯は雨がやんでいたので良かった。この後も雨の予報なので、タイミングを見計らって私も帰りたい。
英語の問題を解くときに、生徒が「教科書」を使って分からない単語を調べていた。分からない単語を調べるのは立派なのだけれど、教科書よりも辞書を使って調べて欲しいと思ったのでその指示を出した。
単語調べは教科書巻末ではなく辞書を引くべきだとする理由は、情報量の多さだ。調べた単語に関する情報も、その前後の単語に関する内容も辞書のほうが充実している。間にあるコラムなども読みごたえがあり勉強になる。確かに教科書のほうが楽に調べられるのだけれど、どうせ調べるのならば勉強になるほうがいい。
また、辞書を引くのが「面倒だ」と感じたならばその単語は覚えて今後辞書を引かなくてもいいようにしようとするはずだ。こういうちょっとした積み重ねが後々きいてくる。そこを楽してはいけない。自分のためになるほうを選んでほしい。
この時期はあるよねー。
ここ1週間くらい、少し体調を崩している生徒をチラホラ見かける。
やっぱり季節の変わり目だ。暑くなったり寒くなったり、天気もコロコロ変わったからなー。鼻をズルズルしている子が多いね。
んで、そういう子ほど頑張っちゃっている。休まず塾に来て自学しているし。立派なんだけど、無理はするなよー。テスト中の子もいるから何とも言えないんだけど、睡眠時間をしっかりと確保して万全を期すようにしてもらいたい。
中2S君が中間テストの英語で98点だ!
5科目の合計も470点超え。すごいですね~。前回悔しい思いをしてからのリベンジをはたしてくれた。よく頑張った!
メリハリが大切。
来週から中学生は学総が始まる。3年生にとっては最後の大会になるかも知れないので悔いを残さずやり切ってもらいたい。
さて、それが終わると期末テスト1ヵ月前を切っている。すぐにテスト勉強を始めなくてはならない。実はここ1週間くらいで、
「部活に持ってかれてるなー」
と感じる子もいる。何度やっても勉強したことをすぐに忘れてしまうのだ。きっと頭の中の勉強の優先順位が下がっているのだろう。こういう場合は仕方無い。メリハリが大切だ。学総が終わってから全力で頑張ってもらいたい。
散歩してきた。
昨日は少し用があって、北千住をブラブラとしてきた。
北千住と言えば、東京電機大学や足立学園高校がある駅だ。こうして学校の所在地で場所を記憶しているあたりは職業病だなぁ。行く先々で最寄りの高校や大学を調べてしまう。
実は電大のキャンパスが北千住にできてから北千住で降りたことが無かった。久々。ちょうど良い機会だったので周辺を軽く散策してきた。
駅からほど近くに近代的な校舎が立っている。校舎の周りは広場になっていて、そこで休憩している人も多くいた。電車ですぐなのでこの辺りからも通いやすいね。駅の周辺には商店街がいくつもある。居酒屋や焼き肉屋などの食べ物屋さんも多く、大学生生活を送るにはちょうど良い街の規模感だ。私の学生時代はキャンパス周りに何も無かったので、電大生が少しうらやましい。下町の情緒も残っていていい場所だ。
もうマスクは外していいんだよね?
高校生に聞いた。
「学校のマスク状況はどうなってるの?」
どうやら全体的に言うと「半々」のようだ。している人としていない人。先生はしていないほうがやや多いみたいだけど、生徒はまだ半分くらいが着用のようだ。男女でも違うらしい。男子のほうが外しがちみたい。これは何となく想像できるね。
もくせい塾の教室内ではまだほぼ100%がマスクをしているけれど、これから暑くなってきたら外して来る子もいると思う。体調を考慮して判断いただきたい。
私は高校生女子と同じ気持ちなので、まだなんとなくマスクはつけたままだがあまり気にしないでもらいたい。「盛れない日は素顔を隠したいんだな」と思ってくれればいい。
私も全科目を教えるようになったのは、大学生の時に塾長と2人だけの塾で働いていたからだ。
昔働いていた塾で、東大生の講師がこんなことを言っていた。
「文型の学生講師が『私文系だから』と言って理系科目の質問から逃げるのはダメだよな。理系の講師は文系科目の質問でも答えてるのにさ」
なるほど確かに、学生アルバイトの中には禁止されてはいても、自分が「文系大学に通っている」というのを生徒に公言してしまう方もいた。「だから数学の質問はしないでね」と。一応質問対応で困ったら私の所に持ってきてもらって、私が他の講師に振るか自分で答えることになっていた。このへんは組織力でカバーできた。
ここから言いたいことは、「だから文系大学生はダメなんだ」なんてことじゃなくて(文系講師でも技術力が高く素晴らしい人はたくさんいた)、「責任感の強さ」に関してだ。おそらくその東大生講師の方は責任感が強く、自分に対して厳しくいるのだろう。「だからこそ許せない」というところじゃないかな。質問を他の講師に振ることを「逃げ」というのはなかなかに手厳しい。が、その方の人を知ることができて、少し愉快だった。
中学生の英語で
「学校のテストでは80点以上は取れてるし順位もまあまあ。でも北辰テストではイマイチ」
のような子は「単語の力が弱い」という場合が結構ある気がする。実際に指導してみると、初見の問題演習で間違えたり答えられなかったりして、それが単語が分からないからというのが原因だったりする。
こういう子は定期テスト勉強は頑張っていて、学校のワークも何周か解いていたりする。でも単語の暗記などには手を付けておらず、教科書の単語はあいまいなままで進んでいたりする。
定期テストでは新出単語全てを答えさせることは無い。最近は単語の知識を問う問題自体が減っていることもあり、単語を知らなくてもある程度は「取れて」しまうのだ。だからワークを繰り返し解いている子などは点数が良い。でも模試では初見の文章が出題され、それは単語力なしには読み解くことができない。だから上記のような状態になる。
本当に英語の力を伸ばしたいのなら単語の暗記。これを疎かにすることはできない。
ここ数日暑い日が続いたけれど、雨が降ってひと段落というところかな。
これから梅雨がやってきて雨の日が多くなるけれど、この時期の自転車通勤は少し大変だ。少しでも楽にならないなかと思って雨具を新調したのだが、これが「当たり」だった。
それまでは上下セパレートのパーカーとズボンタイプのものを使っていたのだけれど、着脱が面倒な割には防御力が頼りなかった。ツバの部分が小さく、容赦無く雨が顔に降り注ぐ。目が開けられない。そしてどこからか雨が染み込み、なぜかズボンの前の部分がおもらし状態になる。リュックを背負ったままだとキツくて着ることができない。
そこで今回買ったのはポンチョタイプの雨合羽だ。自転車に乗ることを考えて設計されていて、前面の丈が長い。これで自転車の前カゴまですっぽりと覆うことができるので、カゴに荷物を入れていても濡れない。そしてすごいのが、ハンドルを握る手まで覆うので手も濡れないのだ。冬の雨の日に手袋をして自転車に乗っていた時は、手袋がグショグショになっていたがこれも解決だ。着脱も楽で、リュックを背負ったままでも着ることができる。
そして意外だったポイントは、「あまり蒸れない」こと。ポンチョタイプで下が開放されている上に、自転車に乗る時は前後に広げる。そこから風が入って来るので全く不快ではないのだ。これはこれからの時期ありがたい。「広がるので下半身は雨に打たれて濡れるかな?」と思ってふくらはぎまで覆う足用のレインカバーも買ったのだけれど、激しい雨じゃないならそれも不要だ。前の合羽の時なんか、替えの靴下が必須だった。顔を覆うバイザー部分は立体的な構造で、顔の前に空間ができる。視界もずっと良好になった。
自転車は傘さし運転が禁止されているので雨合羽一択なのだけれど、自転車用のものが売っていることを今回初めて知った。これを着て自転車に乗ると見た目がちょっと「人馬一体」みたいになるけれど、いい買い物をした。今年上半期のベストバイだと思う。
中学古文の勉強でやってほしいこと。
中2の国語は、そろそろ「枕草子」に入る子が出てきた。古文だね。
中学古文の学習は少しやりにくい。あくまで「解釈」の域を出ないからだ。高校生になったら文法や単語を覚えたりとやることもハッキリしてくるのだけど、中学生ではまだ導入の段階だ。
もくせい塾では、高校受験生に対しては古文の学習もガッチリと行っているけれど、その前段階の学習としてのアドバイスをしておきたい。
定期テストで出題された時の対応策として、「本文の暗唱」が効果を発揮する。現代仮名遣いの問題や、本文の穴埋めの問題などはこれでOKだ。また、現代語訳を本文と「文節ごと」に区切って対応させておくことも必須だ。まずは現代語訳を文節ごとに区切って見ながら、本文を言えるように。それができたら今度は本文から訳を。これで単語の意味と現代語訳が頭に入る。それができたら今度は教科書を隅々まで読み込んで、作品の知識を仕入れる。いつの時代に作られたのか、作者名は、などの知識も問われることは多い。だいたいこれが古文の定期テスト対策となる。
古文は、入試に向けてはもっとやってほしいことがあるのだけれど、これをまずやる習慣をつけておく。入試までにその「本文の読み訳から文法事項まできちんと身に付いた」という作品が頭の中に10くらいストックされると、埼玉県立高校入試の古文は満点が取れると思う。学校の授業で扱う古文はその半分くらい。だからここできちんと勉強しておけば、入試で国語が武器にできる。
余談。私がいつもしている腕時計は型遅れのアップルウォッチ。ロレックスやオメガと言った高級ブランドは残念ながら持っていない。
たまにあるんだけど、開口一番塾に通っている生徒の成績を聞いてくる保護者の方とは上手くいったためしがない。
電話にて。
お問合せありがとうございます。
「ひとつ聞きたいのですがよろしいですか」
はい。どうぞ。
「ウチの子は成績は良い方なんですけど、そちらの塾ではどのくらいの成績の子がいますか」
(なんで「ウチの子の成績」が前置きについたたんだろうか)そうですね、いろいろな子がいますよ。
「偏差値70の生徒はいますか」
多くは無いですが、いますよ。
「駿台模試で偏差値70ですか」
いえ、駿台では無いです。ウチは入塾基準などは設けてませんので、いろいろな子が通ってくれています。
「あー、ピンキリってことですか」
(子供を「ピンキリ」て)まあそうですねー。
…ここらへんで話を聞く気が無くなってくる。なんとなく電話を切る方向へ。
とりあえず焦っていることは伝わったけどウチじゃない。「私の子は偏差値の高い子だけがいる塾に通っている」と言えるような塾が見つかるといいですね。
器があるなら、なみなみと注ぎたいよね。
「地頭がいいなぁ~」と感じる生徒がいる。
教えたことをすぐに理解する。暗記も速い。他の子が1時間かけて覚える量を、ものの数分でモノにしてしまう。これまでにちゃんとトレーニングを積んできたんだろうなというのが分かる。
しかし、それで成績トップ層に入っているかというと実はそうでもない。今だに2番手グループに甘んじている印象だ。原因は分かっている。努力量が圧倒的に足りない。時間にして、他の子の半分にも満たない。学校の数学や英語のテストでは結果を出すのに、国語の成績がイマイチ。これは定期テスト期間の過ごし方がぬるいのだ。
中の上くらいの成績の子の中には、「自分はできる」と過信している子がいる。その自信がプラスに働くことも多いけれど、テストなどを舐めてかかる。だからトップにはなれない。まことに勿体ない。
上には上がいる。本当のトップ層は一切の油断をしない。「1問も落とせない」と、試験直前は手が震えるほど緊張する子もいる。そういう姿勢が存在することを、これから教えていく。
ありがたいことに今年度も新入塾生を迎えてスタートすることができた。まだ生徒は募集中なので、ご興味のある方はメール下さい。
さて、「途中から入塾」する生徒の学習カリキュラムについて。
もくせい塾では3~4月ごろに新学年の指導が始まる。個人指導なのでもちろん生徒ごとに異なる。集団塾の多くは2月ごろから新年度がスタートするので、それと比べるとずいぶんと遅い。しかし、スタートは遅れてもやがて追いつき、追い越すことになる。だから新学年で出遅れた子にも十分チャンスがある。
ただし、新学年の時期はやはり「最初から」指導したい。学年の最初に習うことは後々効いてくるからだ。できるだけ指導の「取りこぼし」をしないようにしておきたい。だから入塾が多少遅れた子には、すでに学校で進んている範囲から勉強し直してもらうことが多い。そのほうが最終的には学力が伸びる。
したがってはじめは大変かも知れないが、頑張って塾で用意した流れに乗っかって付いてきてほしい。この流れに乗れば、成績を上げていける。
どうしたら成績が上がる塾を作れるか。
これまでの生徒たちを見てきて思うのは、
「最低ラインは守る子が多い」
ということだ。「これをやってはいけない」「これは絶対にやること」と言われたらちゃんと守る。これは素晴らしいことだと思う。日本人的な美徳だ。
しかし、「それ以上」を振舞える子はそれほど多くない。例えば勉強でも、「これやってきてね」と言って宿題を出せばやってくるが、それ以上のなにかをしてくる子はあまりいない。逆に言えばここが成績上位者とのラインなのだけれども。(意外と高くないのよね)
それを踏まえた上で塾としての在り方なのだけれど、今はこう考えている。
塾で課す「これ、やってきてね」を、成績向上の最低ラインで設定することだ。最低ラインは守ってくれる子たちばかりなのだから、その最低ラインを塾の指導システムに組み込めばいい。
たぶん塾関係者の大多数が思っている。
「自学しない子は伸びない」
「授業を受けているだけでは伸びない」
「覚えない子は伸びない」
これをひっくり返したものが塾のシステムにあるかどうか。もしも塾のサービスが授業の提供のみだったら、それは最低ラインが成績向上の基準を満たしていないことになる。
もちろんこれは生徒に諸々の負担を強いる。もしかしたら「大変そうだからやらない」と、別の塾を選択する子も出てくるかも知れない。そこは残念だけれど、もくせい塾は通う効果がある塾でいたい。
こういうところで差がつく。
中2数学の式の計算の分野の最後には、「等式の変形」という項目がある。等式の性質を利用してある文字について等式を変形させるアレだ。例えば
a+b=c をbについて解け。→「b=c-a」
みたいなね。
学校のワークを見てもそれほど大きく取り扱われない部分だけれど、式を自由に変形させる力は是非とも今のうちに伸ばしておきたい。高校に入ると、数学をはじめ物理や化学など、自分で公式を導き出すことが多くある。
中学生でも公式を変形して使える子は数学がとても強くなる。例えば中1で習ったおうぎ形の面積と弧の長さの公式を変形して中心角を求める式を作ったり、球の体積と表面積を求めるときに、表面積から求めたほうが楽なことに気付けたりする。ここで習うのは、このあとに習う連立方程式で必要だからという理由だけでは無いのだ。
泳げる人になりたかった。
ここ数日寒い日が続いたけれど、今日は少し汗ばむくらいだ。やっと初夏の陽気を感じられて心地よい。
気温が急に高くなってアスファルトが熱されると感じる匂いがある(分かるかな)。私はこの匂いを嗅ぐと、学生時代の「プール」のことを思い出す。
といっても水泳の授業に対してそれほどの思い入れも無く、泳ぎも得意では無かった。クロールは50mくらいはできたけれど、平泳ぎは全くできず、お尻がプッカリと水面から顔を出す「お尻怪獣」状態で前に進まなかった。そんなこともあってか「海派?山派?」と聞かれれば断然山派だし、最後に海水浴をしたのは大学生の時が最後だ。すっかり埼玉県人らしくなってしまった。
今はコロナ後で水泳の授業がどうなっているのかは分からないし、学校によってはプールが無いところもある。水泳自体が昔よりも重要視されていないのかも知れないね。実際、泳げないと困ることもあまり無い。だけど、泳ぐことに対する苦手意識はその後のレジャーの選択に偏りを生むことは分かった。学生時代にもう少し泳ぎの練習をしておけばよかったと思う。平泳ぎで前に進む原理くらいは知りたい。
ちゃんとした英文法力は直訳で身に付く。
中学生の英語教科書の訳を聞いていると、その子の文法の力が推し量れる。文法の力がある子は直訳に、力が弱い子は意訳に向かうからだ。
もくせい塾では教科書の日本語訳の指導は、単語をひとつずつ拾い、出てくる文法事項の基本に忠実な「直訳」で行っている。もちろん意訳である程度ルールを曲げて自然な訳にしたほうが日本語らしくて「カッコいい」。しかし初学者にとっては文法事項、つまり文のルールをきちんと理解することが大切だ。そういう子に意訳で指導してしまうと、大切な文のルールがどこにあるのか理解されない。だからぎこちない訳になるけれど直訳で指導をしている。
ところが、その文法事項の理解定着があいまいな子は「なんとなくこんなカンジ」と日本語訳を作り出し、そっちのほうが「カッコいい」訳になっているのだ。日本語のほうが親しみがあるからね。幼少から英会話教室などに通っている子などもこの傾向が強い。
でも、それではダメだ。ちゃんと文法事項がしっかり分かっている上での「意訳」ならばよいけれど、その習得を逃げた上での意訳は、たとえ意味が合っていても英語の本物の学力にはつながらない。だからそういう場合は
「ん?違うよー」
と、たとえ意味が合っていても直訳に訂正させる。指摘された子はワケが分からないかも知れないね。
これは高校生くらいになると、この指導の本当の効力が分かるようになる。中学英文法の力が身に付いていない高校生は、高校の和訳問題が解けずにちぐはぐで意味不明な訳をするようになる。高校生になるとカッコ悪くなってしまうのだ。
どんな量でも噛み砕けるようにね。
小学生の時はカラーテストを行う。単元ごとのテストで、その範囲も狭い。
しかし中学生になると定期テストは3か月に1回、いくつかの単元をまとめて行うことになる。当然生徒が習得しなくてはいけない量が増える。
そうなると「飲み込めない」子が出てくる。そんなに広い範囲を身に付くまで勉強したことが無いのだから当然だ。テストで自分の成績を見て、だんだんと勉強に対する意欲を失い、学校の授業についていけない子が増えていく。
授業自体は飲み込みやすいように一口サイズなのだが、そういう子にとっては、テストが「丸ごと飲み込め」なのがキツイ。当然受験は「全範囲」だしその後生きていく上で全ての知識を身に付けておくべきだから仕方無いのだろうけれど、これを咀嚼する「顎」がまだ育っていない子もいる。誰しもがワニやライオンのようにはいかない。
だからこその「小テスト」だ。定期テスト前にその範囲を単元ごと、正確にはもっと細かくしてチェックしていく。本来ならば日ごろの問題演習でそれは事足りるのだが、その意識を常に持ち続けて勉強できる人は多くない。テスト形式ならば否応にもその意識は高まるのだ。
越北に通いたい人へ。
越谷北高校は言わずと知れた越谷市内学力トップの高校だ。年によってバラつきはあるが、毎年2桁は旧帝大への合格者も出している。当然この地域の生徒からの人気も高く、保護者の中には
「子供には越北に入ってもらいたい」
と思っている方も結構いるのではないだろうか。
では、どのくらいで越北を受験できるのかというと、学校案内に載っている合格80%圏内の目安は、偏差値62・内申40もしくは、偏差値64・内申38である。私の毎年の印象では、北辰偏差値が安定して65を超えていれば、多少内申点が足りなくても「行ってらっしゃい」と入試に送り出せる感じだ。
ところでこの偏差値65とは、全体の上位9~10%くらいだ。これを学校の定期テストに照らし合わせると、学年が240人くらいいる学校では24番以内、140人くらいの学校では14番以内に安定して入っている学力層ということになる。そう考えると越谷北高校のレベルがなんとなく分かるかな。だから越北に行きたい生徒は、まずは学校の定期テストでそのくらいの順位をキープしてみよう。
あわてないあわてない。
たくさんの生徒を見ていると、成績の良い子ほど「やっている」というのが分かる。当たり前のことなのだけどね。
逆に言えば「やらなきゃいけない生徒ほどやっていない」わけだ。成績が高い子にはその理由があり、成績が低い子には原因がある。
だから指導者としては、やらない子に対して「やれー!」という圧を強くしたくなってしまうのだが、それは大概失敗する。できる子と同じ定規で測ろうとするとついて来られず上手くいかない。その子に合わせた基準、「ちょっと頑張れば到達する」という物差しをそれぞれに用意する必要がある。
生徒の成績を上げる為には相対評価で判断して「他の子よりもどれくらいやっているか」を分析する必要がある。どのくらいやれば伸びるのかが分かっていないと指導はできないからだ。でも、そこからひとりひとりに振舞う指導内容は絶対評価で「今の限界値を伸ばす」ような匙加減を加えなくてはいけない。その切り替えとバランス感覚は難しい。
問題を解く時は、読むことから始まる。
生徒を指導していて、
「問題文を読んでいないな」
と思うことが散見される。読み飛ばしによる勘違いで、解答に問われていることと違うことを書いていたり、分からなくなっていたりよいうことが生徒の答案に最近よく見られる。
塾や学校で行われる指導内容のほとんどが、「問題の解き方」だ。知識を教え、「この問題はこう解く」ということを教える。だから「問題文をきちんと読む」というのは「それ以前」の話になりがちだ。しかし問題文を把握していなくてはいくら知識や解法を身に付けていても正解にはたどり着けない、ケアレスミスと呼ばれるものの多くがここに原因がある。
だからもくせい塾では「問題文をきちんと読む」ことも指導する。線を引きながら隅から隅まで、一字一句読ませる。テストなどで1点でも多く取ろうとすると、この姿勢が大切になってくる。今は新入塾生が多い時期なので、まずはこのマインド作りからはじめていきたい。
根性あるなぁ。
今日は富士中の体育祭だった。なんとか雨で延期とはならなかったようでなによりだ。参加した生徒はお疲れ様。
そんなわけで自習に来る子はいないかなと思っていたら、さっそく教室に来て勉強を頑張っている富士中生がいる。すごいよね!
ブレない姿勢は本当に尊敬する。無理のないように頑張っていこう。
生徒もお互いに見ているよね。
もくせい塾の授業は学年も科目もバラバラなことを行っている。
それぞれが自分の課題をしているので、生徒はいわば個人戦を戦っているようなものなのだけれど、クラスの温度が全体的に上がる時がある。
生徒のひとりが小テストや問題演習で良い結果を出すと、他の子もそれを見て頑張り出したりする。そうするとクラスの温度が上がる。学習に向けた良い空気ができる。こういう時は個人戦でなく団体戦のような雰囲気になる。
昔、別の塾で集団授業を受け持っていた時にもこうなるときとならない時があった。だから授業の形というよりも生徒の参加意識なのだと思う。授業の主役は先生ではなく生徒だということがよく分かるね。
中1R君がやってくれた!中間テストの英語で97点。
すごいですね~。まだ内容は簡単だけれども平均点より15点以上取れているので良い結果だ。よく頑張った!
復習に時間を割けるような学習計画を。
今週末は富士中の体育祭がある。そのせいか自習の顔ぶれも普段と少し変わっている。これは体育祭が終わったらまた元に戻るかな。この後は学総もあるので序盤の山場だろう。自習の頻度が減ってしまっている子はまた頑張ってもらいたいし、この機会に自習が始まった生徒たちは継続してもらいたい。
こういう大きなイベントがあると、その前後で指導した内容が身に付かなくなる子が出てくる。その子の容量的なものもあるかも知れないし、単純に自習の頻度が減るからかも知れない。
なのでそれも見越して授業は進めている。少し早く進んでいる子は、期末テストの範囲がだいたい終わっている。これで行事にも集中できるだろうし、ここで抜けちゃった場合は体育祭後に再び総復習だ。先に進めておくとこれができる。
勉強した内容は1回や2回では身に付かない。ペンキを塗り直すように何度も反復して確実なものにしていく。
勉強は予防医学。変な癖がつく前に正しい解き方を。
数学の証明問題の小テストの答えを「暗記」してきた子がいる。解答とほぼ同じ答えを書いているのに、理解していたら絶対にやらないことをしていたので見つけることができた。
分からない問題に対し、こうやって「暗記」をがんばっちゃう子がたまにいる。根が真面目なんだね。なんとか小テストに合格しようとしたのだろう。でもその努力の方向は間違っている。
当然ながら、証明問題というのは論理を紡ぐ作業だ。中学レベルだとパターンが限られているので、暗記で乗り越えられないことはない。しかしそうしてしまうと論を追うことをしなくなる。初学者の段階でこれをしてしまっているのを見逃していたら、その子の数学的な思考が死んでしまうところだった。正直ヒヤッとした。変な癖がつく前に防げて良かった。
どうやら見抜かれたことでちゃんと理解して再チャレンジしてくれそうだ。期待したい。
眠気との戦い。
「ご飯を食べた後に塾に来ると眠くなってしまう」
と相談してきた生徒がいる。確かにこれは、勉強を頑張りたい子の悩みのひとつだと思う。勉強への危機感があるってことはよく伝わる。
私も中学生の時、部活が終わって家に帰り、夕食を食べて30分ほど寝てから塾にダッシュで行っていた。この30分の仮眠があるとないとで集中力がずいぶん違った気がする。
だからいっそのこと「寝てしまう」というのも手だ。眠くてうつらうつらしながらやる勉強よりも、仮眠でスッキリしてやる勉強のほうが効率も高くなるので、仮眠に充てる30分くらいなら取り戻せる。ただそれで夜に眠れなくなることがあるとかえってペースが乱れるので気を付けたい(私はこれだった)。
しかし、より健康的だと思う方法はこれだ。まず、夜十分に睡眠をとっているのに食後に眠くなる場合は血糖値の急上昇が原因である。だから食事の量を少し減らす。食事は水、野菜、おかず、ご飯の順に食べるなどの工夫で、眠気くらいならすぐに改善する。また、ご飯を食べたらすぐに少し体を動かすことも良いらしい。食後休みを取らずに散歩がてらすぐに塾に来てみよう。
ご自由にどうぞ。
自習に来ている新入塾生の子が、
「テスト勉強が終わったら学校の宿題とかもやっていいんですか」
と聞いてきた。いいよいいよ、もちろん大歓迎だ。
もくせい塾では、他の生徒の迷惑にならなければ何をしてもいいこととしている。
本を読みに来る子もいるし、昔は美術の課題とかで塾で水彩画を描いている子もいれば、
「体がなまっちゃうから」
と、ストレッチと筋トレをしている受験生もいた。もくせい塾では他の子の迷惑にならなければ何をしてもいい。
スマホはダメだ。「迷惑にならないじゃん」と思われるかも知れないが、他の子が気になるものなので。このへん匙加減が分かりにくいかも知れないので、心配ならば聞いてほしい。そしてどんどん利用してほしい。
「自分の為」ってどういうこと?
課題や宿題などをサボった経験が無い人なんていないと思う。
どんなに真面目だと言われようが、また学力がどれほど高かろうが、手を抜いたり理由を付けてやらなかったりしたことは誰にでもあるんじゃないかな。少なくとも私はさぼったことの無い人の話は聞いたことが無いし、自分自身もサボり魔だった。
だからまずは、ちゃんとやったほうが利になることも「学ぶ」必要がある。サボるのは楽なほうに流れるだけだから、放っておいても自然に覚える。しかしやったほうが自分にとって得だというのは、なかなか自分で辿り着くことができない。やったほうが得だよということは、誰かが教えなくてはいけないのだ。それも言葉だけではなく、実感させる形で。
自分でできる子にならなきゃね。
西中は今日が中間テスト2日目だ。塾生たちのできはどうだったろうか。
今は多くの塾で、中学校の定期テストをするようになった。中学校のテスト問題を集めて「過去問」として使っているところもあるようだ。今はどこの中学校でもテスト問題の使いまわしなんてしないので「過去問」としてはあまり意味が無いと思うけれど、何かその塾にも思惑があるのだろうね。
私が中学生時に通っていた塾では学校の定期テスト対策は無かった。そもそも学校の進度とは全く関係なくカリキュラムが進んでいたので、定期テストの勉強は「各々で」ということだった。今と受験システムが違い、今よりも通知表の重要度が高かったような気もする。しかしそういうものだったし、私にとってはそれがありがたかった。自分でなんとかしなくちゃという思いになれたからだ。
そして今、もくせい塾で掲げている「自学力」は、ここに端を発している。もくせい塾でもテスト対策は行っているが、基本的にはほったらかしだ。やることを1から10まで決めてしまうと、間違いなく伸びる力が失われる。「自分でなんとかしなくちゃ」が根底に無くてはいけない。
大丈夫、絶対に書けるようになる。
中2も中3も式の説明問題に取り組んでいる。
数学の証明問題が解けないと言って塾に来る子がよくいるが、実際に見てみると「書き方が分からない」ではなく「分からないから書きたくない」な気がする。ここは生徒がクリアすべきハードルだ。
でもはじめの「分からない」というのは指導者の責任だ。証明の説明はいかに丁寧にできるかが重要で、講師が少しでも楽しようと省略した途端に生徒には伝わらなくなる。
北辰テストの数学では証明問題が1題出るが、偏差値帯ごとの正答率を見てみると、全体の正答率はだいたい50%前後で、偏差値50以上とそれ以下で大きく差が出る。偏差値50~59だと6~7割の生徒が正解しているのに、偏差値40~49になると途端に正答率が3割程度になってしまう。
もしかしてこれって、塾などで偏差値50以下のクラスには証明の書き方指導はしないのか?などと訝しんでしまう。昔、「証明問題は捨てよう」なんて言葉をよく聞いたので実際にあるかも。
もくせい塾では数学の偏差値40台の子でも北辰テストの証明問題は結構正解できるし、ダメでも部分点はかすめ取ってくる。「証明問題ができません」という子の原因を上でも書いたけれど、これって数学の力というよりも国語の作文に対する障壁みたいなもんだと思う。だからきちんと書き方を習えば学力はあまり関係ない。そういう子がもしも指導者に証明を「捨て」られてしまっているとしたら、勿体ないなぁと思う。他の問題で証明問題の7点分を補えるのならいいけれど、割と点数取りやすい分野ではある。
このことに関して、キミを阻むものは何もないのだよ。
小学生の子や、中1の子の中には
「先生ぇー、トイレに行っていいですか」
と聞いてくる子がいる。
授業中ならまだしも、自習中や帰り際でも聞いてくるものだから、学校の指導というものは強い影響力を持っているのだなぁとつくづく思う。おそらく小学校の授業中のルールだよねこれ。
私が授業中で声を掛けられないときもあるので、そういう時に困らない為にもトイレは自由に使ってもらって結構なのだが。トイレの許可とか、なんか看守と囚人みたいで嫌だ。
とりあえず今は
「どうぞー」
とにこやかに言っているが、もし「ダメ!」と言ったらどうなっちゃうんだろうなんて不謹慎なことを考えている。
見える見える~良い結果が見える~。
新学年が始まって1ヵ月以上過ぎた。ゴールデンウィークをはさんだけれど、もうだいぶ学校にも慣れたんじゃないかな。
そうなったら、そろそろ勉強に目を向けるべきだ。特に中学生ね。西中は中間テストが始まっているし、富士中は中間テストはないけれどアッという間に期末テストがやってくる。
ここまでの生徒たちの勉強の様子を見ていて、
「ああ、この子はもう大丈夫」
と思える子も出てきた。確実に成績は上がるなと感じさせてくれる。
その基準は「自ら」動いているかどうか。自分から勉強のペースを作っている子は、見ていて頼もしい。全員がそうなってくれることを願う。
道に迷わないように。
高校3年生の子が共通テスト対策の数学の問題集を解いている。
共通テスト対策の数学は、大問ごとに誘導形式になっている。だから上の問題が解けないと次も解けないということになる。
そして最近気づいたのだが、大問最後の結論を導き出すところでつっかえる子も多いような気がする。
それまでの設問でいくつかの場合に分けて検証し、最後にそれらをまとめる。その時、場合分けしたものの和集合なのか共通範囲なのか、そのあたりが追えていなくて間違えてしまう、または解説を見てその文言に引っかかっているようなことがある。共通テストをはじめこういった誘導問題は、初めに何を求めたいのかがあるのでそれを見失っちゃダメだ。
こういう時は「情報」の論理回路が役に立つ。集合の考えをフローチャートにできるので理解しやすい。情報も数学だ。自分の頭を整理するのに使ってみてほしい。
Aちゃんがやってくれましだ。
春休みの課題テストで学年10位!すごいですね~。
日ごろの努力の積み重ねだね。よく頑張った!
小学生のうちに図形にどれだけ触れられるか。
小学6年生たちの算数の課題には、図形パズルが追加された。
小学生の算数力は、計算、図形、関数の順で強くしていこうと計画している。中学生と同じだね。まずは盤石な計算力。その上に数学的思考は育つ。計算術が自由に使えるようになったら、図形の力で「試行錯誤」の力を養ってもらう。その次の関数では抽象的な概念や法則性の発見だ。
図形の課題はまだ出し始めたばかりで序盤だ。それでも結構頭を悩ますようで、生徒たちはあーでもないこーでもないと考えている。
「答えが出なくても考えるのが大切なんだよ」
と伝えているが、メキメキと試行錯誤の脳が育っているのが分かる。これからが楽しみだ。
ゴールデンウィークはどうでしたか。
今週から本格的に再始動。
ちょっと授業のシステムをいじっていこうと思った。塾を立ち上げる時に、なんとなく作ってしまった。それこそ初期の頃に来た保護者さんに意見を聞きながら作ったものだ。だから今、いろいろな生徒が来るようになったのでその多様性に対応していかなくちゃと思っている。
もちろん今通ってくれている子たちには迷惑をかけられないので、そこは変えない。その上で、よりニーズに応えられるようにしていこうと思う。
参考書を見る。
高校生向けの参考書は多い。だから塾では、生徒に合った参考書や問題集を選んであげるのも仕事だと思っている。
個人的には問題集にこだわり過ぎる必要はないと思っている。売っている問題集はどれもよくできているからね。しかし、あまりにも実力とかけ離れているものを使っていると成績アップにつながらない。だからその塩梅を見極めて提示する。
塾生には必要なものがあったら購入してどんどん渡す。私が必要だと感じて渡す場合もあれば、生徒からリクエストがあって買うものもある。もちろん学校の教材が優先なので、余裕があるならばそれプラスアルファという考えで。まずは学校の教材をしっかりとやるべきだ。
時には「これやるべきだな」と思って渡そうとして拒絶されることもある。そういう子は自分の選んだ「ハイレベルな」問題集を使いたがる傾向にあるが、たいてい挫折する。言わんこっちゃない。でも「参考書は自分で選んだ方がいい」という考え方もあるし、そこで挫折しても高い壁を見ることも勉強だ。そこで、今自分に何が必要なのかと考えられる子は伸びる。
がんばっているね!
今日は土曜日なので、ゴールデンウィークの連休に組み込まれている人が多いと思う。生徒たちもそうだ。
もくせい塾の連休は1週間までと決めているので、今日は通常通り開けたのだが
「まあ自習の子は来ないよな」
くらいに考えていた。でも開けるなり生徒が入ってきて早速小テストの再テストを受けている。すごい。
こういう子がいるから自分もダラダラなんてしていられないなと背筋がピシッとなる。生徒から気合をもらっている。
再始動だ。
ゴールデンウィークが明け、今日は再開初日だ。と言っても明日は日曜日でまた休みだけど。
ゴールデンウィーク期間中は、普段手を回せていなかった事務作業を中心に行った。いつものことだけれど、ここでまた新しくやりたいことなどが出てきた。予定していたこと以上に作業が増え、期間内で処理しきれず、結局休み明けにさらに作業が増えているというね。
なんだか勉強みたいだ。勉強もすればするほど次にやりたいことが出てくるものだ。そんなわけでまた頑張っていきたい。
押し付けるぞー。
この部分はまだ理論化できていないのだけれど、生徒を伸ばす最終的な要因は指導する側の熱意のようなものだと思う。
確かにこちら側が何もしなくても伸びる子はいる。感覚的には全体の20%くらいかな。普通に授業をしていれば自分でそれを効果的に利用していける子。でもそういう子は少なくて、多くは指導側が必死になってようやっと伸びていく。それをするのが熱意というか、その熱を伝える技術のようなものなのだと思っている。
このままいけば、もしかしたらうまくいかなかっただろうなと思える子でも、何度も諦めずに説得して叱咤激励していくと少しずつ変わっていく。今年もそんな子が出てきている。塾講師に必要なもののひとつは、根負けしない意志の強さ、と言えばカッコいいけれど、自分を押し付ける頑固さだと思う。
この休みをいかに使うか。
西中では9日から中間テストが始まる。高校の中間テストそろそろだね。
1学期の中間テストはまだ学校の授業もそれほど進んでいないので、全学年の復習の内容が範囲になっていたりして対策が厄介だ。かえって範囲が広かったりする。
だからそれまでにいかに復習できているかが重要だ。中1の子だったら小学生の学習内容も含めてしっかり復習しておきたい。
とりあえず最後まで出し切ろう。
中1の子の中には、まだまだ体力的に大変そうな子もいる。そういう子は、塾の授業でも後半バテてしまう。
前半は快調に飛ばしているが、40分を過ぎたあたりからだろうか、だんだん計算結果などが怪しくなってくる。
「8×8=16」
なんてね。その頃になると文章問題などにはもう全く取り組めなくなる。一生懸命やっているのは伝わるのだけれど、自分で何を求めているのかが把握できなくなっていて、まるで酩酊状態だ。私が説明しようとするとその話の腰を折り、
「分かった!」
と言ってまるで違うことを解答欄に書き出したりする。もう居酒屋でへべれけの酔っ払いを相手にしている気持ちになる。こうなると学習効果は無いので、私も
「今日はもう充電切れだな」
と思い、できる作業にシフトする。体力がつかないと集中力は持続しない。この時期の1年生はこの壁を乗り越える必要がある。
心地よい日だなぁ。
今日から5月だ。今日も残作業で教室へ。
来る途中に富士中の横を通ったら、校庭で生徒たちが体育の授業(かな?)を受けていた。富士中は13日に体育祭があるね。その練習かな。
自分の体育祭の思い出と言ったらやはり組体操だ。私は小学生から組体操では「土台」だった。ピラミッドをするにも、タワーを作るにも全部下。上に乗る人によっては背中の痛いところに膝をグリグリと当てられて辛いんだけど、上に上がるよりは気がラクだったなぁ。危険だから今はやらなくなっちゃったようだけど、いい思い出だ。
昨日は雨だったけれど、今日は日差しもあって体を動かすには良い陽気。
量をこなせる体力と勢いは大切。
小学生たちの演習量もなかなかのものになってきている。
もくせい塾では、できる子にはどんどん問題集を配ってしまっている(だから教材費だけでは赤字なのだ)。年間で配るテキストが決まっていることで、その生徒の歩みを止めるのは勿体ない。
そうすると小学生のバンバン進む子なんかは、年間でテキストを3冊も4冊もこなす。予習なのか復習なのか、何をどのレベルで行うのかなどはこちらが管理するけれど、こなす演習量はなかなかのものになっている。
勉強のテクニックはあとからでも身に付くと思っている。それよりも小学生のうちに身に付けて欲しいのは勉強の筋力だ。ゴリゴリと問題を解き進められるだけのパワーとスピードはこの時期によく伸びる。そしてそれがあればその後の学力も伸びやすい。